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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-25 22:30:48 | 主の祈り
じじは
デイケアの囲碁仲間数人が
最近休みがちだとつまらなそうに言う。
風邪流行ってるからね。
緑茶でうがいしなさいよ。
予防が肝心なんだから。


いつものように主の祈りを読み上げる。
私が手書きした紙、くたびれてきたな。


それにしても
紙を見ながらでも
すらすら言葉が出て来てる。
継続は力、だなぁ。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-24 22:10:55 | 主の祈り
夜8時からじじは大河ドラマを見るので
私は日勤の後、
自宅に戻らずじじ宅に直行して、
約1時間早くテーブルに着いた。


「今日、教会どうだった?」


「いつもとおんなじだ。」


「・・・・o(#-"-)o=3
 (いつもとどんな風におんなじなんじゃ!!!)」


さて、
早く始めて早く終われるぞ。
私は明日も日勤だ。


主の祈り。
じじ、
だんだん読み方が滑らかになってきた。
まだ暗誦するには至らないけど。


不思議なのは、
じじがこの主の祈りを読む時だけは
昔の小学一年生みたいな
嬉しそうな表情をする事。
教会通いを始めた時もそうだったけど
"げーめんどくせぇ"という表情をしない。
何でだろう?

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-23 22:36:46 | 主の祈り
今日はひどい吹雪だ。
雪はパウダースノーで吹き溜まりが出来ている。
風が強い。


今日もじじ宅で主の祈りから始める。
昨日ほどではないけど
やはりだんだん覚えてきたのか
スムーズに言葉が出て来ている様子。


「何だかだんだん覚えてきたな。」


そうだよ。
じじ、まだ今日で7回めなのに
結構スラスラ読んでいる。


「見ないで言うのはまだ出来ないな。」


「焦らなくていいよ。
 自然と覚えるから。」


そう。
今日はまだ7回めなんだよ。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-22 22:35:37 | 主の祈り
今日、じじ宅に行くと
じじは既にテーブルに着いて聖書を前に置いていた。
夕方のヘルパーさんがちょうど帰る頃だった。
この人は教会の同行には付かないが、
じじの話をよく聞いてくれて
楽しく盛り上げてくれて話に花が咲く。
じじはおかげでよく笑うようになった。


「洗礼を受けたいと言うので
 先日から一緒にお祈りを覚えたり
 聖書読んだりしてるんですよ。」


「へぇ~すごいですねぇ。」


じじ、
ヘルパーのリアクションに
俄然やる気満々の顔つきをしている。


・・・・・・┐( `_´)┌ =3


そのおかげか、
今日の主の祈りはやたらと流暢だぜ。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-21 22:15:19 | 主の祈り
4日ぶりで
じじ宅にて一緒に主の祈りを唱える。
じじ、紙を見ないと主の祈りは無理なんだけど
ずいぶん自信持ってすらすら読めるようになった。


マルコが終わったらさ、
主の祈りの中身を、
私が教会で教わってきた事から教えよう。


これまで教会でしてきたいろんな学びも
こんな所で役立つんだなぁ。
ノート取っといてよかった。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-16 22:01:28 | 主の祈り
今日も日勤の後にじじ宅にてマルコを読んだ。
聖書を開く前に、
いつものように主の祈り。
じじは私がA4の紙に手書きした主の祈りを手に取り、
声に出して朗読する。
ところどころ噛んだりつっかえたり読み損なったりする。


私が珈琲の湯を沸かす間、
じじは3回主の祈りを朗読した。
突然じじが
主の祈りを書いた紙を見てぽつりと言った。


「これ、
 見ないですらすら言えるようになったらいいなぁ。」


焦る必要は全然ないよ。
まだ今日で4回目だし、
たった4回にしては上出来だと思うよ。


じじはまだ
諳んじて祈るという余裕もなく
小学生の国語の授業のように音読するのが精一杯だ。


もちろん
主の祈りの一字一句の意味を
私は掘り下げて説明などしていない。
本当は主の祈りの中身をもっと詳しく
話してやる方が親切かも知れないけど、
一度にあれもこれもするのは私には無理。
じじにとっても
詰め込み教育みたいになってしまいかねない。


私の出来る範囲で出来るところまで
仕事帰りの時間を1、2時間裂いて
一緒に聖書を読んで分かち合う事と
一緒に主の祈りを唱える事を
じじが自分の日課とするところまでを目標に
地味に進もうとしている。


