今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介しましょう。
朝日新聞
・ 懐かしいCMソングを思い出した。「24時間戦えますか ビジネスマーン」。1989年、バブルの絶頂期だった。徹夜仕事のお供に、眠気防止のためのドリンク剤が定番とされた時代だ
▼あの浮かれた世相が頭をよぎったのは、「さとり世代」という言葉を知ったからである。ネットの世界で誕生し、広がっている。本紙教育面の「いま子どもたちは」でも、4日までの連載で取り上げた
▼80年代半ば以降の生まれで、20代半ばまでの年代をいう。さとりとは悟りであろう。仏教でいえば、迷いを去り真理を会得することとされるが、ふつうには、知る、理解する、気づくといったところか
▼右肩上がりの成長を知らずに育った世代である。だからか万事、欲がない。車もブランド品も欲しくない。海外旅行にも恋愛にも興味が薄い。将来、偉くなりたいとも思わない。同僚記者の表現を借りれば、「結果をさとり、高望みしない」
▼長引く不況が彼らにそう強いただけなのか。時代が生んだ新しい生活哲学なのか。もっとも、作家の高橋源一郎さんはすでに10年前の本紙で指摘している。身近な欲望しか持たない「喪失の世代」が登場した。これは「世界最先端の現象」だ、と
▼世代論は難しい。的を外すと「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」となりかねない。ただ、趨勢(すうせい)として若い世代の考え方は確かに変わりつつあるらしい。バブル時代の狂騒を思えば、真っ当な方向だ。景気回復もいいが、あんな時代に戻りたくはない。
毎日新聞
・ 江戸っ子と浪速っ子。東京人と大阪人。何かと比較されるのが二都の人たちだ。金銭への執着とか、さっぱりしているとか、粘っこいとか、初物への態度が違うとか
▲当たっているのかいないのか、面白おかしく対比するのが世のならい。でも、都会人同士、意外に相性がいい面もあるのではないか。そんなことを思ったのは、司馬遼太郎が池波正太郎にあてた手紙やはがきがみつかり、「オール読物」5月号に掲載されていたからだ
▲<三月一日でカイシャをやめました。やっとこれで池波さんとおなじ場所で心境を語れます><御作やっぱりほうぼうで好評ですぜ。あんなに照れたりして、せっかく評判を教えたげたのに教えたげ甲斐(がい)がありません>。1960年代前半ごろ、同年(23年)生まれの2人は親しく行き来していたらしい
▲東京・浅草生まれの池波と大阪市浪速区出身の司馬。司馬はなぜ、これほどまでに池波にひかれたのだろう。池波が死去した時に彼がつづった追悼文が参考になる
▲そこで池波を「自己陶酔症(ナルシシズム)という臭い気体のふた」をねじいっぱいに閉めていたと評している。司馬は「自己陶酔症」を嫌悪していた。たとえば、先の大戦で軍部などの「自己陶酔」もあって、ひどい経験をしたことは創作の原点だ。そして、その歴史小説は「自己陶酔」と対極的な複眼的思考に貫かれていた。このへんに池波に魅力を覚えた理由があったのではないか
▲連休中に旅をした人は少なくないだろう。土地柄の違いを味わうのも面白い。でも、相違を超えた共感をみつけるのはもっと楽しい。文人の交流から、そんなことを考えた。
日本経済新聞
・ おびただしい数のカエルが水面に鼻先だけ出して浮かんでいる。手足と体は水槽の中でだらんと垂れ下がっている。物音に驚く様子もない。少しも動かないから、本当に生きているのか、ちょっと心配してしまう。広島大の両生類研究施設が飼う3万匹のカエルである。
▼こんなにのんびりした格好で、彼らはいったい何をしているのだろう。「これは至福の満足感にひたっている姿なのです」。40年もつきあっているから、特任教授の柏木昭彦さんには気持ちが分かるらしい。カエルにとって、ここは桃源郷なのだろう。きれいな水。広い場所。おいしい食事。毎日が休日であるに違いない。
