関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

✒️妄想フィクション✒️ 母子4人無理心中、彼女(36歳没)とその夫(46歳)の15年間に何が起きていたのか。

2018年11月02日 | 日記

I.  ま え が き

哀しいかな今年も、虫の音が響く時節になって以降、一家無理心中の悲報が絶えない。

つい先日も東京都文京区で、新潟から出てきた家族のうち、母親が(夫の留守中に)愛児3人を道連れに心中する……という傷ましい事件が起きたばかり。これに関しては国内の主要TV局が、節度のない空撮でプライバシーを蔑(ないがし)ろにする報道を行った、と当ブログでも糾弾した。

こういう哀しい出来事は、「どこの誰だ、どこで何してた」と実名/実住所/実生活を特定すべく嗅ぎ回って好奇心の足しにするのではなく、あくまで「どこかの誰か」と実体をボカしたまま、事件の行間に横たわるモノを読み解き、深く思索して今後の含蓄(がんちく)に加えてゆくのが良識ある大人の態度だと思う。

きょうはそんな観点で、先日の文京区の悲報から思い浮かんだ「仮想ストーリー」を描く。

この妄想劇には「ふたつの(現実に起きた)ネタ元」がある。ひとつは前述の、東京で起きた母子無理心中。もうひとつは3年前(つまり2015年秋)、民放ラジオ局の長寿番組『テレフォン人生相談』に寄せられていた40代男性の話である。

わたしは後者の男性こそが、今回の事件で突如、妻と子供に先立たれた夫「その人」である気がしてならなかった。何とすれば一度、両者が同一人物であったと仮定して「あり得る人生ストーリー」が想い描けないか、という強い興味に憑かれた。その思惑も積もって今回、ふたつの事実を1本の糸で繋いでみたのである。

では先ず最初に、浮かびあがってきた仮想ストーリーの方から始めよう。その細部の根拠となった電話相談の中身については話のあと、章を分けて詳しく見てゆく──。

II.  あ る 母 子 心 中 の 顛 末(仮想)

Y子は子供の頃から、自立心に富んだ女性だった。

テキパキと物事をこなす歯切れの良さは社会に出て、職場の男性からも好感された。ほどなく彼女は職場男性の一目ぼれを買い、交際から結婚へと至る。二十歳そこそこの若妻と、将来を嘱望される高収入男子。もともと多産な家系の体質を継いだY子は、すぐに第一子も身ごもった。

しかし現代では良くあるように、新郎の方は「女房天下の家庭で育ったマザコン坊ちゃん」としての顔も併せ持っていた。若いY子にはまだ、交際中にそこまで冷徹に相手の生育環境まで値踏みする周到さが無かった。新婚当初で妊娠から出産、目まぐるしい蜜月が終わりを告げると、そこには熾烈な嫁姑の諍(いさか)い生活が待っていた。

孫の育て方から何から、執拗に干渉する「威勢のいい義母」にY子の我慢も続かなった。当然のように(?)純朴な夫は母親の側へ……甘い恋心が描いた信頼も瓦解した。孤立無援の若妻が「家を出てく!」と切り出せば、「ウチの子に何の落ち度も無いのに、勝手に別れるなら孫は置いてけ」と姑の眼も血走る。この監獄のような家から脱出するには、愛しの第一子を手離す以外になかった。

こうして実家に出戻ったY子。だが根っからの自立心ゆえ、二十代前半で早くも初婚に失敗した弱みを思うと、親元には居ずらかった。夫の愛を失ったこと以上に、初めて産んだ我が子と引き剥がされた喪失感は彼女を夜ごと責め苛めた。

精神的に参っていたこともある。肉親らの「次のイイひと見つけなさい」的な目線もある。いろんな呵責を紛らそうと再び働き始めたY子が、新しい出会いに逃げ込もうとするのは不思議なことではなかった。以前の夫とは違い、十歳も年上のT郎は当時まだ未婚。兄弟姉妹5人、子だくさん家庭の末っ子だった。Y子のようなバツイチ歴を持つ身にとっては、甘やかされた長男でない、ひと回り近く年上の男性は(他と代えがたい)魅力に映った。

