だんなっちょんのブログ

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3月3日(土曜)日記 さすが小山さん最高や!かぴょ丸君もガッカリしとったわ!(その1)

2012-03-04 02:01:38 | 生活漫談
凡そ多くの自治体が、毎年市町村民向けに配布サービスを行なっていると思われる、
「便利帳」が本日自宅に届いた。特に大したものではない。
街の情報と市民生活に必要な施設・交通・教育などの情報を掲載しただけのものだ。大抵の人は一目眺めてその辺に放置する・・そんなレベルの情報誌である。普段なら放置するし見向きもしないのだが、
今日は市役所の職員の方々が懇切丁寧に市民の為に作ったものだし、
たまには熟読してみようか・・と思い眺めてみた。



まず表紙を開けてみると、市長の挨拶文が掲載されていた。

(※一部抜粋)

私たちのまち、小山市は、「水と緑の大地」の豊かな自然と古い歴史を有し、徳川幕府三百年への栄光の筋道を付けた天下分け目の軍議「小山評定」の開かれた「開運のまち」であり、首都圏からわずか60kmの新幹線が停車する鉄道・国道ともに交差する交通の要衝として今後発展する可能性を持っています。


小山評定だの開運の街だの小耳に挟んだことは確かにある。先日バイオリンコンサートで市民会館に行った際、市長あいさつの際「開運の街」を妙にアピっていたのを思い出した。
なんだあれは本気だったんだな・・。それから新幹線停車ってあるけど、1時間に上下合わせてたったの2本だし、ハヤブサも止まらないし、在来線も東北本線はともかくとして水戸線と両毛線は赤字で利用者少ないし、高速道路走ってないし、交通の要衝というのは少し言葉が過ぎやしないか?


さて「小山評定」というのは一体いかなるものなのか。
気になったのでページを捲ってみると、見開き使っての説明があった。

小山評定(詳しくはここをクリック)(※注 ウィキペディアにすら乗ってないガッカリクオリティ

(中略)東軍にこの結束をもたらしたのが「小山評定でした」
もし、「小山評定」が無かったらならば、東軍は結束することができたでしょうか。このようにして見ると家康が勝利を収めることができたのは関ヶ原の戦いだっても、その栄光の道筋は、小山から始まったと云っても過言ではないでしょう。「天下分け目の関が原の戦」と良く言われておりますが、実は「天下分け目の小山評定」だったのです。






凄いゴリ押しである。
関ヶ原の戦いを差し置いて強引に小山評定を持ち上げるとは・・
ウィキペディアにすら乗ってないクオリティのくせに・・。そもそも小山と東軍の結束は関係あんのかよ。ただ単に石田三成側を攻めるか、上杉側を打つかの会議をした場所がたまたま小山だったって話でしょ。
結束は家康や下々の武将の鼓舞の仕方が上手かっただけで小山自体何も関係ないと思うんだが。
評定が小山じゃないといけない必要条件が乏しすぎるだけに、逆にこれをアピっても失笑を食らうだけではないのか。


まぁそれでも市が全力でプッシュ訳なんだし、史跡等はちゃんとしてるんだろうと思って調べてみたら・・・


ちゃんと有ったで!!!!史跡が!!!


さすが俺達の小山市最高や!!!やっぱ市民の期待裏切らんわ!!


こら、町おこしで観光客殺到間違い無しや!


やっぱ歴史は史跡や!史跡がなければ客観性も説得力も何も伝わらんわ!


史跡を見つめながら写真とりつつ、歴史情緒を五臓六腑で感じ取る。


これが歴史の醍醐味や!!!


かぴょ丸君なんかはじめからいらんかったんや!




こんだけかい(怒)


ちなみに調べてみたら場所は
なんと!市役所の駐車場内!
後ろの白い建物は市役所庁舎です。桜も散ってちょっと縁起悪いです。
閲覧無料だし、誰でも見れるし、横切ることも可能だし
市民の殆どが知らないと思われる程のクオリティである。
是非お立ち寄りくださいませ(怒)

小山市の観光と命運を握る、小山評定について少しでもご理解いただけるとありがたい限り。できる事ならこの小山評定のことを、もっと多くの方々に知っていただきたくない。色んな人に広めないで欲しい。今直ぐ忘れていただきたい。そんな心境です。

明日の日記には今回の続きを書こうと思います。
内容は小山市の観光ブランドと特産品についてです。



※かぴょまる君(小山市ブランド(爆)公認キャラクター)
かぴょまる君画像