「モニュメント鎮魂の碑」
淡路島の 「北淡震災記念公園」 の憩いの広場にあるモニュメントです。
四国の彫刻家 流政之氏の作品で 「べっちゃないロック」 というそうです。
人工池の中に、石舞台と御影石を 「野面(のずら)積み」 にした
3基のピラミッドは、伝統工法を活かした石塚をイメージしているそうです。
この形(三角錐)には、“天に向かって平和を願う”
また、3基あるのは、“寄り添って助け合う” という意味があるそうです。
「“べっちゃない” と “べっちょない” 」
“べっちゃない” とは、
北淡路の方言で “たいした事はない” とか “大丈夫” という意味で、
“震災ぐらいでは負けない” という強い気持ちを表したものだそうです。
そう云えば、
姫路(播州弁)では、“べっちょない” と言います。
( 共に、“別条ない” から変化したものだと思います )
たとえば、
ケガや病気をした人に “べっちょないか(大丈夫か)?” と聞きます。
走っていて転んで足を擦りむき、少し血が滲んできた自分の足を見て、
大袈裟に泣いている子供に向かって、“そんなん、べっちょあるかい!”
“べっちょない!べっちょない!” というふうに使います。
この言葉、
大阪では使われていないことを嫁さんに言われて初めて気づきました。
私も大阪での生活が長くなりましたので、ほとんど播州弁を使わなくなりました。
もちろん、地元に帰ると、今もそこら中で使われてます。
特に、「灘のけんか祭り」 で有名な白浜町を中心とした浜側では未だに ・・・ 。
( ただ、若い世代はどうなのだろうか ・・・ ? )
ちなみに、高校時代の悪友(的形在住)がよく使う言葉は、
「なんどいや!?」 ・・・ “何だよ!?” ( 大阪弁で言えば、“なんやねん!?” )
「ごーわく(業が沸く)」 ・・・ “腹が立つ”
です。あまり綺麗な言葉ではありませんが、改めて方言はいいもんだと感じます。
何より、その地域の存在(環境)やそこで育った人の過程(個性)が見えてきます。
また、地元の人同士が方言でしゃべっていると、繋がりを感じたりもします。
北淡路の “べっちゃない” という言葉にも、地元・近所の人同士で支え合えば、
大丈夫(べっちゃない)!という気持ちが込められているのを感じます。それから、
野島断層の保存ゾーンを見学する前に、“震災の語りべ” でもある職員の方から
震災時のエピソードを聞いたのですが、倒壊した家の下敷きとなってたくさんの
方が亡くなられた阪神・神戸地域に比べて、震源地にほど近いこの北淡地域では
犠牲者がほとんど無かったそうです。それは、地域密着の防災ネットワークが
あったからだそうです。
要は、住民の多くが昔から消防(地域の消防団)に関わっており、震災直後から
多くの人が救助や捜索に動いたということと、それぞれの家に誰が住んでいて、
誰がどの部屋で寝ているかまで把握していたということです。この話を聞いた時、
犯罪から身を守るための 「個人情報保護」 という枠組みが、災害時には弊害と
なって自身の身に覆い被さったのだと感じて、背筋に冷たいものが走りました。
今一度、特に都会では、
地域や人との繋がりを見直す必要があると感じます。そして、それぞれの顔と
名前が見える付き合いをして、“べっちゃない?” “べっちゃない!” という声の
掛け合いができる地域コミュニティーを目指すべきかもしれませんね ・・・ 。
■ こんたく堵 ■
人助けなんて
誰もが、そう
出来るもんじゃない
何か起こってから
考えても、そう
動けるもんじゃない
それより、
日頃から近所で
おはよう!
こんにちは!
こんばんは!
ですね ・・・ 。
第五大成丸