9月10日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・ お米の力というものを一番感じさせるのは、おにぎりだろうか。関東大震災のとき炊き出し組の一員に加わった作家の幸田文は、手の皮のひりひりする熱いご飯を、休む暇なく次から次へ握ったそうだ。そしてこう記している
▼「張り板の上に整列した握り飯は、引き続く余震の不安と大火事に煙る不気味な空とをおさえて、見とれるばかり壮(さか)んなけしきだった」。何の愛想もない塩むすびだったに違いない。だが、あのまるい三角形には、受難の人を物言わず励ます力感と温かみがある
▼去年の大震災でも、人が炊いて握ったおにぎりのありがたみが、幾度も記事になっていた。日本人と米の、3千年という結びつきゆえだろう
▼そんな「瑞穂(みずほ)の国」で、今年も新米が出回り始めた。つややかに光る初ものを土鍋で炊いていただいた。炊きたての新米に豪華な総菜はいらない。主役はご飯と定め、脇役には梅干しかラッキョウぐらいがちょうどいい
▼原発禍の福島県でも収穫が始まり、全袋検査で安全を確かめて出荷される。手塩にかけてきた農家は「放射性物質が出ないよう願いを込めて刈り取った」と言う。太鼓判を押されて、一粒残らず、ふっくらと湯気に包まれてほしい
▼〈新米もまだ艸(くさ)の実の匂ひかな〉蕪村。イネ科の一年草の実ながら、この恵みなしに日本の歴史も文化もなかった。自由化が言われるが、経済原則だけで米作りを追いつめたくはない。夏の青田、秋には黄金(こがね)の穂波。心の風景が、ゆたかな国土の上にある。
毎日新聞
・ 「あのころの人、どこへ行ったのかなあ」と静岡県熱海市で土産物店を営む幼なじみが言う。昭和30〜40年代は旅館も土産物店も繁盛し、住み込みで働く単身女性がたくさんいた。狭いアパートの部屋で暮らす母子家庭も珍しくなかった
▲当時の高校進学率はせいぜい5割。学歴や資格がないのは当たり前だった。子や孫に囲まれて幸せな老後を送っている人もいるだろうが、その日を生きるのに精いっぱいで結婚に縁の薄かった人も多いはずだ。給料も少なく、年金制度に入っていたのかどうかもわからない
▲平らな土地が少ない熱海は急傾斜の坂の上に市営住宅がいくつもある。老朽化した部屋で独居のお年寄りたちが暮らしている。かつて旅館や土産物店で働いていた人もいるだろう。商店のある海岸通りまで下りてくることができず、週に数回やってくる移動販売車が命綱だ
▲「世代間格差」とは、高齢者ほど払った分より多い年金を受給できるが、若い世代は払う保険料が多いという意味でよく使われる。年金には改革すべき点が多々あるが、そう言われたら年金に加入しない若者がますます増えそうだ
▲しかし、年金の多寡で公平度を測れるほど人生は単純なものではない。ほとんどの人が高校に進学し、インターネットで好きな情報を得られる時代になった。世界のおいしいワインやチーズも食べられる。外国にも気軽に行ける
▲格差をあおり世代間の断裂を広げてどうする。どの時代に生まれてくるのかは誰にも選べないが、どのように生きるのか、望ましい社会を実現するためにどのような政治にするのかを選ぶことはできるはずだ。
日本経済新聞
・ 夏目漱石に「初秋の一日」という小品がある。9月初めのある日、細かい雨が降るなかを、漱石と友人2人が鎌倉に禅寺を訪ねていく。崩御した明治天皇の大葬が明後日に迫り、一行の口数は少ない。20年ぶりに会う高僧の顔は記憶と変わらず、むしろ若返って見えた。
▼「私ももうじき52になります」。僧の言葉に漱石はハッとする。若いときに抱いた尊敬の念からか、僧の年齢が自分よりずっと上だと思い込み、勝手に60歳ほどと勘定していたからだ。なるほど、想像よりも若く映ったはずだ。記録から計算すると、このとき漱石は45歳。再会した禅僧との年の差は、実際には大きくない。
