作家の江國香織さんのコラムを読んで。。。
「美しい人」が減っているという。現代人は「超、とても、すごく、まぁまぁ」…美しい人を表現する時、その人のありようではなく、程度でしか物を言えなくなっているというのだ。
「しなやかな美人、頭のいい美人、白いシャツの似合う美人、声がハスキーな美人」
なるほど、そう言われてみれば、その人(物)のありようを説明することなんて、滅多にないのかも知れない。
程度を表す言葉に「微妙」というのがある。日本人の美点とも言われる「曖昧さ」。言葉をやわらかくするため。相手を傷つけないため。。。
日本人はきっと大昔から脈々とその精神を受け継いでいる。そして今日、曖昧なバランスの上に成り立つ人間関係を、それでもなんとか円滑に保つために、自分のありようまで曖昧にしてしまっているのだろうか。
なんだか小難しい話になってしまったけど、(せっかく音楽のページだから)無理やり音楽にこじつけてみると。。。
音楽とは実態のないもの。いかに想像力をめぐらせて、人に共感してもらえるか。
もちろんそれだけじゃないけど、そこに焦点を置いて進めると、まずは自分の中に、その音楽の理想を持つことが大事だと思う。
それはストーリーだったり色や形だったり感触だったり。。。
「なんとなくまとまった音楽」ではなく、もっと掘り下げて面白い音、意志を持った音を作っていきたいものである。
とは言え私もなかなかそんなことは出来ない。やろうと心がけているところ。
「美しい人」が減っているという。現代人は「超、とても、すごく、まぁまぁ」…美しい人を表現する時、その人のありようではなく、程度でしか物を言えなくなっているというのだ。
「しなやかな美人、頭のいい美人、白いシャツの似合う美人、声がハスキーな美人」
なるほど、そう言われてみれば、その人(物)のありようを説明することなんて、滅多にないのかも知れない。
程度を表す言葉に「微妙」というのがある。日本人の美点とも言われる「曖昧さ」。言葉をやわらかくするため。相手を傷つけないため。。。
日本人はきっと大昔から脈々とその精神を受け継いでいる。そして今日、曖昧なバランスの上に成り立つ人間関係を、それでもなんとか円滑に保つために、自分のありようまで曖昧にしてしまっているのだろうか。
なんだか小難しい話になってしまったけど、(せっかく音楽のページだから)無理やり音楽にこじつけてみると。。。
音楽とは実態のないもの。いかに想像力をめぐらせて、人に共感してもらえるか。
もちろんそれだけじゃないけど、そこに焦点を置いて進めると、まずは自分の中に、その音楽の理想を持つことが大事だと思う。
それはストーリーだったり色や形だったり感触だったり。。。
「なんとなくまとまった音楽」ではなく、もっと掘り下げて面白い音、意志を持った音を作っていきたいものである。
とは言え私もなかなかそんなことは出来ない。やろうと心がけているところ。