だんなっちょんのブログ

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甲斐性無しの二児の父

1月27日(木)日記 いい加減踏切がムカつくわけだが

2012-01-27 06:09:15 | 生活漫談
「どっちが偉いのか・・・・。」


かつて住んでいたところから、職場に通勤する際
踏切を通過しなければならなかった。
短気な当方は、踏切に遮断されると少し損した気分になり
通勤を急いでいるときは怒りが込み上げてくる。
また東京などに車で遠征した際、世田谷区を中心とする
23区内を走るとチラホラ遭遇してしまう「開かずの踏切」
数分おきに遮断され怒りは頂点に達する。
短気というより、昔から「モノや機械にバカにされるのはもっとも屈辱で
腹が立つ」と回りに言い回るほどで、
例えば小指をタンスのカドにぶつけたりした日には
正直ハンマーでそのタンスを叩き壊したくなる衝動に駆られる。
学生時代980円で購入したプラスチックの洋服ケースの
カドに小指をぶつけ怪我をした時はひどかった
たまたまイライラしていた時だったから怒りは10年に1度の高波。
頭の中ではもはや非常事態宣言・空襲警報・真珠湾攻撃・雲仙普賢岳の噴火・911テロ・・・。
翌日にはそのタンスはメタクソに蹴飛ばされゴミ捨て場に放り込まれるほどだった。さすがDQNのやることは恐ろしい。

またモノを紛失するときは、モノを管理できない自分が悪いのに、
ひどい八つ当たりさえもしてしまう。

「モノの癖に人間様に探させるとは何とも生意気」
「わぬしのほうから出てきたまへ。いと愚かなり・・」

という訳のわからぬ和歌が頭の中によぎる。
最近では余程急ぎの時じゃない限りは
「勝手に明日にでも出てくるだろ、つーか出てこい」
と頭の中で言い放って放置する始末だ。
昔はモノが見つからないと気になって気になって仕方なく
見つかるまで涙目になりながら探したものなのだが
人間随分と図太くなるものだと感心するほどである。
今では大したレベルのモノや場合を除けば、まず探すことはない。
意外とこれは上手くいくことが多く、1日以内に勝手に目の前に
現れたりする。無駄にイライラしないための実に素晴らしい
考え方だと自画自賛してしまうほどである。

さてここで1つの疑問というより不満が湧いてくる
我々の生活の邪魔をし続ける「憎き遮断機」
法律で認められているわけだろうし、全てではないにせよ
鉄道が必要不可欠な存在だと思っている人が大半が占める
存在であるのは重々承知。文句は声高々に
言えぬが・・。理不尽だ!


・車の動きを止めて国民生活の邪魔をしている癖に自分らは
客を大量に詰めてドヤ顔で金儲け。

・大人の社会ではタイムイズマネー。車を待たせ我々の生活の邪魔をするなら待たせた分の謝礼を払え。

・特にJRに多いのだが、まだ全然電車が来ないのに遮断器下ろすのが早過ぎる。「安全策の為です(キリッ」とか言いたいのだろうが、
どうせ自殺する奴・飛び込むバカ自身のことを考えている訳じゃないでしょ。自分らの仕事を邪魔されたくないとか乗客に迷惑かけたくないだけでしょ。待たされる車の身にもなれよ!

・結局自分のこと、企業利益のことしか考えてない「糞踏切」は本来罰せられるべきである。
そもそも(特にJRは)普段インフラを牛耳っているのを逆手に高い運賃を請求しているではないか。
そりゃ需要度の高い路線は比較的安いのだが特急や新幹線や寝台列車。
どう考えても諸外国等と比較してもまだまだ高額も高額。
駅舎を立てるにも新幹線を増設するにも結局地方公共団体からの
財源・すなわち国民の税金で大半が賄われているのであって、
自分らは殆ど身銭を切らないのが実情である。
税金で搾取して自分らの仕事道具を手にし、なおかつ国民から
運賃を要求して「糞踏切」で国民生活を邪魔をする・・。

これらのことを総合的に判断すると
非常に踏切が目の前に落とされるたびに
むかつくし、怒りが込み上げる。

せめて踏切の前に「いつも生活の邪魔をして申し訳ございません」と
プラカードでもぶらさげておけ。
いつもドヤ顔で「カン・カン・カン・カン」とサイレンを鳴らして
「はーいバカ車共とまってーとまってーすとぉーっぷ^^」だからな。
踏切には全く礼儀が感じられない。