SASHIMIMAMA-since2006-

子3人、離婚しました。
2012 急性骨髄性白血病M1
化学療法で寛解維持

地震

2011年03月12日 | Weblog
大変な大地震です・・・。
私と子供たち、皆無事で元気にしています。

パパやおじいちゃんは都内にいたので、足止めをくらいましたが、
おじいちゃんは京王線が動き出してすぐに電車に乗り、
京王よみうりランド(歩きでは遠いんだけど)で
親切な方が車に乗せてくれて夜中に、
パパは会社に泊まって朝に、無事帰ってきました。

以下、思いつくままに書いてます・・・・。


私は最初の揺れが来たとき、ショーボーの下校時刻で、
パトロールの当番だったので、
ミユキチ君と一緒に通学路に立っていました。

あれ~、寝不足かな?なんかくらくらする・・・、て、
思っていたけど、違う!揺れてる!

ミユキチ君と道路の真ん中に立って、
揺れる木を見つめていることしか出来ませんでした。
2、3軒先のおうちのブロック塀が、ガラガラッ!と崩れてしまい、
本当に驚きました。すごい地震・・・!
(後になって、わかりましたが、壊れたのはここの塀だけだったみたい)
家は、家はどうなってる?
ショーボーは?
まだ姿が見えない・・・。

通りの向こうから、ママ友のMさんがやってきた。
彼女の顔を見て、ほっとする私。
彼女は揺れを感じてすぐに1年生の娘さんを迎えに
鍵もかけずに飛び出してきたという。

そうだ、私もこうしてはいられない。
ミユキチ君の手を引いて、ショーボーが来る方向に向かって歩く。
するとすぐに、同級生の女の子と手をつないで、
ちゃんと道の真ん中を歩いてきたではないですか。

こわかったでしょう?と、声をかけると、
大丈夫!って元気な声で答えてくれました。
その後、続々と1,2年生が帰ってきました。

学校近くまで行き、他に残っている子供がいないか確認し、
家に戻りました。
家は小物が倒れた位で、何事もなかったのですが、
リビングの吐き出し窓の鍵がかかってなかったみたいで
開いてしまっていて、ミケミケ・ブー子さんが逃げてしまっていました。

発情中なのに・・・。
妊娠しちゃう、いやいや、今はそんなこと言ってる場合じゃない!

そんなことを考えながら、
今度はサースケを迎えに学校へ向かいました。

3年生以上の児童は6時間目まであるので、授業中に地震があり、
私が行ったときは校庭で非難していました。
保護者のお迎えもたくさん来ていました。
地区別集団下校となったので、地区の子たちと一緒に帰りました。

家に4時過ぎに帰って、初めてテレビをつけました。
なんという大災害・・・。

余震が何度かあって非常に怖かったのですが、もっと大きな揺れがくるかも、
と思い、倉庫に入っていたわずかばかりの水を出したり、
これまたわずかばかりの非常用品をチェックしたり、
お菓子を集めて、ご飯を炊いてオニギリをつくったり、(7合ずつ2回、計14合も!)

この日は朝から買い物行ったり、役員の事務仕事したり、
前の日寝不足でしかも生理もあって、頭痛気味だったんだけど、
そんなことは言っていられませんでした。
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