あまくさ人のひとりごち

あまくさ人のひとりごち、つまり独り言です。
撮りだめした写真も併せて載せます。

牛深小森海岸の夕陽

KKC48

第727回 女子校生はズボンで風邪ひかん

2010-01-21 21:02:32 | 東北

えーと。
このタイトルの元ネタ、わかりますか。
大日本除虫菊すなわち金鳥のカイロ「どんと」のCM
「相撲取りゃすっぽんぽんで風邪ひかん」



みんゆうNet -編集日記・福島民友新聞社-


  本紙窓欄には、世相を映すさまざまな声が掲載される。若い世代の率直な意見もある。目に付いたのは、5日付の「女子生徒の制服ズボンでも良い」と訴えた17歳の女子高生からの投稿だ▼要約すると「冬はスカートでは寒い。ズボンをはきたいのだが、女子の制服はスカートと決められ、できない。女子はスカートという固定観念は捨てるべきではないか」という内容だった▼共感した42歳の主婦も意見を寄せ、11日付で掲載された。寒い時期の通学や体調が悪かった時の自分の体験を元に「女らしさを強要される時代から、自分らしさを大切にし、周囲もそれを個性と認める時代に進んでほしい」と書き、改善を強く願った▼そこで、福島市内のいくつかの高校に実情を尋ねてみたら、「服装は基本的に生徒の自由」「ズボンも選択できる」と「認めていない」に分かれた。女子生徒の要望もあって、ズボンも検討中という学校もあった▼本県の教育をたどれば、男子生徒の長髪や男女共学も生徒や市民の意見を反映させ実現してきた経緯がある。それなのに「女子はスカート」という窮屈な固定観念がまだ残っていたというわけだ▼寒ければ暖房を使い、上着も重ねる。そう考えれば女子生徒がズボンをはくのも当たり前だ。学校側には生徒の選択に任せる裁量を求めたい。(福島民有新聞・窓欄 2009年12月20日付)


うーん。
冬なのにミニスカに生足の女子校生がウヨウヨしている一方で、こういう意見がありますか。
しごく当然といえますな。
特に福島は、あまくさよりも北国であるので、
これをいい機会に
女子生徒のズボン着用を認めてあげてもよいのではないか。
というより、そういうふうに定めてよいのではないか。
と思う。
最近の女子生徒はルーズソックスの替わりに、冬場はタイツをはくようになった。
それでも寒そうに見える。
あまくささえそうなのだから、福島ではなおさらだろう。


ただ、注文がある。

夏服でもズボン着用・・・ということになるのなら、
男女を問わず、ハーフパンツにすべきである。


妙な話だが、夏の暑いときには、
女子のスカートがうらやましくなるときがある。
スケベな理由からではない。
夏の長ズボン(古いね言い方が)は、超蒸れるからだ。

だから、夏のワタクシの私服はほとんどハーフパンツである。


そういえば、高校時代。
ワタクシも、よく夏場は体育服で授業を受けていたものだ。


そろそろ
男子生徒はズボンで、
女子生徒はスカート
という固定観念は、根底から考え直した方がよいのではないか。
「昔からそう決まっている」ということよりも、
「暑い夏、寒い冬を快適に過ごすには、どうしたらよいか」ということに発想を転換した方がよいのかも。


第726回 ハラパンって知ってますか

2010-01-21 20:05:39 | できごと

毛糸のパンツが進化!女子の間で“ハラパン”が人気 - 東京ウォーカー


毛糸のパンツなんてガキがはくものだ。
一昔前までは、女子の間ではそういう認識があったものだった。


そのころのテレビの情報番組では


「(今では小学生でもはかなくなった)毛糸のパンツを探せ!」


なんて特集があったのを思い出す。


ほんとに隔世の感がある。


んで、毛糸のパンツも進化して、
とうとう腹巻きと合体してしまった。
名付けて「ハラパン」
要は、ステテコの女子版である。


これが、女子には人気なのだそうだ。
確かに、デザインは可愛いし。
値段は2000円前後と手軽だし。


ん?
ステテコと同じようなものと考えるなら。
夏になれば、
かつての植木等や加藤茶がしたように、
ハラパン姿で街中をウロウロする女子が登場するのだろうか。

そして、頭にはカンカン帽、牛乳瓶の底のようなメガネをかけて
C調で無責任な行動をとるようになるのだろう。
そして、そんな彼女たちを指して
「植女」とか「カト女」
などという名称が誕生し、
挙げ句の果てに、新語・流行語大賞となるのだ



第725回 東京のここが変だと思うことランキング

2010-01-21 19:27:35 | gooランキング
東京のここが変だと思うことランキング - gooランキング


ワタクシも東京に数年間住んでいたので、このランキングは納得だ。
ちなみに、ワタクシにとっての「東京の変なとこ」は、

東京の人のしゃべり方が、ドラマのせりふそのものである

である。
「・・・たい」「・・・ばい」でめいいっぱい育ったワタクシ。
「・・・だよ」「・・・だわ」という言葉にものすごい違和感を感じたモノだった。
ところが、東京暮らしに慣れてくると、
いつのまにか東京弁(=標準語?)を使っている自分に気づいてびっくりしたものだ。
人が多いことも、電車の本数が多いことも、
やがてはそれが普通になってしまうのだろう。
そして、逆に「自分のふるさとのここがヘン」と思うようになるかも。
つまり、
・人が少なくて
・電車の本数が少なくて
・電車に乗ってもガラガラで
・高層ビルなんかなくて
・駅のホームを抜けたらすぐ出口で
・家賃が安くて
・駅と駅の間が何キロもあって
・駅のホームが一本しかなくて
・空気がきれいで
・水が美味しい
そんな我がふるさとの方が、変に映るようになるのかもしれない。
そして、思うのだ。
「こんな何にもないところで、よく子ども時代生きてこれたなあ」と。

天草西海岸の夕陽