鎌倉建長寺の文化財
2015年9月29日(火曜日)。江ノ電沿線新聞の「日帰り鎌倉歴史散歩」に参加し、建長寺について勉強しました。講師は『内海恒雄』先生、鎌倉では名の知られた郷土史家です。この新聞のコラムを執筆しており、一度はお話をお聞きしたいと思っていました。
≪建長寺について≫
建長寺は、その山号を巨福山興国建長禅寺と言います。五代執権である北条時頼が建長五年(1253年)に南宋から呼んだ蘭渓道隆を開山として創建しました。
臨済宗の禅宗専門道場で、寺の名前に年号である「建長」を使っていることからも格式の高さがうかがえます。鎌倉幕府は北条時頼の頃がその富や権威が絶頂期ではなかったかと思われ、建長寺の七堂伽藍の姿は京の寺にも負けない威風を誇っていたようです。
さらに建長寺が建てられた場所は地獄谷と言われた刑場だったところであったとのこと。また鎌倉の寺院の山号には背後の山も名前が付けられ、建長寺の巨福山も実際にあります。
このような予備知識をもって建長寺を訪ねていただくと見方が変わるかと思います。
≪見どころ≫
◆まず「総門(惣門)」では扁額の「巨福山」の「巨」の字に点があります。これは百貫の値打ちがある百貫点と言われます。また総門と伽藍は直線状になってなくズレています。総門から中が見えないようにするためで、建長寺が城塞の役割も担っていた造りです。
◆「山門」。「三解脱門」と言われるもので、建長寺のものは江戸時代に再建されたもの。扁額と「建長興国禅寺」(伝後深草天皇筆)の建長の文字。
◆国宝の「梵鐘」。大旦那は北条時頼、撰題は蘭渓道隆、鋳物師は物部重光。高さ209㎝で重さ27t。見応えがあります。
◆「仏殿」。芝の増上寺崇源院(徳川秀忠夫人の霊所)移設したもの。立派な建物ですが、中の仏像も良いです。本尊の地蔵菩薩坐像、五体の伽藍神、千躰地蔵などで、私は何か親しみのある地蔵菩薩坐像が好きです。
◆「法堂」。小泉淳作による「雲龍図」、小泉淳作は京都の建仁寺の「双龍図」も手がけています。
◆「ビャクシンの木}。蘭渓道隆のお手植えと伝わるもので、実際に前に立つとそう思えてくるから不思議です。内海先生も価値ある木であると言ってました。見逃さないように。
この紹介記事とは別に数枚の写真も掲載しますのでご覧ください。
≪建長寺について≫
建長寺は、その山号を巨福山興国建長禅寺と言います。五代執権である北条時頼が建長五年(1253年)に南宋から呼んだ蘭渓道隆を開山として創建しました。
臨済宗の禅宗専門道場で、寺の名前に年号である「建長」を使っていることからも格式の高さがうかがえます。鎌倉幕府は北条時頼の頃がその富や権威が絶頂期ではなかったかと思われ、建長寺の七堂伽藍の姿は京の寺にも負けない威風を誇っていたようです。
さらに建長寺が建てられた場所は地獄谷と言われた刑場だったところであったとのこと。また鎌倉の寺院の山号には背後の山も名前が付けられ、建長寺の巨福山も実際にあります。
このような予備知識をもって建長寺を訪ねていただくと見方が変わるかと思います。
≪見どころ≫
◆まず「総門(惣門)」では扁額の「巨福山」の「巨」の字に点があります。これは百貫の値打ちがある百貫点と言われます。また総門と伽藍は直線状になってなくズレています。総門から中が見えないようにするためで、建長寺が城塞の役割も担っていた造りです。
◆「山門」。「三解脱門」と言われるもので、建長寺のものは江戸時代に再建されたもの。扁額と「建長興国禅寺」(伝後深草天皇筆)の建長の文字。
◆国宝の「梵鐘」。大旦那は北条時頼、撰題は蘭渓道隆、鋳物師は物部重光。高さ209㎝で重さ27t。見応えがあります。
◆「仏殿」。芝の増上寺崇源院(徳川秀忠夫人の霊所)移設したもの。立派な建物ですが、中の仏像も良いです。本尊の地蔵菩薩坐像、五体の伽藍神、千躰地蔵などで、私は何か親しみのある地蔵菩薩坐像が好きです。
◆「法堂」。小泉淳作による「雲龍図」、小泉淳作は京都の建仁寺の「双龍図」も手がけています。
◆「ビャクシンの木}。蘭渓道隆のお手植えと伝わるもので、実際に前に立つとそう思えてくるから不思議です。内海先生も価値ある木であると言ってました。見逃さないように。
この紹介記事とは別に数枚の写真も掲載しますのでご覧ください。