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横浜ジョギング日記

第5回湘南国際マラソン(2011年1月23日)でフルマラソンデビューしました。

【レース報告】第4回谷川真理駅伝(2008.05.25)

2009年06月09日 | 駅伝
10kmレースを2回経験し、「次は違った大会にもチャレンジしてみたい!」と思い、駅伝参戦を決意し仲間を募りました。
前回の「横浜ロードレース」を一緒に走った後輩1名に加え、会社の上司と超若手後輩(24!)に賛同いただき、後の"伝説的(?)チーム"を結成したのでした。

「第4回谷川真理駅伝」

会場:東京都板橋区 荒川河川敷(荒川戸田橋陸上競技場)
日時:2008年5月25日
種目:男子の部(5km×4区間:後輩(35)→上司(38)→自分(35)→後輩(24))

マラソン大会に初参加以来、私の中でかなりマラソン熱が盛上がり、ジョギング月間走行距離が
2008年1月253km、2月266km、3月327km、4月349km(MAX!)
と、急増していました。5月に入っても、駅伝に備え走り続けていました・・・が、

5/17にアクシデント発生。

左足の足首を曲げると激痛が!嫌な予感がしました。恐る恐る足首を見ると・・・アキレス腱が3倍くらいに腫れ上がってました
高校生の頃に通院治療した、「アキレス腱炎症」が再発、アキレス腱の伸縮運動のし過ぎが原因でした。身体が運動に耐えられなかったのです。
走るどころか、歩くのも困難な状態。症状が軽ければと願いつつ、昔通った外科に処方箋を出してもらい塗り薬での治療を試みたのですが、効果なし。レースまで1週間・・・。
焦りつつ、月・火・水と走らず安静にしていたのですが、症状は変わらず。木曜になり覚悟を決め、会社近くのクリニックへ行きました。

医者 「炎症止めの薬と湿布を出しますから2週間くらい安静にしてください。」
私 「今週末、マラソンとかするの無理ですか?」
医者 「無理ですよ。腫れは引かないし、悪化するかもしれない。今回は諦めて。」
私 「実は、駅伝なんですよ。皆に迷惑かけてしまうので何とか・・・」
医者 「・・・」
私 「昔、この症状になった時と同じ"注射"を打ってください!」
結局、医者を説得し足首に炎症止めの注射を打ってもらい、強硬出場したのでした・・・。

前振りが長くなりましたが・・・。大会当日。
何とか、"歩けるくらい"になり、襷を繋ぐために!会場に行きました。
雨中のレース、前走の熱い走りに感動しつつ第3区の自分の番に!
襷を繋がなくては!という責任感のもと全力で頑張ったのでした・・・。

↓中間地点(中央の黒っぽいシャツが激痛に耐えている私です)


私の走った第3区、タレントチームはパッション屋良で、追い抜いた際(パッション、かなり苦しそうな顔で歩くようなスピード)「頑張って!」と声をかけたら、笑顔で手を挙げてくれました。単純ですけど、「良い人だな~」と思いました。

で、痛みに耐えながら何とかアンカーに繋ぎ、最終区若手エースは期待通りの快走でゴール!!!感動しました

↓記念写真


タイムは、1時間30分52秒(161位/515チーム)



打上げは、会場近くの独身後輩のマンションで大盛上り
これは本当に楽しかった
駅伝は普段の付き合いにはない結束が生まれ良いものだな~と思いました。一人で頑張ってるランナー、ぜひ、おススメです!

↓参加賞(メッシュ生地で今でもジョギング時に活躍。でも、首都圏のマラソン会場に行くと、これ着てる人が結構いて・・・ムリ



後述

レース後、医者の忠告通り症状は更に悪化し腫れ・痛みが引かず、次のレース(6/15)まで走れなかったのでした・・・。

【レース報告】第26回横浜ロードレース(2008.04.13)

2009年06月08日 | 横浜ロードレース
初レース(2008.03.02)を無事完走し、その1ヶ月後再び10キロマラソンにチャレンジしました!