じじの願いは近いうちに叶えられるよ。
主の祈りをすらすらと
自分の口で唱える事が出来るようになったら
すごいよ。じじ。
礼拝で教会の皆が主の祈りを唱える時、
今まではぼーっと蚊帳の外にいたのが
皆と一緒に主の祈りを唱える事が出来るようになるんだよ。
祈りの輪の中にじじも入る事が出来るのさ。


受験生みたいに暗記する事は全然重要ではないし
覚えたからといって偉くなれる訳でもない。
でもこれは大事な祈りだよ。
主の祈りを皆と一緒に唱えて
神様に向かって皆と一緒に心を合わせる事が大事なのさ。


「これ、
 見ないですらすら言えるようになったらいいなぁ。」


「大丈夫。
 すぐ覚えられるよ。」


「どうだかなぁ」


「何回も唱えているうちに自然と覚えられるよ。
 日課にしたらいいよ。
 朝、目が覚めた時と
 夜、寝る前と、
 一日3回食事の前には必ず主の祈り。
 これだけでも一日5回。
 一ヶ月、一年と続けて
 来年の今頃は、教会の礼拝の時には
 紙なんか見ないですらすら
 自然と言葉が出て来るようになるよ。」


「そうかなぁ」


「弟子達も祈り方がわからなかった。
 それでイエス様が教えて下さったのが
 この祈りだよ。
 主イエスが教えて下さったから
 "主の祈り"なんだよ。」


「へぇ~」


じじ、
明日、私は遅番の仕事で夜は来られない。
じじが教会に着く頃に私は出勤する。
教会に行って皆に会って来てよ。
よろしく伝えて来て。


「うむ。
 わかった。」

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-15 22:05:45 | 主の祈り
今日も日勤の後、じじ宅でマルコの続きを開いた。
「さ、始めよう」と言ってテーブルに着いた。
前回私が紙に書いた主の祈りをじじに持たせると、
じじの口からスムーズに主の祈りの言葉が出てきた。
読む事も声を出す事も、憶える事も、
一日一日、じじは進歩している。


今度の日曜日に礼拝で
皆で主の祈りを唱える時、
じじは自分の進歩に気づくだろう。
いずりそのうち、
見なくても主の祈りを唱える事が出来るようになる。
主の祈りの意味も理解するようになる。
そして
自分の心の奥底から
自分の言葉で
主なる神に祈りを捧げる事が出来るようになる。
教会の皆と一緒に祈る事も出来るようになる。
これは私の欲目や甘い期待ではないと思う。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-14 22:15:40 | 主の祈り
昨日、
じじが初めて声に出して主の祈りを唱えたが
声にするだけで精一杯、
自意識が邪魔してうまく読めないでいるのがわかった。


今日、二日目にして
じじは昨日よりも自然に自分の声に出して
主の祈りを唱えていた。
言葉が昨日よりも落ち着いて
スピードもあってスムーズに発語出来るのは
昨日2、3回唱えて見て慣れたのか
主の祈りの言葉の一つ一つをだんだん覚えてきたのか
どうなんだろう?


78歳の高齢であっても
一日で新しい事を習得する事は可能だ。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-13 22:23:34 | 主の祈り
聖書を読む前にお祈りをする。
といっても
じじはまだ祈るという行為にすら馴染んでいない。
どう祈ったらいいかもわからない。
だから、主の祈り。
教会の週報の裏に印刷されているので
一緒に声を出して読んでみた。
使徒信条も読んでみた。


・・・・・(;-_-)・・・


どうもいまいちなんだなこれが。
何故なら印字が小さ過ぎて
じじにとってはルーペを使っても読み難い。
とりあえずA3の紙に手書きしてみた。
今度は読めるみたいだ。


使徒信条も読んでみたけど
じじにとっては難易度高いな。
では、
聖書を読む前と読んだ後に主の祈り。
じじが自分の言葉で
自然に祈る事が出来るようになるまで。


この『主の祈り』は、
祈りを教えて下さいと言った弟子達に、
主イエスが教えてくれた祈りだと説明した。
じじ、やたらと感心していた。

主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2007-04-28 23:54:57 | 主の祈り
『主の祈り』を唱えてまたいろいろ考える。


