2月13日(水)マルコ1;1~40
冒頭に引用されているイザヤ40;3を一緒に読んで
じじに簡単に説明した。
「イスラエルの民族は
大昔から近隣の大国から侵略され支配されていた。
エジプト、バビロニア、アッシリア、ペルシャ、ローマ。
人々はいつか"救い主"が現れて
自分達を苦しい抑圧された生活から救ってくれる事を
切実に待ち望んでいたのさ。」
「ほぉ。」
「キリストが生まれる何百年も前から
神様の言葉は預言者を通して語られていた。
イザヤは神の言葉を預かって語る預言者の一人。
イザヤはその時代の独裁者マナセ王によって
斬首刑で殺されたんだよ。
マナセにとっては都合の悪い預言で邪魔だったのさ。」
「へぇ。」
「イザヤに預言された救い主がイエス・キリストであると
私達は信じているんだよ。
お父さんも洗礼式の時には
イエス・キリストを救い主と信じますと告白して
洗礼を受けるんだよ。」
「そうか。なるほど。」
実は数日前、
じじは私にこんな質問をしていた。
「洗礼を受けるには、いくら払えばいいのだ?」
「お父さん洗礼をお金で買えると思ってるの。
とんでもない誤解だそれは。
洗礼にお金は要らない。」
「そういう意味ではない。
しかし何もなしと言う訳にはいかんだろう。
相場はいくらくらいだ。
細川ガラシャは百両持って伴天連を訪ねたと
三浦さんの本に書いてあるぞ。」
「バテレンて・・・・orz
お金をいくら積んでも洗礼は買えないよ。
これから生まれて来る赤ん坊が
僕の出産費用いくら払えばいいですかと聞くのと
同じくらい変だ。
献金の意味は牧師先生が後で教えてくれるから
その時聞いてみなよ。」
じじが洗礼を受けると言い出して、
しばらくこんな会話をしていたのだった。
そこで、マルコ。
悔い改めて洗礼を受ける。
「イザヤの預言では
救い主が来る前に、
道を整える者が現れると言われている。
それがバプテスマのヨハネだよ。
道を整えるとは、
人々が罪を心から悔い改めて
神様に立ち返る事だからね。
悔い改めて洗礼を受けるって事は、
そういう意味だよ。」
「ほぉ。」
「つまりお金捧げるんじゃなくて
悔い改めた魂を捧げないとならないのさ。」
「そうか。」
「イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた。
そしたら鳩が飛んで来て留まるみたいに
聖霊がイエスに降って来て、
天から父なる神様の声がしたんだと。」
「ほー」
「"あなたは私の愛する子、・・・"
イエス・キリストは天の父なる神の一人子だよ。」
「・・・」
「お父さん起きてる?」
「ん。」
「洗礼を受けた後、
イエスは荒れ野で40日間断食して祈って、
悪魔の誘惑に打ち勝った。」
「へぇ。」
「だからさ、お父さん。
洗礼を受けて何もかも万々歳ではないのさ。
誰にでも洗礼を受けた後に試練は来る。
試練は乗り越えなければならないのさ。」
「そうか。そうだな。」
じじ、感心して頷いてるけど
わかってんのかな本当に。
「で、悔い改めよって言ったバプテスマのヨハネが
当時の権力者に逮捕されたのさ。
イエスは宣教活動を始めた。
弟子達を連れて歩いた。」
「ふぅん。」
「イエスの弟子になった人達は皆、
貧しい漁師とか軽蔑されてた税金取りとか
特別に何かの才能があった訳ではないし
人間的にも信仰的にも優れてた訳ではない、
貧しい、力の無い目立たない人達ばかりだよ。」
「そうか。」
「それと、
弟子たちの方から"師匠、弟子入りさせて下せぇ"って
志願して弟子入りしたのではなかったんだよね。
イエスの方から一人一人を呼んで、招いた。
彼らはそのイエスの招きに応えて
自分の仕事や生活を置いてイエスについて行った。」
「ほぉ。」
「お父さんも招かれてんだよ。
私達は神様に招かれなかったら
自分の方から行く事は出来ないのさ。
お父さんの方から神様を選んだのではなくて
神様がお父さんを呼んでるのさ。」
「ほぉ。そうか。」
「牧師先生もそうだったって。
昔、牧師先生が若い頃、
信仰の道に入ってさらに牧師になる決心をした時、
親戚皆から猛反対されたんだって。
だってそうだよね。
黙ってそのまま働いていれば
恩給も出ただろうし蓄財も出来たろうし
出世もしたかも知れない。
それを全部置いて、
牧師先生はイエスの招きに従ったんだよ。
それも決して楽な道程じゃないのね。」
「うーむ・・・」
じじ、考え込んでるぞ。
「イエスはそれから、
ユダヤ教の教会で説教したりしてたけど、
今で言う精神病の人や重病人の病気を
