マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

一年半後に

2012-03-26 17:55:47 | 教会の風景

以前、このようなことを記していました。

今回ひょんなことから、工藤先生に会うことになり、興味深いお話を伺うことができました。

なんだか思いがけない運びで、東村山で交わりということに。

昼食をはさんで有意義な時間でした。

与えられた新たな交わりの広がりを感謝しています。

自分のiPhoneで記念撮影すれば良かった...ちょっと緊張気味で忘れてました。

 

 

さて、そろそろ3月も終わります。

月報に掲載した、今月の礼拝説教(旧約聖書講解)の要約です。

レビ記25章では、7年ごとに安息の年として休耕するようにと命じられている。これにより、土地の状態は良好に保たれる。また、手入れなしで自然に実った果実は、国内の奴隷、在留異国人や家畜などの食料にもなった(25:6,7)。主はその期間の食料の保証もなさった(25:20-22)。50年目にはヨベルの年を迎える(25:8-10)。『解放を宣言する年』である。手放された土地が元の所有者に返され、イスラエル人の奴隷は自由が与えられる。後の預言者イザヤはメシヤによる解放(イザヤ61:1)を預言し、イエスの到来はその成就である(ルカ4:18,19,21)と伝える。私たちは、罪からの解放、真の自由を喜ぼう。レビ記26章には、律法への態度で『祝福とのろい』とが定められている。周辺諸国の法にも類似の構成が見られるものの、イスラエルをエジプトから解放した、唯一の神の律法という点で特有である。それゆえ、神とイスラエルとの関係を守る規定が再確認される。偶像崇拝の禁止と安息日の遵守(26:1,2)。神はイスラエルの必要をご存知で、豊かに満たすことのできる方であるが、真の祝福は神の臨在にある(26:11,12)。また、イスラエルの不従順ゆえの災いの中にも、神の憐れみと真実は尽きない(26:42)。私たちは、キリストのゆえに律法ののろいから贖われており(ガラテヤ3:13)、成功や繁栄への利己的な欲望からでもなく、のろいへの恐怖心からでもなく、主の真実に支えられて神に仕えるのである。

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