洗礼受けて15年経ったが
何年経っても
信仰の原点に
本来自分があるべき心のあり方に
立ち返ろうとする時は
いつも必ず『主の祈り』。


洗礼式から間もない頃、
私に洗礼を授けて下さった牧師先生が言われた。


「私達は
 洗礼を受けて
 キリスト者として完成したのではありません。
 不完全な罪人のまま
 神様からの一方的な憐れみによって救われた。
 私達は一生涯かけて
 キリスト者になっていくんです。」


私達は
一生涯かけてキリスト者になっていく・・・orz
15年間の間に
私はいくらかでもキリスト者になって来れたのかな。
道程は遠い。


祈る事が出来ない時も
自分の願いすらわからない時も
八方塞がりの時も
途方に暮れた時も
人を許せない時も
自分を許せない時も
追いつめられた時も
生きるのが嫌になった時も


何年経っても
信仰の原点に
本来自分があるべき心のあり方に
立ち返ろうとする時は
いつも必ず『主の祈り』。

南の島(マタイ6;9~13)

2006-09-09 16:41:41 | 主の祈り
天におられる私達の父よ、
御名が崇められますように。


御国が来ますように。


御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。


私達に必要な糧を今日与えて下さい。


私達の負い目を赦して下さい。
私達も自分に負い目のある人を赦しましたように。


私達を誘惑に遭わせず、
悪い者から救って下さい。


                   (マタイ6;9~13)


救急病院の外科で病棟勤務をする事になって
患者さんの生々しい戦争体験を聞かされた事がある。


私達にその話をしてくれたKさんは、
第二次世界大戦中に南の島で地獄を味わい、
その体験を元に自分で手記を出版していた。
Kさんはその手記を家族に持って来させ、
ベッドサイドに置いていた。
腹痛と嘔吐とショックで搬送されて来たKさんは
直腸癌だった。
既に進行し過ぎていて切除不能。
手術は消化管バイパスのみだった。


KさんがICUから出て来た最初の晩、
私は深夜の勤務だった。
Kさんの受け持ちは先輩だった。
出勤して申し送りを受け、
最初にまずKさんの部屋に入って絶句した。
Kさんはベッドサイドに仁王立ちになって
手首の動脈ラインをわし掴みにして、
私達の目の前で一瞬のうちに引き抜いた。
動脈血が壁や天井に吹き上がった。
慌てて手首を押さえているうちにKさんは反対の手で
鼻から差し込まれていたバルーン付きの太いチューブを
引き抜いた。(バルーンも膨らんだまま!)
手術で縫ったばかりの腹の傷のガーゼは尻の下に敷かれ、
腹に差し込まれたドレーンが露出していた。
先輩が叫んだ。
「ジブがない!」
背骨の硬膜外に留置して
鎮痛目的に麻酔剤を流す細いカテーテルの先には、
麻酔剤を100ml入れた卵形の、
当時よく使われていた「ジブ」という注入器が
つながっていたはずだった。
背中には細いチューブだけが虚しくぶら下がっていた。
ジブは後になって床頭台の引き出しの中から
コロコロ・・・と発見された。
造設されたばかりの人工肛門のパウチも
剥されて何処かに行ってしまっていた。


外科医を呼んで処置をした。
硬膜外カテーテル、経鼻胃ゾンデ、経鼻イレウス管、
中心静脈ライン、末梢静脈ライン、動脈ライン、
手術の傷のガーゼ、人工肛門のパウチ、
膀胱に留置した排尿カテーテル。
Kさんはあれもこれも自分で毟り取ってしまって、
唯一抜かれずに残っていたのは中心静脈ラインと
膀胱に留置された排尿のチューブだけだった。
中心静脈ラインには
抗不整脈剤や降圧剤の精密持続注入器が
何台もつながっていた。
もし抜いたら急変の危険も起こり得る。
外科医の怒りが爆発した。
「看護婦は一体何を見ていた!絶対に目を離すな!」
だからといって
夜勤の受け持ち患者は外科だけで20人以上いる。
混合病棟だったので循環器内科の患者も合わせると68人。
夜勤の看護師は3人。
Kさん一人をじっと見張っている訳には行かない。


