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活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

バックシンガーの生きる道、映画『バックコーラスの歌姫たち』を観た

2014年07月11日 | インポート

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  当時妊娠していたメリー・クレイトンは、深夜にローリング・ストーンズというバンドが、黒人の女性シンガーを探していると電話で依頼を受け、向かったレコーディング・スタジオで「ギミー・シェルター」のレイプと殺人の歌詞の部分を歌ってほしいと頼まれたという逸話は、ファンの間ではとても有名な話である。
  何度も録り直しを行ったメリー・クレイトンがその時思ったそうだ。
  「終わったら、"ぶっ飛ぶわよ"」と。
  結果、メリーの思った通りになった。
  夜中からレコーディングをはじめて、朝にはスゴイものが出来上がっていた。
  僕たちはそのスゴイものをローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード』で聴くことができる。
  バッキング・ヴォーカルは、ソロより目立ってはいけないというルールがある。だが、ロックの時代は彼女らに対してとても寛容だ。
  だから、生き延びた。
  そう語るのは、グロリア・ジョーンズだ。
  バッキングは複数で歌うことが多く、そのため、お互いが個性を消しあい、仲間に合わせることが求められる。ソロは、前へ前へ。バッキング・ヴォーカルはあくまでソロの引き立て役に徹するのみだ。Mv5bmtqxndy2njmwnf5bml5banbnxkftz_2
  自身の初ソロ・アルバムでグラミー賞を受賞したリサ・フィッシャーが、どうしてセカンド・アルバムを出さなかったか、あるいは出せなかったかについてはずいぶん長い間謎であった。
  結局のところ、コーラス出身のシンガーが、ソロでやっていくのは、とても難しいことが、『バックコーラスの歌姫たち』を観ていてよく分かった。
  このドキュメント映画『バックコーラスの歌姫たち』は、才能がありながら、不遇な境遇に置かれたシンガーたちにスポットを当て、華麗な音楽業界の裏方として活躍し、今では、スター同然にその名を知られるようになった彼女らの生きざまをインタビューを交え解説していく。
  大きな括りとしては、まず、ソロでも十分やっていける実力者ながらレコードを出してもまったく売れない現実に挫折し、一方は、夢を諦め、歌手とは別の人生を歩み始め、一方ではバックシンガーに甘んじながらいつかはソロへ転向しようと現在の立場を守っている、そんな彼女らの赤裸々な姿をカメラは余すところなくとらえていく。
  90年代に入ってレコーディングにバックコーラスを使わないシンガーが増え、彼女たちは一様に仕事が激減していった。
  そんな彼女らを再び呼び寄せたのは、ジョー・コッカーやローリング・ストーンズなどの本物志向のシンガーやグループだった。
  あのマイケル・ジャクソンの『ディス・イズ・イット』にバックシンガーとして参加し、一躍脚光を浴びたジュデス・ヒルは、マイケルの葬儀でその抜群の歌唱力を披露した。
  本人も再びバックシンガーに戻ることを拒否続けていたにも関わらず、のちにカイリー・ミノーグのコンサートでこっそりバックを務めていたのがばれて、ファンにいろいろツイートされたらしいが、本人曰く、あくまであれは副業のつもりだったと答えている。
  この辺りはこの業界をソロでやっていく難しさなのだろうか。
  この映画の面白さは、バックシンガーを生業にしてその立場を誇りに思って、あわよくば、その実力ゆえに、チャンスを生かし生き残っていくある種、業のようなものが見え隠れしているところだ。
  それは、メリー・クレイトンにも、ジュデス・ヒルのインタビューにも垣間見ることができる。
  個人的にはストーンズつながりで、メリー・クレイトンやリサ・フィッシャーのインタビューが聴けたことがよかった。
  それにしても、リサは、ずいぶん髪を短くしたよな。

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YouTube: Twenty Feet From Stardom Official Trailer 1 (2013) - Music Documentary HD


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