
野間大坊は正式には鶴林山大御堂寺と言い、知多八十八か所霊場50番札所として多くの巡礼者が訪れます。お寺のホームページには、天武天皇の時代に阿弥陀寺として建立され、承暦年間(1077~1081)に白河天皇を祈願するために御堂寺となったと書かれている歴史のある真言宗のお寺です。そして何よりも、この野間大坊は、平治の乱で平清盛に敗れ、落ち延びる途中で謀殺された源義朝の墓があること有名で、鎌倉に住んでいる限り、一度は訪ねたいと思っていました。この場所は名古屋から50~60km位の距離で知多半島の先端近くにあります。行き方は名鉄電車を利用すれば名鉄知多新線の野間駅が最寄り駅。自動車なら名古屋高速道路、知多半島道路、南知多道路を乗り継いで約1時間。源義朝ゆかりの場所が野間大坊の周りに点在しており、電車で行くのはあまりお薦めできません。やはりマイカーかレンタカーを借りて行くほうが無難かと思います。
平治の乱で敗れた源頼朝主従は関東に落ちのびるのですが、追手から逃れるために東海道からはるかに離れた知多半島の野間の地が安全かと判断し、選びました。野間には側近である鎌田政家の舅の長田忠致がいて、義朝らを匿ってくれるはずでしたが・・・。
写真は大御堂寺本堂です。真言宗のお寺なのに本尊は阿弥陀三尊。境内には、源義朝の墓、義朝の首を洗ったとされる血の池、源頼朝が父の供養のために建立した五重塔跡などが野間大坊の境内にあります。
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