ただ伴侶として考えた場合、T郎にも問題が無いわけではなかった。

第一に収入だ。そもそも二人の会話が(世間話以上に)深まったのは、T郎が新聞配達とビル清掃、ふたつの非正規仕事を掛け持ちするニート青年で、お互い生活の苦しさを嘆き合ったり、傷をなめ合うと(幾分でも)癒された気がするからにすぎなかった。

(でも、あたしも働けば暮らしはナンとでも…)

Y子は不安を封じ、前向きに考え直す。働き盛りの低所得を卑屈に語り、それゆえか恋愛にも不精なT郎との交際を(むしろ彼女の方から)リードして距離を詰めていった。そうでもして心を温めていないと、すぐ何かの拍子に生き別れた子の愛くるしい寝顔がフラッシュバックして、ところ構わず慟哭してしまいそうな自分がいた。

Y子25歳、T郎35歳。ふたりは入籍する。

デキ婚だったため、「事後」にバツイチ新婦と聞かされたT郎の両親は苦言半分、大筋では三男の成婚を見守る他なかった。それどころか、長男はじめ上のニ男二女とは揃って確執が深く絶縁に近い。報告に寄ってくれるだけでも有難い息子じゃないか、と……傍目には、そんな端々まで薄幸感に満ちた実家なのだった。

T郎の年齢で末っ子、となれば彼の両親は(Y子の親より)相応に高齢。生まれてきた長女との暮らしに、少しは第一子への寂寥感が紛れはじめたY子ではあったが、一方で、夫の老父母の病弱ぶりが「新たな将来への不安」として頭をもたげ始めていた。几帳面な性分ゆえ、先々の不安要素を放ってはおけないのだ。

(義父母の一方でも寝たきりになれば、あの健康状態で「老々介護」は無理だ。夫の兄姉たちも、四人も!?いながら誰も面倒を看に来ない。ウチの亭主が見かねて、きっと介護のため「一緒に暮らそう」と言い出すに決まってる。でも、今のニート稼業で自宅介護? あたしが「極貧の介護奴隷」に志願しろとでも? それがズルズル20年とか続いたら、この子の養育どころじゃない…!)

イザとなれば(今度こそ娘を連れて)また離婚するか? Y子を絶望感が襲った。

ひとり子供を捨ててきて、次に産んだ子供と一生、身を寄せ合って極貧を耐え忍ぶシングルマザーに???─── 寒々しい屈辱感、前夫の鬼母が勝ち誇ったように自分を嘲(あざけ)る笑みが脳裏をよぎってゆく…。ダメだ。それなら娘を連れて死んだ方がマシ。

(娘はもう保育園通い。あと1年ちょっと経てば、それも卒園して……)

ふとY子は、夫が常日頃「そんな簡単に"高給な仕事探せ"って急っ突くなよ。そりゃ東京とか行けば全然、求人も多いし月給も弾むけどさァ」と言い返してくるのを思い出した。(このまま手をこまねいて死ぬくらいなら…)彼女は密かに企みを固める。(次の子を作ろう。あの人を"イヤでも動かす"ために…!)

1年半後、2015年3月。夫婦は新潟を離れ、東京文京区に引っ越す。

Y子の"腹づもり"が奏功し、ほどなく彼女は長男を身ごもったのだ。自身は3度目の妊娠、肝も座っていた。夫が自分の意志に反し堕胎など薦める了見など持てない男であることは、5年の夫婦生活で瞭然だった。

「どうするの? 二人の子供かかえちゃって。今の収入じゃ生活してけない。この子が卒園するタイミングで東京、引っ越すしかないよ」

夫が怖気づく余裕すら与えず、Y子は亭主を叱咤激励した。彼の得意なビル清掃業はガテン系でありつつ一種の「技能職」で、全国どこだろうと常に『経験者歓迎、正社員登用の道アリ』といった求人で溢れているそうだ。十分な給与待遇かは別として、いかに頻繁に職場を代わろうと採ってくれる「恵まれた仕事」のひとつと言える。

「(すぐに高給職が見つからないなら)ひとまずは、同じビル清掃からでいいよ。時給は東京のが良いでしょ?」

妻には安月給と愚痴られる自分の「愛着」職種、そこまで歩み寄るんなら引っ越しても……。T郎は「たしかにな」とつぶやくと、小さく頷いた。

別にY子はビル清掃や新聞配達という、とても労力に見合わなそうな薄給仕事を「亭主の理想の職種として認めた」ワケではない。ただ、そのときの彼女にとっては「実現させたいコトの優先順位」が違った。自分と子供らの5年先、10年先を見据えたとき……どうしても今、何がナンでも今、T郎の身体も想いも新潟の両親から遠く引き離してしまう必要があった。

