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富士山を世界文化遺産に 富士山の閉山式8/31

2011年09月01日 08時00分31秒 | 観光部会
この夏の安全を玉串を捧げお礼する勝又裾野市商工会長
9月末拝殿・弊殿・覆い殿を新築するにあたり仮社殿に御神体が安定されています。

8/31、富士山南口下宮須山浅間神社にて関係団体や崇敬各位を集め11:00より富士山の閉山式が挙行されました。今にでも降りだしそうな天候でしたが式典の最中は霧雨程度で収まっていてくれました。尚、式典の会場である富士山南口下宮須山浅間神社ですが9月末から拝殿・弊殿・覆い殿を新築する工事に入ります。完成は一年半かかるとの事ですので、丁度富士山が世界文化遺産登録の可否の頃だと思われます。願わくばお祝いは2つを一緒に祝いたいですね。

(お問合せ 裾野市商工会担当:河本055-992-0057)
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「富士山を世界文化遺産に」の啓発ボードもしっかり板に付きましたし、関係者を現すオレンジベストもじわじわと啓発効果を発し始めたようです。富士山麓地元の方々からの「頑張って」という励ましには力も勇気もいただけました。

直会の挨拶でも「富士山を世界文化遺産に」の啓発活動のご理解を頂くご挨拶でした。

富士山南口下宮須山浅間神社は9月末から一年半の眠りにつきますが、その間に様々なアクションを起こしたいですね。

富士山須山登山口の起点、須山浅間神社 (富士山世界文遺産登録構成資産)
所 在 静岡県裾野市須山柳沢722 主 神 木花開耶姫命配 神天津彦火瓊瓊杵命 大山祇命 天津彦火々出見命 天熊大人命創 建不詳敷 地1,500坪祭 礼春季4月17日 開山式7月1日 閉山式8月31日 秋季11月23日など神 紋棕櫚葉 桜花社 格旧郷社境 内古宮神社(八坂大神 八幡大神 愛鷹大神 子安大神 疱瘡守護神)備 考社叢(市天然記念物)神 徳安産・子宝・火難除けなど

参道には樹齢500有余年の杉の大木が並び壮観です。

由来
須山口登山道の下宮。ふるくは「富士浅間宮」、「南口下之宮」「下之浅間社」「富士山南方司」「富士山南口方司」などと称した。祭神は、主神に木花開耶姫命、相殿に天津彦火瓊瓊杵命、大山祇命、天津彦火々出見命、天熊大人命。相殿4柱は、大永4年(1524)6月28日の本殿再建時に奉斎。

大禰宜・渡邊対馬守安吉の旧記(慶長3年5月)によれば、起こりは第12代景行天皇の御代(71~130)。日本武尊が東夷征伐の際に訪れ、希瑞により創祀したとある。その後、欽明天皇13年(552)に蘇我稲目宿禰が再興、天元4年(961)9月に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとしている。

武門の崇敬あつく、源頼朝は文治2年(1186)に戦勝祈願、武器および土地36町歩を奉献。武田信虎は大永3年(1523)8月17日に願文を寄せ、太刀1口、具足、馬3頭を奉献。武田勝頼は天正7年(1579)12月に寄進文、今川・武田氏に仕えた安西平左衛門らも、戦勝祈願状および武具を奉献したという。江戸期は除地3反13歩を有し、小田原城主より毎年、幣帛が奉ぜられた。

神職は渡邊氏(除地1反3畝歩)の世襲。慶長16年(1611)の棟札にも名がみえる。一時、中絶して百姓になったものの、文化年中(1804~18)ごろ再興したという。祝は渡邊隼人。『浅間神社の歴史』に、「文化10年、名主一太夫(御師名渡邊隼人)が吉田家より神主再興に尽力したことを賞され、祝号を授けられた」とある。他、御師11名、巫女2名、主なる百姓がその職にあったという。