Kさんは
苛立ったり興奮してチューブを抜く訳ではなかった。
自分の身体にくっ付いている異物への
知的関心と違和感から興味津々で触っているうちに
引っ張って抜いてしまうのだった。
そんな人をベッド上にヒモで縛り付けるなどは論外だ。
抑制帯で縛って興奮させるよりも
話し相手をして関心を逸らす方が良い。
「中心静脈だけは絶対に守らなきゃ!」
そう言って先輩は車椅子に乗せたKさんを連れたまま
各病室を巡回した。
それでも少し目を離した隙に
Kさんは人工肛門のパウチを剥し、
腹の表面に出た結腸の断端を留めるロットを引っ張り、
尿の管を引っ張って
「これ、なかなか抜けないんだよねぇ」
と、事も無げに明るく笑っていた。


一足先に自分の仕事を片付けた私は
先輩に代わってKさんを連れて戻り、
温度板整理と記録に取り掛かった。
外からは既に朝日が差し込んで、
厨房から患者さん達の朝食を積んだ台車が
味噌汁の匂いと共に運ばれて来た。
「僕は、まだ何も食べられないのかな。」
Kさんは空腹を訴えた。
まだ手術から3日しか経っていないので
もう少しの我慢だと話すと、Kさんはあっさり納得した。
Kさんは自分の著作を大事そうに持っていた。


「井上さん、これ、僕が書いたんだ。読んでみてよ。
 この本の事でNHKが取材に来た事もあるんだ。
 それにしても腹へったなあ。」
それはKさんの南の島での戦争体験の手記だった。


「今はまだ水も飲めないから、辛いでしょう。」

「そうだねえ。」


Kさんの話を横耳で聞きながら私は看護記録を書いた。
Kさんは旧帝国陸軍にいたという。


「出征してしばらくは上海にいた。
 その時に歌手の李香蘭が慰問に来たよ。
 李香蘭、ナマで見たんだ。
 綺麗だったねえ。
 李香蘭はリコウランではなくて、
 リー・シャンランて読むんだよ。
 でも上海には少しの間しかいなかった。」


私は看護記録を書きながら李香蘭の歌を歌った。
Kさんは機嫌よく一緒に歌ってくれた。
カテーテルから気を逸らせる事が出来た。
「紅い睡蓮」
「蘇州夜曲」
「夜来香」


「井上さん、上海に行った事ある?
 いい所だったよ。上海は。
 その後僕達は南方に行かされてさ。」


南の島。
それはまさにこの世の地獄だった。
第二次世界大戦末期に、
島に取り残されたKさん達は
水も食糧も無い熱帯の島で飢えて彷徨った。


「上官の奴がさ、
 頭が変になって部下を撃ち殺してさ、
 肉を食ったんだよ。
 何だか一人いない、二人いないって思ってたら
 撃ち殺されて食われてた。
 病気の奴は殺されないんだ。
 病気の奴の肉なんか食ったら病気が感染っちゃうから。
 皆マラリアとかさ、病気に罹った奴が一杯いたからね。
 食う方だって自分が生き延びたい訳だからさ、
 元気そうな奴が狙われた。
 狙われて野営地から離れた所で撃ち殺された。
 本当の話だよ。
 僕達はさ、飢えて腹へったら何だって食ったよ。
 そこいらの草でもネズミやヘビや・・・
 虫なんかでも食った。
 ムカデとかも。」

「ムカデ?焼いて食べたんでしょう?」

「いいやまさか。焼いてる暇なんかないよ。」

「でも、ムカデって噛むでしょう?」

「相手も噛むかも知れないけどさ、
 こっちも腹へってるから噛まれる前に食ったよ。」

「生で食べたんですか。」

「そう。」

「味は?」

「美味いも不味いも無いけど、まあ、
 マシな方だったんじゃないかな。」

「・・・」

「一番美味しくなかったのは、蛆だね。
 死体に湧いてる蛆。」


Kさんはあの時何を思っていただろう。
草木も小動物も虫も何もかも食べ尽くし、
人間が人間を喰うほどの極限の飢えを
若い頃に体験した人が私の目の前で
一緒に李香蘭の歌を歌いながら、
消化管に出来た癌のため絶飲食に耐えていた。
歌を歌って耐えていた。


早々と出勤して来た外科医が隣で
私達の会話を聞いて固まっていた。
その手に指示表があった。
“水分摂取OK。
 今日は一日200mlまで。
 嘔気出現時Dr call。
 嘔気無ければ明日以降増量可能。”


「水でいいんだ。
 一口だけでいいから飲みたいなあ。
 贅沢は言わないから。」

「Kさん、今一番飲みたいのは何?
 もし許可が出たら、最初に何が飲みたい?」

「バーボン。」