マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

旅立ち

2007-09-04 14:11:26 | 教会の風景
日曜日の礼拝説教のダイジェスト

聖書箇所 創世記27:46-28:22
『旅立ち、そして信仰の自立』

≪場面の流れ≫
兄を差し置いて父から祝福の祈りを受けたヤコブ。
その事実を知り、ヤコブに対して激しい怒りと殺意を抱く兄のエサウ。
両親は兄エサウの殺意に気付き、ヤコブをカランへ送り出す。
ヤコブは親元を離れ、北東640kmのハラン(母の実家のある町)を目指してひとり旅立つ。

その道中、とある夜の出来事。
日が暮れ、石を枕にして眠りにつく。
ヤコブは夢の中で不思議な光景を見た。
そして、主からの言葉を聞いた。

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。・・・見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28:13‐15)

彼は主の言葉に感動し、枕にしていた石を立て、それに油を注いで記念とした。
そして、その地をベテル(神の家)と呼び、請願を立てる。


「かわいい子には旅をさせろ」とはよく言ったものだと思う。
ある意味で模範的な信仰者の夫婦(イサクとリベカ)のもとで育ったヤコブ。
彼は小さい頃からきっと神様のことを聞き、また両親の生活を見て「両親の信じている神様はいる」と信じていたに違いない。

しかし、親を通しての信仰心は、いつか自らの信仰心として自立する必要がある。
ちなみにヤコブはすでにこの時77歳。
旅立ち、自立というイメージからは程遠い年齢かもしれない。
けれど、聖書の記録するところでは、ヤコブが主と一対一になる場面はここが初めて。

「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」(28:16)と彼は目覚めて告白した。
「この場所は、なんと恐れおおいことだろう。」(28:17)とも言っている。
幼い日より培われた信仰心は、ベテルで主にお会いするという経験を通して、リアルなものとなった。

その時、彼は自分の感動を行動で示すことで記念とした。
ちなみに、クリスチャンの間では証しという言葉で表現されることが多い。
石の枕を立てて柱に見立て、そこに油を注ぐ。
また、自分の所有物の十分の一を神様にささげるという約束も。

家を離れ何も持たず、ひとりで旅をするヤコブに現れた主。
主は「アブラハムの神、イサクの神」と名乗られたが、ヤコブに対して「あなた」と呼ぶ関係を築かれた。
もはや、主は「父アブラハムの神、イサクの神」であるだけでなく、ヤコブにとって「私の神」(28:21)となった。
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