マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

休日

2010-10-27 08:46:13 | 教会の風景
今日から後期の聴講になります。
通年の牧会学(カウンセリング・事例)の他に、組織神学(終末論)とキリスト教教育学を受講します。
今期も与えられている機会を大切にして学びたいと思います。

さて、月報に掲載した10月の説教のあらすじです。
レビ記に入りました。

 主がイスラエルをエジプトから連れ出してからちょうど一年後、主の命じた幕屋が完成。その完成の際には、幕屋の備品や祭司に油を注ぐ儀式が命じられた。ここでの油注ぎの行為は、神のために用いられるという区別(聖別)を意味している。幕屋建設の仕事がすべて終わった時、神の臨在を象徴する雲が幕屋をおおい、「主の栄光が満ちた」。こうして、主は、「イスラエル人の間に住む」(出エジプト記29:45,46)と告げたとおりを果たした。神は、神の民と共におられ、ご自身の栄光を現す方である。

 続いて、レビ記は、主が会見の天幕からモーセを呼び寄せるところから始まる。出エジプト記の終わりの場面では、モーセも会見の天幕には入れなかった。しかし、ここで主はモーセに語り、イスラエルにいけにえの規定を授ける。エジプトから救い出された神の民に、幕屋と祭司の環境も整えられ、「礼拝への招き」としていけにえの規定が命じられている。詳細な条件や手順は、聖なる神のご性質と神の民のあり方を反映している。また、イスラエル人全体への規定であるものの、神を慕い求める礼拝者各自の個人的な応答を促すものでもある。

 レビ記の冒頭には5種類のいけにえが規定されている。その最初に全焼のいけにえが来ている。いけにえとなる動物には、「傷のない」(1:3,10)という条件が付されていた。また、その名のとおり、祭壇の上でその動物の全身が焼かれる。神の聖と義、神に明け渡した献身の姿をそこに見る。私たちが「主の前に受け入れられるために」、私たちの贖いとなられたキリストの死を覚え、主の御業を賛美したい。

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