マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

今年も咲きました

2015-04-29 15:50:11 | 教会の風景
今年もクンシランの花が咲いています。
花のついた鉢植えを教会の玄関先に置いておきました。



さすがに、昨年は教会にいる時間が限られていることもあって、世話が行き届きませんでした。
そのこともあってか、花のついたのは、今のところ一鉢だけ。

それでも、強いもので、枯れてしまったものはなく、むしろ新しい芽が出ているのも見受けられます。
また、いつか時間をとって株分けをしようかと思っています。
...と言いながら、できるかな。




さて、月末を迎えましたので、月報に掲載した説教のあらすじをご紹介しておきます。

旧約聖書の講解説教 申命記29章

 『見る目』とは、一般に「物事を見抜く能力。鑑識眼」(大辞林)の意味で、「見る目がある(ない)」と用いられる。(29:3)では、神の民イスラエルの霊的状態に用いられている。主は、民の新たな世代を前の世代と区別し、モアブの地で契約を更新した(29:1)。民はそれまで、主のしるしと奇蹟を見ながら、悟る心、見る目、聞く耳を持たなかった。「主が…下さらなかった」(29:4)という表現は、人の堕落した窮状を際立たせる。人が神を知り、確信を深められるのに神の助けが不可欠。私たちは、真実で力ある神ご自身に望みを置く。
 神の民イスラエルに『隠されていること、現されたこと』という視点で神の啓示を考える。神は創造主で主権者、歴史はこの方のご計画とご支配とによる。「隠されていることは、私たちの神、主のもの」(29:29)。人は、全能なる神とその御業に対して、自らの限界を謙虚に認めて、栄光を帰する。一方、「現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のもの」という言及から、神がその民にみことばへの積極的な取り組みと継承、従順を期待しているのが分かる。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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