▼iPS細胞の研究は、実験動物のカエルのおかげで進歩した。ストレスなく健康に育つから最高の状態の生体素材になるそうだ。その3万匹の幸せな休日を支えるのは、人間である。10人の世話係に、長い休みはない。餌となる大量のコオロギを卵から育て、欠かさず餌をやり、温度を調節し、水や砂を替え、掃除をする。
▼飼育の達人の小林里美さんは動物が好きで、介護の仕事から転職してきた。そっと手のひらに乗せて触れると、体調が分かるという。そんな環境に敏感な生き物が、いま一斉に地球の異変を告げているそうだ。世界に7千種いるカエルのうち半数以上が「絶滅危惧種」に指定されている。のんびりしてばかりもいられない。
産経新聞
・ ゴールデンウイークも、今日で終わり。皆さんはどのように過ごされただろう。海外旅行、それとも近場でのんびり買い物か。東日本大震災の被災地で、ボランティア活動に励んだ人もいるかもしれない。
▼京都府城陽市に住む澤井敏郎(としお)さん(81)は、平成11(1999)年のGWに、中国の内モンゴル自治区に出かけてきた。砂漠に植林する「緑の協力隊」の隊長としてだ。参加者は、「砂漠を見たい」という学生から、小学校で環境教育に取り組む教員や主婦までさまざまだった。
▼当時中学2年と小学5年だったお孫さんに声をかけると、二つ返事で同行を申し出たそうだ。総勢37人のメンバーが、現地の人たちとともに厳しい環境のなか、ポプラの木を約1300本植えてきた。「特に若い人が、『これほど強烈な体験は初めて』と言ってくれたことがうれしかった」。澤井さんは振り返る。
▼現役時代は、住宅資材メーカーの役員として、一貫して木材に関わってきた。定年退職後、中国の敦煌を旅行していて、砂漠の真ん中にぶどう園があることに驚く。早速、緑化活動の先駆者だった鳥取大学名誉教授の遠山正瑛(せいえい)さんに連絡をとったのが、始まりだ。
▼澤井さんが主導する植林ボランティアは、すでに17回を数える。今や中国やモンゴルにとどまらず、マレーシア、ブラジルと活動の場が広がってきた。澤井さんはもちろん、この夏のボルネオ島行きにも参加する。
▼2人の孫のうち、兄は弁護士になった。何度も植林活動に参加してきた弟は、語学の重要性を痛感したのだろう。ポルトガル語を修めて、今や「協力隊」の貴重な戦力だ。澤井さんは信じている。14年前のGWの体験は、2人にとって大きな転機になった、と。
中日新聞
・ <やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。山本五十六の言葉だ。連合艦隊司令長官として知られる軍人が、褒めて育てる重要性を語ったところに意外感がある
▼巨人の監督だった長嶋茂雄さんも選手を褒める指導者だった。ただし、例外がいた。松井秀喜さんだ。引退するまで褒められたことは一度もなかったという
▼一九九二年、ドラフト一位で甲子園のスターを引き当てた長嶋さんは、徹底的に素振りをさせて鍛えた。スランプに陥った時は現役時代に長嶋さんが自宅地下につくった練習部屋でバットを振らせた
▼師弟の鍛錬の日々は松井さんが本塁打王を獲得した後も続いた。なぜ、褒めなかったのか。その答えは昨年暮れ、松井さんが引退を表明した際に、長嶋さんが寄せたコメントの中にあった
▼「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだが、ユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を贈りたい」。弟子をさらなる高みに押し上げようとした師の心だ
▼長嶋さんと松井さんにきのう、国民栄誉賞が授与された。九年前、脳梗塞で倒れた長嶋さんは始球式で、松井さんの投げた球を左手一本で振り切った。「いい球だったら打っていた」と長嶋さん。政治的な思惑もかすんでしまう存在感だった。
※ いつも思うことですが、コラムは、限られた文字数の中で、意味を伝え、思いを伝え、そして一部ニヤッとさせる。
文才がないとできません。
