後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

童謡詩人金子みすゞの童謡詩

2018年03月31日 | 演奏会

3月18日長野市芸術館リサイタルホールで,声楽家で作曲家の山崎浩(現清泉女学院短期大学教授)氏作曲の金子みすゞ童謡と、本人作詞作曲作品の演奏会があった。
出演者は山崎浩氏本人、並びに声楽家の沼田秀美(ソプラノ)・上村まり子(メゾソプラノ)で、上村まり子は長野市童謡と唱歌を愛する会の長野市芹田支部の指導にも当たっている。
妻がその会に参加しており入場券を頂いたが事情があって行けず、折角頂いた入場券なので替わりに聴きに行った。前半は金子みすゞの童謡詩13曲,
後半は山崎浩作詞作曲の6曲だが、後半は所要があっては失礼した。

恥ずかしいいことであるが金子みすゞという童謡詩人については全く知らなかった。今回の演奏会の資料によれば、金子みすゞは明治36年の生まれで20歳ごろから童謡雑誌に
投稿を始め、結婚相手によって詩作の道を絶たれ離婚、最愛の1人娘を連れ去ろうというかっての夫に、自らの死を以て抗議し、26才のわかさで死を選んだ。
 みすゞが命がけで遺した詩集(手書きの手帳)は、死後52年をへた1,982(昭和57)年児童文学者矢崎節夫氏によって奇跡的に全作品512編が発見され、翌々年全集が出版さた。
すぐに多くの作曲家やシンガーソングライターらが作曲するようになり、1編の詩にたくさんのメロディーが存在するという事態になった。これは普通にはあまり例のないことで、例えば
北原白秋の「砂山」に山田耕筰と中山晋平が作曲れがいくつか知られているだけだ。もっともゲーテの{野ばら」には100曲近い曲があるそうだ。山崎浩氏も現在みすゞ作品
には66編作曲曲しているという。

今回みすゞ作品13曲の詩の中でも「お仏壇」は、生家での昔の仕来たり、子供の頃の家庭を思い出させる詩である。

*お仏壇 
    お背戸でもいだ橙(だいだい)も、      だけど、やさしい仏さま、        家にゃお庭はないけれど、            そしてやさしい佛さま 、     
    町のみやげの花菓子も 、          ぢきにみんなに下さるの。       お仏壇にはいつだって、             それも私にくださるの。    
    佛さまのをあげなけりゃ、          だから私はていねいに、          きれいな花が咲いてひるの。           だけどこぼれた花びらを、  
    私たちにはとれないの。           両手かさねていただくの。         それでうちの中あかるいの。           踏んだりしてはいけないの。 
    
    朝と晩とにおばあさま、            朝と晩とに忘れずに、           忘れていても、佛さま、           黄金の御殿 ようだけど、
     いつも燈明(あかり) をあげるのよ。     私もお禮(れい)をあげるのよ。     いつもみていてくださるの。         これは、ちいさな御門なの。   
    なかはすっかり黄金(きん)だから、     そしてそのとき思うのよ、         だから、私はそういうの、         いつも 私がいい子なら、     
    御殿のように、かがやくの。           いちんち忘れていたことを。       「ありがと、ありがと 、佛さま。」       いつか 通ってゆけるのよ。

 



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