マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

少しずつ変化を受け入れながら

2018-05-29 11:48:37 | 教会の風景
東村山聖書教会の3年目の集いも、一週また一週と回を重ねています。
教会としても、集まっているひとりひとりとしても、少しずつ変化を受け入れながら、歩みを重ねているところです。
聖書のことばに聴くことを大切にしながら、ときに喜び、ときに悩み、教会の生きた交わりが保たれています。

さて、月末になりましたので、5月の説教で旧約聖書から語った分を掲載しておきます。

主日礼拝説教のあらすじ:2018年5月(旧約聖書講解分 士師記15章)
 『一騎当千』、怪力を発揮するサムソンに主の御業を見る。ペリシテ人女性との結婚には、当初より主の目的があった(14:4)。結婚をめぐるトラブルが、サムソンとペリシテ人とを決裂させ、サムソンが報復する口実をもたらした(15:3,7)。ただし、その場合にも、イスラエル対ペリシテという構図にはならず、サムソンとペリシテ人との対立だった。ユダの人々はサムソンを縛り上げてペリシテ人に引き渡そうとするが、いざその時になると、「主の霊が激しく彼の上に下」ったと伝えられる(15:14)。危機的条件下で、主の霊はサムソンに臨み、サムソンは自分の身近にあった「真新しいろばのあご骨」(15:15)で千人を倒した。主の霊がサムソンに「下った」というその語は「押し入る」というニュアンスを含む。神がご自分のしもべの窮地に際して、自ら介入して力を与えた。神は、ご自分に属する者たちに思いのまま助けを与えることができる。私たちは、あらゆる場合にキリストにあって圧倒的な勝利者とされている(ローマ8:35,37)。この方に対する信頼と期待を新たにしたい。
 私たちにとって祈りとはどのようなものか。身近で実際的だろうか。聖書は、サムソンについて「そのとき、彼はひどく渇きを覚え」(15:18)たと伝える。これは、サムソンがペリシテ人に対して大勝利を収めた直後のことだ。主によって与えられた「大きな救い(大いなる勝利)」(15:19)も現実だが、その直後に置かれた危機的状況もまた現実だ。主の霊がサムソンに怪力を授けての活躍だったが、だからと言って身体的疲労は不可避だ。人間としての限界がある。渇きに苦しむ極限状態の中で、サムソンは『主を呼び求めて』自身の窮状と必要を率直に訴えた。すると、神はその土地から水を湧き出させ、彼を潤し体力を回復させた。見るところ困難な条件にも関わらず、神は祈り求めるサムソンの必要を満たした。神は祈りに応える。私たちは諸々の苦しみや悩みの中、必要を抱えている。けれども、自身の置かれている窮状を訴えることのできる拠り所がある。私たちが呼び求めるとき、答えてくださる神がおられる。イエスの語られた祈りについての約束(ヨハネ16:23,24)を心に留めて、祈りの人でありたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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