まずは、数多く読み込んで、そこから学びたいと思います。
朝日新聞
・ 懐かしいCMソングを思い出した。「24時間戦えますか ビジネスマーン」。1989年、バブルの絶頂期だった。徹夜仕事のお供に、眠気防止のためのドリンク剤が定番とされた時代だ
▼あの浮かれた世相が頭をよぎったのは、「さとり世代」という言葉を知ったからである。ネットの世界で誕生し、広がっている。本紙教育面の「いま子どもたちは」でも、4日までの連載で取り上げた
▼80年代半ば以降の生まれで、20代半ばまでの年代をいう。さとりとは悟りであろう。仏教でいえば、迷いを去り真理を会得することとされるが、ふつうには、知る、理解する、気づくといったところか
▼右肩上がりの成長を知らずに育った世代である。だからか万事、欲がない。車もブランド品も欲しくない。海外旅行にも恋愛にも興味が薄い。将来、偉くなりたいとも思わない。同僚記者の表現を借りれば、「結果をさとり、高望みしない」
▼長引く不況が彼らにそう強いただけなのか。時代が生んだ新しい生活哲学なのか。もっとも、作家の高橋源一郎さんはすでに10年前の本紙で指摘している。身近な欲望しか持たない「喪失の世代」が登場した。これは「世界最先端の現象」だ、と
▼世代論は難しい。的を外すと「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」となりかねない。ただ、趨勢(すうせい)として若い世代の考え方は確かに変わりつつあるらしい。バブル時代の狂騒を思えば、真っ当な方向だ。景気回復もいいが、あんな時代に戻りたくはない。
毎日新聞
・ 江戸っ子と浪速っ子。東京人と大阪人。何かと比較されるのが二都の人たちだ。金銭への執着とか、さっぱりしているとか、粘っこいとか、初物への態度が違うとか
▲当たっているのかいないのか、面白おかしく対比するのが世のならい。でも、都会人同士、意外に相性がいい面もあるのではないか。そんなことを思ったのは、司馬遼太郎が池波正太郎にあてた手紙やはがきがみつかり、「オール読物」5月号に掲載されていたからだ
▲<三月一日でカイシャをやめました。やっとこれで池波さんとおなじ場所で心境を語れます><御作やっぱりほうぼうで好評ですぜ。あんなに照れたりして、せっかく評判を教えたげたのに教えたげ甲斐(がい)がありません>。1960年代前半ごろ、同年(23年)生まれの2人は親しく行き来していたらしい
▲東京・浅草生まれの池波と大阪市浪速区出身の司馬。司馬はなぜ、これほどまでに池波にひかれたのだろう。池波が死去した時に彼がつづった追悼文が参考になる
▲そこで池波を「自己陶酔症(ナルシシズム)という臭い気体のふた」をねじいっぱいに閉めていたと評している。司馬は「自己陶酔症」を嫌悪していた。たとえば、先の大戦で軍部などの「自己陶酔」もあって、ひどい経験をしたことは創作の原点だ。そして、その歴史小説は「自己陶酔」と対極的な複眼的思考に貫かれていた。このへんに池波に魅力を覚えた理由があったのではないか
▲連休中に旅をした人は少なくないだろう。土地柄の違いを味わうのも面白い。でも、相違を超えた共感をみつけるのはもっと楽しい。文人の交流から、そんなことを考えた。
日本経済新聞
・ おびただしい数のカエルが水面に鼻先だけ出して浮かんでいる。手足と体は水槽の中でだらんと垂れ下がっている。物音に驚く様子もない。少しも動かないから、本当に生きているのか、ちょっと心配してしまう。広島大の両生類研究施設が飼う3万匹のカエルである。
▼こんなにのんびりした格好で、彼らはいったい何をしているのだろう。「これは至福の満足感にひたっている姿なのです」。40年もつきあっているから、特任教授の柏木昭彦さんには気持ちが分かるらしい。カエルにとって、ここは桃源郷なのだろう。きれいな水。広い場所。おいしい食事。毎日が休日であるに違いない。
