マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

狭い道

2007-12-19 11:11:26 | 聖書通読
ルカ18:29
「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」


今朝の聖書のディボーションの箇所。
あらためて考えさせられた。
言うまでもなく、自分に関係する家族を愛することや自分の所有するものを大切に扱うことは当然のことであるが、いつの間にか偏りが生じていることがある。


「自分」の家族や所有物や仕事であるから、自分の権利であり、自分のためにあり、そこから自分が恩恵を受けて当然のものであると考えてしまう。
それを突き詰めていくと・・・結局、自分が中心なのだ。
案外、幸せの追求は、極端な自己実現、自己中心に向かいかねない。
結果として自分も周囲の人々もフラストレーションを抱えることになる。


しかし、聖書は「捨てる」という言葉を用いて、本来あるべき幸福な姿を教えている。
この「捨てる」というのは、家族の面倒を見ないとか、所有物や自分の務めをいい加減に扱ってもいいという意味ではない。
「自分」の権利や所有という意識を放棄することだと思う。


最終的な権限は、神様の手の中にあることを心に留めたい。
言いかえれば、すべてが神様から与えられたものである。
ここで言う「家、妻、兄弟、両親、子ども」は、神様から与えられ、任され、託された人や物であるということ。
だから「捨てる」とは、自分のものだと思っていたものを神様の権威の下にあるものとして「委ねる」「明け渡す」、その時その時の状態を「受け入れる」と表現していいのではないだろうか?


もう一つ確認したいことがある。
神様は、私たちから家族や所有物を奪い取って喜ぶようなそんな心の狭い意地悪な方だろうか?
いやむしろ、私たちに良いものを与えたいと常に願っておられる。
「だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」とイエス様が明言している。
幸せや本当の豊かさは、自分の権利や理想の実現に固執した先にあるのではなく、それらを手放して神様から与えられるもの。


この一年愛読している「ロイドジョンズ 一日一言」の12月19日の内容も私の印象に残った。

本文の一部を紹介。
「・・・しかしながら、この狭い門に入り、この狭い道を歩くべき最大の誘因は、このことである。その路には、あなたの前を行くひとりの≪御方≫がいるのである。あなたは、外側にこの世を置いて来なくてはならない。あなたにとって親愛な多くの者たちを置いて来なくてはならないかもしれない。あなた自身を、あなたの古い自我を置いて来なくてはならない。それで、その門をくぐり抜けるときに、自分が孤立した、寂しい者になると思うかもしれない。しかし、そうではない。この路には、他の人々もあなたといっしょにいる。・・・」


確かに・・・世の多くの人々には注目をされず、人気のない狭い道であるかもしれない。
だが、今もなおこの真理を信じて、幸いな毎日を送っている人がいることも事実。
聖書は・・・今も変わらない幸いな人生の秘訣を示している。
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