次々に癒したんだって。
それで人々がたくさん集まって来て騒ぎになった。」
「へぇ。」
「ここでらい病人が出て来るけど
ここでいうらい病って、
昔は伝染病医学なんか無くて、
ユダヤ教の坊さんが医者も兼業していたのさね。
それで、
皮膚に現れる異常は天然痘や水疱瘡もハンセン氏病も
ただの湿疹や水虫も、何でもかんでも十把一絡げに
一緒くたに"汚れたもの"とされて
社会からも家族からも追い出されて絶縁された。
汚れた者に触った者も汚れるとされていたからね。」
「昔は医療と言うものが無かったからなぁ。」
「そうなのさ。
でもここでイエスは
自分からこのらい病の人に触ってるよね。
ここが大事なのさ。
汚いとか気持ち悪いとか伝染すると言われている病人に
イエスは自分の方から手を差し伸べて触った。
そしてこの病人は癒された。
イエスはそういうお方なのさ。」
「なるほどな。」
「お父さんわからない事とか、何かない?」
「ないなー。」
「感想とかは?」
「いろいろと、
考えてもなかったな事があるもんだなぁ。」
なんじゃー
そんだけかい。
この後、しばし珈琲を入れ、
近所の菓子屋の一番小さいケーキを切って
じじの誕生祝いをした。
しばらくいろいろ話して
今月中に、日勤の日の仕事帰りは
一緒にマルコを読むために私はじじ宅に通う事とした。
じじは聖書を読む事に対して予想外に意欲的で、
珍しく聞きの体勢に徹している。
牧師先生が来て下さる時は
自分の喋りたい話ばかりべらべらと
牧師先生が口を挟めないほど喋るのに。
今後の日程を立てて勤務表とカレンダーに印をつけた。
2月は今日13から14、15、16、17の5日間、
その後4日間は遅番、夜勤入り、明け、休み。
休みの翌日は日勤なので無理せず。
それからまた21、22、23、24、25の5日間、
その後2日間夜勤の入りと明け、
28の休みは翌日が遅番なので大丈夫、出来る。
29は遅番。
一日1章読むと2月中に10章まで進む。
3月は受難週に有給休暇を4日間消化する。
申請出したけど上司はダメとは言わなかったな。
じじがケーキ食べている間に
主の祈りをA4の紙に大きく手書きした。
食べ終わって珈琲飲んで
再び主の祈り。
最後に感謝の祈りをしてお開き。
がんばろう。
冒頭に引用されているイザヤ40;3を一緒に読んで
じじに簡単に説明した。
「イスラエルの民族は
大昔から近隣の大国から侵略され支配されていた。
エジプト、バビロニア、アッシリア、ペルシャ、ローマ。
人々はいつか"救い主"が現れて
自分達を苦しい抑圧された生活から救ってくれる事を
切実に待ち望んでいたのさ。」
「ほぉ。」
「キリストが生まれる何百年も前から
神様の言葉は預言者を通して語られていた。
イザヤは神の言葉を預かって語る預言者の一人。
イザヤはその時代の独裁者マナセ王によって
斬首刑で殺されたんだよ。
マナセにとっては都合の悪い預言で邪魔だったのさ。」
「へぇ。」
「イザヤに預言された救い主がイエス・キリストであると
私達は信じているんだよ。
お父さんも洗礼式の時には
イエス・キリストを救い主と信じますと告白して
洗礼を受けるんだよ。」
「そうか。なるほど。」
実は数日前、
じじは私にこんな質問をしていた。
「洗礼を受けるには、いくら払えばいいのだ?」
「お父さん洗礼をお金で買えると思ってるの。
とんでもない誤解だそれは。
洗礼にお金は要らない。」
「そういう意味ではない。
しかし何もなしと言う訳にはいかんだろう。
相場はいくらくらいだ。
細川ガラシャは百両持って伴天連を訪ねたと
三浦さんの本に書いてあるぞ。」
「バテレンて・・・・orz
お金をいくら積んでも洗礼は買えないよ。
これから生まれて来る赤ん坊が
僕の出産費用いくら払えばいいですかと聞くのと
同じくらい変だ。
献金の意味は牧師先生が後で教えてくれるから
その時聞いてみなよ。」
じじが洗礼を受けると言い出して、
しばらくこんな会話をしていたのだった。
そこで、マルコ。
悔い改めて洗礼を受ける。
「イザヤの預言では
救い主が来る前に、
道を整える者が現れると言われている。
それがバプテスマのヨハネだよ。
道を整えるとは、
人々が罪を心から悔い改めて
神様に立ち返る事だからね。
悔い改めて洗礼を受けるって事は、
そういう意味だよ。」
「ほぉ。」
「つまりお金捧げるんじゃなくて
悔い改めた魂を捧げないとならないのさ。」
「そうか。」
「イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた。
