関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

石油元売り会社ってホントに何度も合併⚡繰り返し、20世紀に見慣れてた風景とは丸っきり❕❕違うよね

2018年09月21日 | 日記

国の特別天然記念物コウノトリのカップル「きずな」と「きらら」が栃木県小山に飛来したそうだ。
 
平均的な日本人なら、鳥名を英語でどのくらい言えるだろうか。 鶏はチキン、鷹はホーク、鳩ならピジョン…と、この辺までは出てきても「さてコウノトリは?」と問われたら、即答できる人は少ないのではないか。 ある地域の人たちを除けば。

──「ある地域」とは九州。 ここの大人たちなら、かなりの割合の人たちが「ストーク」と答えることができる。 なぜ、そんなマイナーな英単語を知っているのか。 実は、最近まで存在した(地場の)大手ガソリンスタンドの名称が「ストーク・ステーション」だったのだ。

このスタンドを展開していたのは、九州石油。 1960年設立、と石油の元売会社としては後発だったが、九州全域では相応の店舗数と知名度を誇っていた。 そしてまた、このスタンド網が店のシンボル・イメージに(1986年以降)掲げてきたのが、下の画像/左=「コウノトリ」マークと「STORK」というブランドネーム。 そう、「STORK」こそコウノトリの英名に他ならないんである。
(参考: 外部リンク→洋アニメ映画『コウノトリ大作戦』の英語版ポスター
 

※ちなみに、横に並べたヨーカードーのマークの他、平和堂や宅建協会など…日本の商売のシンボルでは横向きの鳥を描いたパターンを数多く見ることができる。
 
ただ日本経済「失われた20年」を通じ、日本のガソリンスタンド数は減り続けた。 安倍さんが「景気は回復基調」と豪語していたここ数年も、トレンドは何ら変わらない。 昨17年末の統計では、国内の給油所数が23年連続のマイナス。 九州石油も厳しい舵取りを迫られ08年、新日本石油(当時)への吸収により解散…という道を選んだ。 社齢、48年にして消ゆ──キューシュー石油がキューシューされちゃったワケで。

新日本石油と言えばエネオスのブランド。 今や「ストーク・ステーション」はエネオスの看板を掲げる。 ところで九州石油のコウノトリは(先のマークうを見て↑おワカりの通り)白い鳥のシルエットが青い基調を背景に飛翔しているデザイン。 つまり、基本カラーのなかに「赤」が配されていない。 ガソリンスタンドの看板の配色に「熱いエネルギー、活気」を象徴する赤や黄色が含まれないのは、たいへんに珍しい例と言えるだろう。

暖かい九州では「涼し気であること」こそエネルギッシュ、という理屈か。 そんな、見た目のクールさで見慣れていたスタンドがエネオスに鞍替えしたら❔ ……まさに「スタンドの基調カラーが青から赤、劇的ビフォーアフター❕❕」の実例画像が、こちら(外部リンク)。 いゃ実にスゴい、打って変わって「豹変」ってやつだね
 
さて、ところで石油会社と言えば昭和後半、春先から秋のスタンド事務所には(年毎の)水着ポスターが華やかに貼り出されていた。 古くは1969年の小川ローザ嬢以来、石油業界は紡績・ビール・航空会社と並ぶ、イメージガールの選出母体であり続けた。 むろん、九州石油とて例外ではない。


この98年イメージガールの村田和美さん〔既に芸能界を引退〕を、わたしは失礼ながら丸っきり存じ上げなかった。
 
過去に3度 実写ドラマ化された『ねらわれた学園』の、3度目のTVシリーズで主演されてたそうで。 世のなかに「歌手で俳優」とか「俳優でグラドル」という女性はよく聞くが、この子は14歳でデビューののち「歌手で俳優でグラドル」とマルチに立ち回り、寿引退する間際の数年はスポーツキャスターまで務めたとか。 そんな話を今知るにつけ、当時アラフォー手前だった自分が(いかに仕事に忙殺され)芸能番組をロクすっぽ観てられなかったかを再確認させられた。

まァともかく、こうした大手企業のイメージガールは業界の淘汰再編が激しいと"栄冠の椅子"も減る一方なワケで、(昨今のミスコンの自粛傾向などと合わせ)ボディを絞ってグラドル目指す女子には受難の時代である…。

石油業界の淘汰は、ってと「ENEOSスタンドの隆盛」ばかり際(キワ)立った。 通販業界のアマゾンみたく、出光さんと昭和シェルさんの縁談がゴタゴタと先送りされてたうちにも堂々、「一強」のアドバンテージを拡げてゆく。そして「合併に合併を重ねる」と言っても銀行業界なんかと違い、会社だけが合併して看板を架け換えなかった効用が大きい。

18年目に入ったENEOSブランドだが、実は、ブランド展開主である石油会社の名前は(この間に)4回も名前を変えてるのだ。 いちいち全部憶えてる人は、もはや少数派なのではないだろうか。

日石三菱新日本石油JX日鉱日石エネルギー
JXエネルギーJXTGエネルギー

もちろん、これは減りゆく給油所事情のなか、残ったスタンドのなかで(さらに)進んだ淘汰。 一方で、ENEOSへと変わっていった元売ブランドは数知れない。 主だった大手分だけでも系統立てした図面は(ないかとググってみたが)見当たらなかったので、急きょ自作してみたのが以下の画像だ。
 

平成世代の若手は「看板が目まぐるしく変わる」と言うとスーパー&コンビニ業界か家電小売業界あたりを連想するのだろうが、昭和から平成初頭は銀行や石油元売りが「目まぐるしく」社名や看板を塗り替えてきた…という記憶に彩られる。 もっとも、看板が変わるくらいならマシな方か。 昭和世代には、(たとえば自転車メーカーやオーディオメ―カーなど)慣れ親しんだブランドも消えるわ業界規模も縮小の一途だわ、「その界隈(かいわい)全体が細る、寂れる、過疎る」という、地方商店街みたいな移ろいをイヤと言うほど日常としてきたのだから。

寂れる、という話ついでに付け加えると……上掲の水着ポスター画像はの月刊誌の表紙から採った。
 

これは油業報知新聞社というところが発刊している業界誌で、98年当時は月刊だった(現在は季刊)。

頁をめくると、三井石油(←東燃ゼネラルが買収済み)キグナス(←現存するが最近、三愛石油の100%子会社からコスモ石油に株の20%が分配され、包括提携が強まっている。そもそも2004年までは東燃ゼネラル傘下だったのを、三愛石油が買い取った企業だ)といった大手ブランドが広告を出稿してる。 その、それぞれに栄枯盛衰がある。企業の寿命は(持って)30年❔ なんて言われ始めた今日、ホンの20年も経ったら「多くのこと」が違う景色に変わってしまってる。 …嗚呼
検索タグ:エネオスの歴史,エネオスの沿革,ENEOSの歴史,ENEOSの沿革,ガソリンスタンドの変遷,ガソリンスタンドの歴史
=了=

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