▼20年の年月など、あっという間だ。赤ん坊は成人となり、おろおろしていた新入社員は、腕利きのベテランになっている。それでも人の感覚は、しばしば時間の流れについていけない。心のどこかにしまい込み、更新を忘れた記憶はないだろうか。忙しい日々の中で、ふと我に返り、世の中の変化に気づく季節が秋である。
▼日本で巨額の不良債権が判明し、欧州がユーロ誕生を決めたのが20年前。思えば日本も世界も、まるで違う姿になった。その変化に政治や経営は追いついているだろうか。あたりから押し寄せる虫の音とススキに囲まれて、漱石は自分を「秋の代表者」のように感じたと書いている。覚悟を迫られる感覚だったに違いない。
産経新聞
・ 大まじめな話なのだが、思わず笑ってしまった。本紙の「世界おもしろ法律事典」が紹介していた中国・北京市の「公衆トイレ管理基準」である。臭いの抑制策のほか「公衆トイレ1カ所につき、ハエは2匹を超えてはいけない」と決められているという。
▼不衛生なトイレに対する国内外の観光客らからの苦情に応えたものだ。ほかに2匹ではなく3匹という「緩やか」な市もあるそうだ。もっとも基準発表から3カ月後、北京の著名なスポーツ施設のトイレでは10匹以上のハエが確認された。基準達成は容易ではない。
▼こちらはもっと深刻だが、一昨日中国南西部を襲った地震で100人近い死者が出た。M5級で規模はさほど、大きくない。それなのに被害が甚大になった。少数民族が多い山岳地帯での震災対策が遅れていたためと言われても仕方ないだろう。
▼その一方で経済成長をバックにした中国の海外進出は衰えない。最近では、北極に近いアイスランドに急接近中だという。石油や金など北極圏の資源が狙いらしい。東シナ海や南シナ海だけに飽きたらず、北の海にも触手を伸ばしているわけである。
▼発展途上に伴う矛盾だといえばそれまでだ。しかし国内での地震への備えやハエ退治もままならないのに、海外に覇権を広げようとして、国民が果たしてついていくのだろうか。不満が蓄積されていけば、体制が崩壊するのも近いと見る人も多い。
▼むろん日本と違ってこの国の政治家は多士済々だ。その力で強引に乗り切るかもしれないが、内部の権力闘争も熾烈(しれつ)らしい。次期トップが約束されている習近平国家副主席が、水泳中に背中を痛め入院中との報道もある。何やら暗雲がたれこめてきた。
中日新聞
・ 向田邦子さんは、「勝負服」を着て原稿に向かった、とエッセーに書いている。無地のセーターかプリントだったら単純な柄。何よりも着心地の良さと肩のつくりが条件だった
▼締め切りが迫ると、四百字詰めの原稿用紙十枚を一時間で書き上げた売れっ子だ。急いでペンを動かすと揺れる大きなえり元や袖口のボタンは困る。体につかず離れずの服を好んで着たそうだ
▼数カ月前にのぞいた「森繁久弥と向田邦子展」で、展示されていた勝負服を拝見する機会があった。向田さんは「地味」と書いているが、生前の趣味の良さを思い起こさせる気品のある洋服だった
▼向田さんが好きだったのは、競馬の騎手が着るカラフルな勝負服だったが、多くの職業にはふさわしい身なりがある。典型は医師の白衣だろう。患者からの信頼の象徴を裏切る事件が起きた
▼東京都板橋区の病院で、医師免許を持たない疑いのある男が、非常勤の医師として区民の健康診断を二年間も担当していた。実際は医療系予備校の講師で、偽の医師免許を使って、実在する医師になりすましていた。病院は医師法違反の疑いで刑事告発する方針だ
▼健診を受けた二千三百六十三人の区民は、白衣の男を本物の医師だと疑いもしなかったはずだ。「命に関わる見落としはない」と病院側は釈明するが、白衣を汚した不信という大きな染みは消えない。
※ 文章に無駄がありません。
短い中に、意図が明確に伝わります。