「第26回横浜ロードレース」

会場:横浜市港北区 樽町公園(東横線綱島駅より徒歩7分くらい)
日時:2008年4月13日
種目:10km 39才以下 男子

初レース完走後、熱が冷めぬうちに次も!とRUNNETで適当な大会を探し本レースを見付けました。
自宅から近く、通勤電車内からいつも眺めていた鶴見川河川敷でしたが、このような大会(しかも26回目!)があった事など全く知りませんでした。

コースは川沿い遊歩道で、
①樽町公園→(下流へ)→②下流折返し→(来た道戻って上流へ)→③樽町公園・中間地点→(もっと上流へ)→④上流折返し→(下流へ来た道戻る)→⑤樽町公園・ゴール

このようなコース設定はよくあると思いますが自分にとっては・・・、③から④の間が非常に辛かった!
中間地点を過ぎ体力が落ちはじめている状況で、ゴール地点(公園)を背にして、そこからどんどん遠ざかって行くのです!かつ「走った分だけ、折り返した後必ず戻らないといけない」という「穴掘り拷問※」を受けてるみたいな。

※収容所で1番苦痛とされている拷問で、スコップで地面に穴を掘らせ、それをまた埋めさせるという行為を延々と続けさせるというもの。

コース自体は、殆ど平坦で好タイムの出易いコースだったと思います。ただ、天気が悪く顔に当ると"痛い"程の大粒の雨が降ってたり、そのせいで足元も滑りやすかったりと、何かと「厳しい」レースでした。 気持ちが何回も折れそうになりましたが、頑張りました。

↓スタートの瞬間!


タイムは、43分19秒(65位/414人中)



タイム的には悪くなかったとは思いますが、疲労感一杯のレースでした。
打上げは一緒に走った後輩(プラス1名)と、「私の実家」に移動し、たこ焼き大会。

参加賞は、正直いまいちなTシャツ。生地もデザインも・・・。(綿Tシャツにアイロンプリントしたみたいな)

↓写真が上手に撮れてなくてスミマセン



後述

まさかこの翌年(2009年4月)、同大会の20kmコース(上記のコースを単純に2周)に参加することになろうとは・・・

キャリパー ブレーキ用 チタン 製 ピボット ナット 17mm
横浜みなと部品
横浜みなと部品

【レース報告】第19回東京総合健保ミニマラソン大会(2008.03.02)

2009年06月05日 | その他大会
大会レポを記したいのですが、次回出走は秋以降の予定。とりあえず、これまで参加したマラソン・駅伝大会を順番に紹介したいと思います。

第1回目は、記念すべきデビューレース。

「第19回東京総合健保ミニマラソン大会」

会場:スポーツの森「大井陸上競技場」都立大井ふ頭中央海浜公園内
日時:2008年3月2日
種目:10km 男子35歳未満
※当日35歳でしたが、35歳以上の部は一緒に参加した後輩とスタート時間が異なったためこちらにエントリー

ちょっと変わった大会で、参加資格が「健康保険組合の被保険者及び大田区、品川区在住・在勤者」というものでした。
会場には、「電気」とか「通信」とか「信用金庫」といったそれぞれの組合のノボリが掲げられ、さしずめ「業界対抗レース」といった感じ。

ミニマラソンというくらいで小規模の大会でした。会場周囲の広めの一般歩道を3周半する周回コース、発着地点が陸上競技場内だったので多少の雰囲気は味わえました。



ファッションについて・・・、当時マラソン関連にお金をかけるという発想がなく、以前から家にあった普段履きのスニーカー(非マラソン用)、ユニクロTシャツ、同短パン。トホホ・・・。(今から思うと、よくこんな格好で走れたと思います。特にシューズは重いうえに、ボロボロ・・・。)

さて、レース本番です。
参加人数199人と少ないながら、速そうな面々ばかり。
(実際、以降に参加したレースよりもレベルが高かったです。会社の同好会といったグループが多数見受けられ、皆普段からかなり鍛えていそう。)
遠慮がちにスタートラインから下がって、一番後方から緊張しつつスタートしました。

競い合いながら大勢の方と一緒に走ったことなどなく、練習と違って自分のペースも見失いがちになるなど、非常にきつかった・・・です。

最後の1キロは完全にスタミナ切れで、かなりの人数に追い抜かれ悔しい思いもしました。

結果は、43分57秒(42位/199人中)

十分満足できるタイムでした。
「50分」くらいを目標にしたのですが、練習と本番とは違う!ってことを実感しました。最後バテなければもっと良いタイムが出せたかも・・・と欲張りな考えも。
が、実は本レース以降、現在まで10キロを何回か走ってますがこのタイムは良い方です。この辺が成長のピークだったのかもしれません・・・。

参加賞はシャンプー・ハンドソープセットと胸章バッチ。健保組合関連筋からの提供品なのでしょう。ただ、バッチはいつ、どこで使えば良いのでしょう・・・?

これ↓


終了後は、予め調べておいた平和島温泉クアハウスで打上げをしました。ビールが最高に美味かった

本レースの結果が自信(タイムより、完走できたこと)となって、以後数々の大会に出場するようになったのでした。