▼iPS細胞の研究は、実験動物のカエルのおかげで進歩した。ストレスなく健康に育つから最高の状態の生体素材になるそうだ。その3万匹の幸せな休日を支えるのは、人間である。10人の世話係に、長い休みはない。餌となる大量のコオロギを卵から育て、欠かさず餌をやり、温度を調節し、水や砂を替え、掃除をする。
▼飼育の達人の小林里美さんは動物が好きで、介護の仕事から転職してきた。そっと手のひらに乗せて触れると、体調が分かるという。そんな環境に敏感な生き物が、いま一斉に地球の異変を告げているそうだ。世界に7千種いるカエルのうち半数以上が「絶滅危惧種」に指定されている。のんびりしてばかりもいられない。
産経新聞
・ ゴールデンウイークも、今日で終わり。皆さんはどのように過ごされただろう。海外旅行、それとも近場でのんびり買い物か。東日本大震災の被災地で、ボランティア活動に励んだ人もいるかもしれない。
▼京都府城陽市に住む澤井敏郎(としお)さん(81)は、平成11(1999)年のGWに、中国の内モンゴル自治区に出かけてきた。砂漠に植林する「緑の協力隊」の隊長としてだ。参加者は、「砂漠を見たい」という学生から、小学校で環境教育に取り組む教員や主婦までさまざまだった。
▼当時中学2年と小学5年だったお孫さんに声をかけると、二つ返事で同行を申し出たそうだ。総勢37人のメンバーが、現地の人たちとともに厳しい環境のなか、ポプラの木を約1300本植えてきた。「特に若い人が、『これほど強烈な体験は初めて』と言ってくれたことがうれしかった」。澤井さんは振り返る。
▼現役時代は、住宅資材メーカーの役員として、一貫して木材に関わってきた。定年退職後、中国の敦煌を旅行していて、砂漠の真ん中にぶどう園があることに驚く。早速、緑化活動の先駆者だった鳥取大学名誉教授の遠山正瑛(せいえい)さんに連絡をとったのが、始まりだ。
▼澤井さんが主導する植林ボランティアは、すでに17回を数える。今や中国やモンゴルにとどまらず、マレーシア、ブラジルと活動の場が広がってきた。澤井さんはもちろん、この夏のボルネオ島行きにも参加する。
▼2人の孫のうち、兄は弁護士になった。何度も植林活動に参加してきた弟は、語学の重要性を痛感したのだろう。ポルトガル語を修めて、今や「協力隊」の貴重な戦力だ。澤井さんは信じている。14年前のGWの体験は、2人にとって大きな転機になった、と。
中日新聞
・ <やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。山本五十六の言葉だ。連合艦隊司令長官として知られる軍人が、褒めて育てる重要性を語ったところに意外感がある
▼巨人の監督だった長嶋茂雄さんも選手を褒める指導者だった。ただし、例外がいた。松井秀喜さんだ。引退するまで褒められたことは一度もなかったという
▼一九九二年、ドラフト一位で甲子園のスターを引き当てた長嶋さんは、徹底的に素振りをさせて鍛えた。スランプに陥った時は現役時代に長嶋さんが自宅地下につくった練習部屋でバットを振らせた
▼師弟の鍛錬の日々は松井さんが本塁打王を獲得した後も続いた。なぜ、褒めなかったのか。その答えは昨年暮れ、松井さんが引退を表明した際に、長嶋さんが寄せたコメントの中にあった
▼「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだが、ユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を贈りたい」。弟子をさらなる高みに押し上げようとした師の心だ
▼長嶋さんと松井さんにきのう、国民栄誉賞が授与された。九年前、脳梗塞で倒れた長嶋さんは始球式で、松井さんの投げた球を左手一本で振り切った。「いい球だったら打っていた」と長嶋さん。政治的な思惑もかすんでしまう存在感だった。
※ いつも思うことですが、コラムは、限られた文字数の中で、意味を伝え、思いを伝え、そして一部ニヤッとさせる。
文才がないとできません。
まずは、数多く読み込んで、そこから学びたいと思います。