マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

第7日目

2006-06-20 00:19:10 | 教会の風景
昨日の礼拝は、創世記2:1-3より語った。
創造の第7日目に創造主なる神様が、創造の完成を告げ、休まれたと聖書は伝えている。
創造の働きが、改善の余地のないほど「非常に良い」状態で終えられた。
神様が造られた世界を喜ばれたのは明らかだ。
創造の完成の日(7日目)を神様が祝福している。

この創造の7日目に基づいて、後のイスラエル人の律法において安息日が定められた。
その安息日に込められた神様の人間に対する思いを調べてみた。
出エジプト記31:13-17
ここでは安息日は神様と選びの民イスラエルの関係を示す「しるし」とされている。
しかも、その「しるし」をいい加減に扱うことは、死をもって報いられる。
それだけ安息日の規定に込められた神様への思いが強いことが分かる。
神様に選らばれることの重大さを覚える。

しかし、神様に特別に選ばれたイスラエル人は、この律法の規定に示された神様の真意を受け止めることに失敗していた。
その後、主の恵みと憐れみにより、イスラエルは自分達の領土を得て、繁栄していく。
一方で、自国の繁栄につれて、主からその信仰が離れていくという結果を生み出す。
自分の望むままを行なう、人間の悲しい一面を見るようだ。

イザヤ書56:4-8
この上記の箇所では、預言者イザヤがイスラエル(厳密に言えば、南ユダ王国)に安息日を守るようにと伝えている。
安息日を大切にするならば、主はご自分の民としてイスラエルを祝福することを約束している。

律法における安息日の規定は、現代のキリスト教会の礼拝にそのまま適用されるものではないが、その意味には心を留める必要があると思う。

創造主なる神様が、この世界を造られ、喜ばれている。
主は、選ばれた民とのしるしとして、礼拝を授けられた。
礼拝を大切にすることは、教会にとって大きな祝福である。
礼拝には喜びが伴う。
また、そこに集う人を主が集められる。

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