マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

エデン

2006-07-10 21:19:49 | 教会の風景
創世記2:8
「神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。」

神様は、アダムの居場所としてエデンの園を用意された。
エデン:ヘブル語で「贅沢な」「楽しい」「喜ばしい」の意味。
主が人間のために備えられたものの素晴らしさを思う。
人間のための居場所として用意された場所の名前が「贅沢な」、「楽しい」、「喜ばしい」という意味を持つことは、主がどういう方であるかを考えさせられる。
主は「良いものを与えたい」という願いに満ちている方だ。

創世記2:16
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」

思いのまま:自由に
主は、人が園のどの木からでも自由に食べることを許された。
主は私たちに自由を与えられる。

創世記2:17
「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」

主は、なぜ禁じられたのだろうか?
前の節では主が自由を与えられたと説明しておきながら、ここで禁止が来るのはどう説明がつくのか?
これは神様の愛という性質が鍵となる。
神様は、人間を愛する対象として造られた。
愛というのは、自由の中で、選択の中で表現されるべきものだと言える。
従うか、従わないかという選択肢の中で、従うことを選ぶことに本当の愛がある。
初めから従うしかないというのでは、単に従うようにインプットされたロボットである。

主はあえて人間の選択の自由を奪おうとはされなかった。
これはある意味、理解ができないが、神様は間違った選択をしようとしたアダムとエバを止めようとさえしなかった。
主は彼らが過ちを犯そうとしていた瞬間をご存知だったはずだ。
しかし、それでもその場で止めようとしなかった。
主はあえて選択を尊重された。

それは、「放蕩息子のたとえ話」(ルカ15章)に登場する父親の姿に通じる。
弟息子は相続財産の分け前を要求した。
それは理不尽なことだった。
しかし、父はその求めに応じて、財産の分け前を与えてストーリーが展開していく。

主は人の選択を尊重される。
もちろん、自ら進んで従うことを期待しておられる。
選択の自由の中でこそ、従うほうも喜びを感じることができる。
エデンは、主の豊かさを喜び楽しむ場所であり、自由の中で主に従っていくための場所である。
主は、そんな場所として人にエデンを備えられた。
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