まずは、しっかりと読み込みましょう。
朝日新聞
・ お米の力というものを一番感じさせるのは、おにぎりだろうか。関東大震災のとき炊き出し組の一員に加わった作家の幸田文は、手の皮のひりひりする熱いご飯を、休む暇なく次から次へ握ったそうだ。そしてこう記している
▼「張り板の上に整列した握り飯は、引き続く余震の不安と大火事に煙る不気味な空とをおさえて、見とれるばかり壮(さか)んなけしきだった」。何の愛想もない塩むすびだったに違いない。だが、あのまるい三角形には、受難の人を物言わず励ます力感と温かみがある
▼去年の大震災でも、人が炊いて握ったおにぎりのありがたみが、幾度も記事になっていた。日本人と米の、3千年という結びつきゆえだろう
▼そんな「瑞穂(みずほ)の国」で、今年も新米が出回り始めた。つややかに光る初ものを土鍋で炊いていただいた。炊きたての新米に豪華な総菜はいらない。主役はご飯と定め、脇役には梅干しかラッキョウぐらいがちょうどいい
▼原発禍の福島県でも収穫が始まり、全袋検査で安全を確かめて出荷される。手塩にかけてきた農家は「放射性物質が出ないよう願いを込めて刈り取った」と言う。太鼓判を押されて、一粒残らず、ふっくらと湯気に包まれてほしい
▼〈新米もまだ艸(くさ)の実の匂ひかな〉蕪村。イネ科の一年草の実ながら、この恵みなしに日本の歴史も文化もなかった。自由化が言われるが、経済原則だけで米作りを追いつめたくはない。夏の青田、秋には黄金(こがね)の穂波。心の風景が、ゆたかな国土の上にある。
毎日新聞
・ 「あのころの人、どこへ行ったのかなあ」と静岡県熱海市で土産物店を営む幼なじみが言う。昭和30〜40年代は旅館も土産物店も繁盛し、住み込みで働く単身女性がたくさんいた。狭いアパートの部屋で暮らす母子家庭も珍しくなかった
▲当時の高校進学率はせいぜい5割。学歴や資格がないのは当たり前だった。子や孫に囲まれて幸せな老後を送っている人もいるだろうが、その日を生きるのに精いっぱいで結婚に縁の薄かった人も多いはずだ。給料も少なく、年金制度に入っていたのかどうかもわからない
▲平らな土地が少ない熱海は急傾斜の坂の上に市営住宅がいくつもある。老朽化した部屋で独居のお年寄りたちが暮らしている。かつて旅館や土産物店で働いていた人もいるだろう。商店のある海岸通りまで下りてくることができず、週に数回やってくる移動販売車が命綱だ
▲「世代間格差」とは、高齢者ほど払った分より多い年金を受給できるが、若い世代は払う保険料が多いという意味でよく使われる。年金には改革すべき点が多々あるが、そう言われたら年金に加入しない若者がますます増えそうだ
▲しかし、年金の多寡で公平度を測れるほど人生は単純なものではない。ほとんどの人が高校に進学し、インターネットで好きな情報を得られる時代になった。世界のおいしいワインやチーズも食べられる。外国にも気軽に行ける
▲格差をあおり世代間の断裂を広げてどうする。どの時代に生まれてくるのかは誰にも選べないが、どのように生きるのか、望ましい社会を実現するためにどのような政治にするのかを選ぶことはできるはずだ。
日本経済新聞
・ 夏目漱石に「初秋の一日」という小品がある。9月初めのある日、細かい雨が降るなかを、漱石と友人2人が鎌倉に禅寺を訪ねていく。崩御した明治天皇の大葬が明後日に迫り、一行の口数は少ない。20年ぶりに会う高僧の顔は記憶と変わらず、むしろ若返って見えた。
▼「私ももうじき52になります」。僧の言葉に漱石はハッとする。若いときに抱いた尊敬の念からか、僧の年齢が自分よりずっと上だと思い込み、勝手に60歳ほどと勘定していたからだ。なるほど、想像よりも若く映ったはずだ。記録から計算すると、このとき漱石は45歳。再会した禅僧との年の差は、実際には大きくない。