そしたら鳩が飛んで来て留まるみたいに
聖霊がイエスに降って来て、
天から父なる神様の声がしたんだと。」
「ほー」
「"あなたは私の愛する子、・・・"
イエス・キリストは天の父なる神の一人子だよ。」
「・・・」
「お父さん起きてる?」
「ん。」
「洗礼を受けた後、
イエスは荒れ野で40日間断食して祈って、
悪魔の誘惑に打ち勝った。」
「へぇ。」
「だからさ、お父さん。
洗礼を受けて何もかも万々歳ではないのさ。
誰にでも洗礼を受けた後に試練は来る。
試練は乗り越えなければならないのさ。」
「そうか。そうだな。」
じじ、感心して頷いてるけど
わかってんのかな本当に。
「で、悔い改めよって言ったバプテスマのヨハネが
当時の権力者に逮捕されたのさ。
イエスは宣教活動を始めた。
弟子達を連れて歩いた。」
「ふぅん。」
「イエスの弟子になった人達は皆、
貧しい漁師とか軽蔑されてた税金取りとか
特別に何かの才能があった訳ではないし
人間的にも信仰的にも優れてた訳ではない、
貧しい、力の無い目立たない人達ばかりだよ。」
「そうか。」
「それと、
弟子たちの方から"師匠、弟子入りさせて下せぇ"って
志願して弟子入りしたのではなかったんだよね。
イエスの方から一人一人を呼んで、招いた。
彼らはそのイエスの招きに応えて
自分の仕事や生活を置いてイエスについて行った。」
「ほぉ。」
「お父さんも招かれてんだよ。
私達は神様に招かれなかったら
自分の方から行く事は出来ないのさ。
お父さんの方から神様を選んだのではなくて
神様がお父さんを呼んでるのさ。」
「ほぉ。そうか。」
「牧師先生もそうだったって。
昔、牧師先生が若い頃、
信仰の道に入ってさらに牧師になる決心をした時、
親戚皆から猛反対されたんだって。
だってそうだよね。
黙ってそのまま働いていれば
恩給も出ただろうし蓄財も出来たろうし
出世もしたかも知れない。
それを全部置いて、
牧師先生はイエスの招きに従ったんだよ。
それも決して楽な道程じゃないのね。」
「うーむ・・・」
じじ、考え込んでるぞ。
「イエスはそれから、
ユダヤ教の教会で説教したりしてたけど、
今で言う精神病の人や重病人の病気を
次々に癒したんだって。
それで人々がたくさん集まって来て騒ぎになった。」
「へぇ。」
「ここでらい病人が出て来るけど
ここでいうらい病って、
昔は伝染病医学なんか無くて、
ユダヤ教の坊さんが医者も兼業していたのさね。
それで、
皮膚に現れる異常は天然痘や水疱瘡もハンセン氏病も
ただの湿疹や水虫も、何でもかんでも十把一絡げに
一緒くたに"汚れたもの"とされて
社会からも家族からも追い出されて絶縁された。
汚れた者に触った者も汚れるとされていたからね。」
「昔は医療と言うものが無かったからなぁ。」
「そうなのさ。
でもここでイエスは
自分からこのらい病の人に触ってるよね。
ここが大事なのさ。
汚いとか気持ち悪いとか伝染すると言われている病人に
イエスは自分の方から手を差し伸べて触った。
そしてこの病人は癒された。
イエスはそういうお方なのさ。」
「なるほどな。」
「お父さんわからない事とか、何かない?」
「ないなー。」
「感想とかは?」
「いろいろと、
考えてもなかったな事があるもんだなぁ。」
なんじゃー
そんだけかい。
この後、しばし珈琲を入れ、
近所の菓子屋の一番小さいケーキを切って
じじの誕生祝いをした。
しばらくいろいろ話して
今月中に、日勤の日の仕事帰りは
一緒にマルコを読むために私はじじ宅に通う事とした。
じじは聖書を読む事に対して予想外に意欲的で、
珍しく聞きの体勢に徹している。
牧師先生が来て下さる時は
自分の喋りたい話ばかりべらべらと
牧師先生が口を挟めないほど喋るのに。
今後の日程を立てて勤務表とカレンダーに印をつけた。
2月は今日13から14、15、16、17の5日間、
その後4日間は遅番、夜勤入り、明け、休み。
休みの翌日は日勤なので無理せず。
それからまた21、22、23、24、25の5日間、
その後2日間夜勤の入りと明け、
28の休みは翌日が遅番なので大丈夫、出来る。
29は遅番。
一日1章読むと2月中に10章まで進む。
3月は受難週に有給休暇を4日間消化する。
申請出したけど上司はダメとは言わなかったな。
じじがケーキ食べている間に
主の祈りをA4の紙に大きく手書きした。
食べ終わって珈琲飲んで
再び主の祈り。
最後に感謝の祈りをしてお開き。
がんばろう。