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【マチュピチュ】そうここはマチュピチュ! 第1弾

2010年04月25日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 むか~し、むかし、NHKで放送された『太陽の子エステバン』                 
 同年代で覚えてる人あんまりいないのが寂しいけれど、皆さんはご存知ですか???
 
                

 さて、旅行記はついに『マチュピチュ』でございます。




 『さぁ、ご覧。あれに見えるは【マチュピチュ】遺跡だよ。』
 
 

 『マチュピチュってなぁに~???』とのハイジの問い(?)を受け止め、

 
 ご説明いたします。

                
 

 海抜約2400mに、突如現れた『なぞの空中都市』、インカの『失われた都市』マチュピチュ

 

               『失われた都市』って響きがロマンを感じる~。



 いまや、ペルーの観光資源になっている、マチュピチュの建設は1450年ごろ。

 




 王の離宮、または宗教的な意味合いを持って建設されましたが、

 




 1540年ごろには、人々はマチュピチュを捨て忽然とどこかへと消えてしまいます。

 



 スペインの侵略後、『インカ最後の都市といわれるビルカバンバ』を、
 多くの人が血眼になって探しますが、マチュピチュは発見されず、

 



 1911年 映画『インディー・ジョーンズ』のモデルとなった考古学者の、ハイラム・ビンガム
 が、農家の子供パブロ君 に案内されて辿り着いたとされ、


 パブロ君が、最初に案内したのはマチュピチュの太陽の神殿だったといわれております。

 

 
 こうして、マチュピチュは400年もの長き眠りから覚め、今もなお謎多き世界遺産として、
 世界中の旅人達を魅了。

 

 ちなみに、ビンガムはその後1915年までマチュピチュを調査し、
 人骨、銅製品、銀製品、織物、土器など計4万8000点を発掘し、アメリカにお持ち帰り。

 ビンガムさんは1956年に81歳でお亡くなりになってますが、マチュピチュの遺産の多くは、

 今もアメリカのエール大学に保管されてまして、
 ペルー政府は返還を求めているそうですっ!

 
 調査のために調べるんは大事なことだと思うけど、調べつくしたんなら

 元あった場所(国)に返してあげるんが、発掘された物達も安らげるんじゃないんかな~。

 
 

 『マチュピチュ在住の鳥さん。あなたも、そう思わない???』

 




 前に、『インカ帝国(文明)』は文字を持たなかった。 と説明していたのに、

 『なぜ、情報があるん???』と疑問に思った方に、再びご説明。
           (これ、私も同じように疑問に思った。)




 インカは高度な文明を持っていましたが、最後まで文字を持たず、『キープ』と呼ばれる、

 『結縄』で、情報を記録し、伝達したそうです。


 『えぇぇ! 結縄でぇぇ!』

 と正直かなりの驚きですが、縄の太さや色、結び目の数、結び目の形を駆使して、

 人口などの数、年齢、月日から物の種類を記録し、キープを解読する

 キープカマヨックっと呼ばれる人たちが居たそうです。





 キープに記録できない歴史とかは、さらに記憶する専門家がいて口伝したそうです。

                  

 あれだけ、高度な技術を持った帝国なのに、

『絵とか、文字とかで残したほうが(伝えたほうが)早くない???』と、

 誰一人思わなかったことが、不思議。。。
 
 口伝って方法は、人々の信頼関係が強く結ばれてなきゃできないことだと思う。

 なんか、ちょっとうらやましい文明です『インカ帝国』。





 のんびりマチュピチュ散策、まだまだ次回へ続きま~す。