▼20年の年月など、あっという間だ。赤ん坊は成人となり、おろおろしていた新入社員は、腕利きのベテランになっている。それでも人の感覚は、しばしば時間の流れについていけない。心のどこかにしまい込み、更新を忘れた記憶はないだろうか。忙しい日々の中で、ふと我に返り、世の中の変化に気づく季節が秋である。
▼日本で巨額の不良債権が判明し、欧州がユーロ誕生を決めたのが20年前。思えば日本も世界も、まるで違う姿になった。その変化に政治や経営は追いついているだろうか。あたりから押し寄せる虫の音とススキに囲まれて、漱石は自分を「秋の代表者」のように感じたと書いている。覚悟を迫られる感覚だったに違いない。
産経新聞
・ 大まじめな話なのだが、思わず笑ってしまった。本紙の「世界おもしろ法律事典」が紹介していた中国・北京市の「公衆トイレ管理基準」である。臭いの抑制策のほか「公衆トイレ1カ所につき、ハエは2匹を超えてはいけない」と決められているという。
▼不衛生なトイレに対する国内外の観光客らからの苦情に応えたものだ。ほかに2匹ではなく3匹という「緩やか」な市もあるそうだ。もっとも基準発表から3カ月後、北京の著名なスポーツ施設のトイレでは10匹以上のハエが確認された。基準達成は容易ではない。
▼こちらはもっと深刻だが、一昨日中国南西部を襲った地震で100人近い死者が出た。M5級で規模はさほど、大きくない。それなのに被害が甚大になった。少数民族が多い山岳地帯での震災対策が遅れていたためと言われても仕方ないだろう。
▼その一方で経済成長をバックにした中国の海外進出は衰えない。最近では、北極に近いアイスランドに急接近中だという。石油や金など北極圏の資源が狙いらしい。東シナ海や南シナ海だけに飽きたらず、北の海にも触手を伸ばしているわけである。
▼発展途上に伴う矛盾だといえばそれまでだ。しかし国内での地震への備えやハエ退治もままならないのに、海外に覇権を広げようとして、国民が果たしてついていくのだろうか。不満が蓄積されていけば、体制が崩壊するのも近いと見る人も多い。
▼むろん日本と違ってこの国の政治家は多士済々だ。その力で強引に乗り切るかもしれないが、内部の権力闘争も熾烈(しれつ)らしい。次期トップが約束されている習近平国家副主席が、水泳中に背中を痛め入院中との報道もある。何やら暗雲がたれこめてきた。
中日新聞
・ 向田邦子さんは、「勝負服」を着て原稿に向かった、とエッセーに書いている。無地のセーターかプリントだったら単純な柄。何よりも着心地の良さと肩のつくりが条件だった
▼締め切りが迫ると、四百字詰めの原稿用紙十枚を一時間で書き上げた売れっ子だ。急いでペンを動かすと揺れる大きなえり元や袖口のボタンは困る。体につかず離れずの服を好んで着たそうだ
▼数カ月前にのぞいた「森繁久弥と向田邦子展」で、展示されていた勝負服を拝見する機会があった。向田さんは「地味」と書いているが、生前の趣味の良さを思い起こさせる気品のある洋服だった
▼向田さんが好きだったのは、競馬の騎手が着るカラフルな勝負服だったが、多くの職業にはふさわしい身なりがある。典型は医師の白衣だろう。患者からの信頼の象徴を裏切る事件が起きた
▼東京都板橋区の病院で、医師免許を持たない疑いのある男が、非常勤の医師として区民の健康診断を二年間も担当していた。実際は医療系予備校の講師で、偽の医師免許を使って、実在する医師になりすましていた。病院は医師法違反の疑いで刑事告発する方針だ
▼健診を受けた二千三百六十三人の区民は、白衣の男を本物の医師だと疑いもしなかったはずだ。「命に関わる見落としはない」と病院側は釈明するが、白衣を汚した不信という大きな染みは消えない。
※ 文章に無駄がありません。
短い中に、意図が明確に伝わります。
まずは、しっかりと読み込みましょう。