マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

ここにはいない

2013-04-02 13:01:53 | 教会の風景
先日の東村山教会のイースター礼拝の様子です。







主イエスの復活を記念して共に集まり、礼拝をささげました。
説教題は、「ここにはいない」。
主イエスの復活の事実から、罪の贖いの確かさを確認し、永遠のいのちの希望を分かち合いました。

「驚いてはいけません。 あなたがたは、 十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。 あの方はよみがえられました。 ここにはおられません。 ご覧なさい。 ここがあの方の納められた所です。…」(新約聖書 マルコの福音書16:7)






4月を迎えました。
3月の礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。(旧約聖書講解分) 民数記19:1-20:13

主の律法は儀式的な汚れを定める。汚れた者は、規定に従ってきよめなければ公の礼拝に加われず、規定を無視するならイスラエルの共同体から除外される(19:13,21)。主は、若くて傷のない赤い雌牛を宿営の外でほふり、血も含む全てを焼け(19:2-5)と命じた。その灰を指して、『これは罪のきよめのため』とした(19:9)。新約聖書はこの雌牛の灰とキリストの血を対比する(ヘブル9:13,14)。キリストの血は人の良心をきよめ、欲望に支配されずに、自発的に神に仕える礼拝者とする。キリストこそ私たちのきよめである。

イスラエル人らの荒野の旅は、過酷な条件下とは言え、つぶやきの連続だった。一方、主は常に真実で、イスラエルを導いた。荒野の旅も終盤を迎え世代交代も進むが(20:1)、相変わらずのつぶやき(20:2-5)。そして、主が水を得る方法を教えたのに、モーセは軽率なことを口にした(20:9-11/詩篇106:32,33)。『ご自身を聖なる者と示す神』は、その言動を咎めて、モーセとアロンは約束の地に入れないと宣告した(20:12)。指導者は、主の真実、聖を民に正しく示すという役割を持つ。主の聖を覚えることは、私たちに確かな平安とふさわしい恐れとをもたらす。

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散歩

2013-04-02 07:39:33 | ちょっと息抜き
昨日の午後、多摩湖(狭山公園)まで散歩しました。

途中の遊歩道で。



多摩湖の堤防から見渡して。
東村山駅方面。


西武園方面。


往復1時間余りで、ちょうど良い運動と気分転換になりました。

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