成り行きアラカルト日記

人生は成り行きでありますが、日日是好日と考えて、日々の出来事を凡人の視点でアドリブ的に記載したいと思っております。

赤塚不二夫さん死去!作品はシュールだったなあ!

2008-08-04 00:21:00 | 三面記事的
赤塚不二夫さん死去 高度成長期に笑いの渦 「ニャロメ」「シェーッ」流行(西日本新聞) - goo ニュース

・・・・赤塚 不二夫氏(あかつか・ふじお=漫画家、本名藤雄=ふじお)2日午後4時55分、肺炎のため死去、72歳。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。葬儀・告別式の日取りなどは未定。喪主は長女りえ子さん。「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」「天才バカボン」などのヒット作を連発。「シェーッ」「これでいいのだ」など数々の流行語を生み出した。02年に脳内出血を起こし闘病中だった。・・・・・

 なんといっても、「おそ松くん」は漫画史に残る偉業だと思う。今までの漫画のスタイルをひっくり返す力があり、実にナンセンスであり、それがシュールであった。

・・・・赤塚さんが息を引き取る3日前、前妻登茂子さん(享年68)が病死した。2人の1人娘で、作品や版権を管理するフジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さん(43)が父の容体急変を聞いたのは、母の遺体の前だったという。赤塚さんの葬儀日程は前妻の葬儀終了後に決定するという。

 関係者によると、登茂子さんが病死したのは先月30日。斎場の都合などで、葬儀日程がなかなか決まらなかった。赤塚さんの容体急変が病院から知らされた際、りえ子さんはひつぎのそばで、母子2人の最期の別れを惜しんでいた。母の死から3日後。ショックも覚めやらぬうちに父の死が訪れた。

 登茂子さんは、情が厚く、きっぷのよい“肝っ玉母さん”として知られた。2年前に亡くなった、後妻真知子さんと赤塚さんのキューピッド役だった。腰の重い元夫に代わり、役所から婚姻届の用紙を取り寄せ、「これにサインして」と突きつけた。再婚会見の際にも「保証人」として同席して話題になった。

 以前、そんな型破りな両親をみつめてきたりえ子さんに、赤塚さんの素顔について尋ねると「実はすごい常識的な人なんです」と答えた。数多いキャラクターの中で、「めんたまつながりのお巡りさん」が1番近いという。「意外かもしれないけど、性格は決して天然じゃない。ルールを分かった上で、それをわざと壊しているんです。人を喜ばせよう、楽しませようとするサービス精神が旺盛すぎるだけ。でも、度を超えると人の迷惑になっちゃう。父はいつもお酒を飲んでいたけど、飲まないと人と目を合わせられなかった」と楽しそうに笑った。

 また、98年に赤塚さんが食道がんを患った直後の言葉が忘れられないという。「ある日、酔った父が『最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだ』とボソッと言ったんです。それを聞いた瞬間、あっ、これがバカボンのパパの名ゼリフ『これでいいのだ』につながっていると分かった」。

 登茂子さんの通夜は3日、葬儀・告別式は4日に決まった。赤塚さんの葬儀はその後、営まれる。・・・・・

 世間の常識の枠から外れよう外れようと意識的にされていたところもあり、タモリの発見者、そして世に出した人でもある。また、破天荒な人生とは別に、仕事に掛ける時間は常人ではなく、働きすぎであったようだ。
 残念なのは、仕事ができなくなってからも、それなりの時間を生きられたこと。これは赤塚不二夫氏の人生観からみて、どうだったのか?
 自分の人生といっても、思い通りにはならないのが人生だ。

 ご冥福を祈りたい。合掌。





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