T郎は妻の示唆した通り、新聞配達とビル清掃の口を新居から通える範囲に見つけ、ほとんど求職期間を置くことなく働きはじめた。ばかりか6月に入ると、近くのスーパーの開店前準備すら副業に加えた。実に夫の、三つもの異なる仕事の掛け持ち状態は、かえってY子を疑心暗鬼にさせた。そんな無理を課して(もし万一)身体でも壊された日にゃ、本末転倒ではないか。

「あたしだって午後はパートに出てる。今そんな(仕事の数を増やせるくらいの)余力があるなら、職安で"今より安定した仕事"でも探してくれてた方が何倍も気が休まる…!」

彼女は幾度も訴えた。そもそも本来なら唯一、夫婦が一緒に(家に)居合わせるのが「早朝から午前にかけて」。その貴重な時間帯までも「仕事だ仕事だ」の一点張りで出てかれたら、本当のところ「すれ違い夫婦を目指して意図的に」家のことから逃げて回ってるだけじゃ?と訝られても仕方ないのではないか。


近くのスーパーにも毎朝、働きに出始めた夫。妻には「好きな仕事だ」と言い切るが…。

ところが、T郎は食い下がって真面目に聞き入れようとしない。「スーパーの仕事は(収入が第一の目当てじゃなく)好きでやってる」だの、疲労感だけは募らせて不機嫌そうなクセに、ずいぶん信ぴょう性の乏しい言い訳だ。あげく、本人が十年来「本業」と吹聴し続けてるビル清掃すら突然、勤めてた会社を辞めたりし始めた。これにはY子もブチ切れた。

「どういうつもり!? 落ち着きかけるたび会社を替えてたんじゃ、いつまで経っても昇給できないじゃないっ!!」

── さらに二年が過ぎた。

すべての女性がそうなのではない。ただ多産な血筋の女性に限って言う限り、初期の子を(病気や事故で)まだ小さなうちに亡くすと、その損失感の余りの深さに「さらに二人、三人と」産めるなら産んでおきたい、という衝動に駆られがちだと言う。最近だと、福岡『海の中道大橋』飲酒運転事故で3児を一度に奪われた母親が(期間を置かず)事故後に懐妊、周囲を大いに驚かせ、同性の一部からも批判の声が上がったのは記憶に新しい。

Y子の場合、第一子とは生き別れただけであって、子供は存命している。しかし「現実問題、もう二度と会うことはないんだ」と自身へ刻んだ烙印ゆえに、かえって精神的な愛児ロスのトラウマを深めてしまったのかもしれない。経済的には子供を増やせる(=育て上げられる)状況でもないことが分かっていつつ、再婚した夫T郎への愛も冷めたと自覚してなお、「でも産めるなら」という漠とした衝動に抗えず、実に4度目の!?妊娠・出産をしていた。

Y子にとって自らが産み落とした命だけが、最後まで自分に帰属する者で、自分の味方。人生が(いつしか自分にとって)敵に回り出したのは、そもそも敵に子供を渡してしまった(自分の)愚かさのせい。ならば、これからは敵より ひとりでも多く「自分の分身同然の"生涯の絶対的味方"である子供」を作っておかなけりゃ……という強迫観念にでも駆られていたか。

せめてT郎が、そんなY子の負った「深い傷」に理解を示し、第1子の喪失感に(何分の1かでも)寄り添い続けてやれれば、彼女は彼との間に「3人もの」子供を作ろうという衝動には襲われずに済んだかも?しれなかった。だが皮肉かな、彼にはY子の苦悶を癒すほどの理解が欠けていて、「やっぱり、"前の"離婚の原因だって彼女の意固地な性格が災いしたんだろうなあ」と勝手に(残酷に?)納得してる。納得してるのが、Y子の眼から見ても判る。

これでは、破滅が見えていた。

その第四子、夫婦にとっての「次女」が産まれるまでには、T郎はスーパーの早朝バイトを辞めていた。さすがに、家事と乳児と保育園児の面倒をY子ひとりが同時に…なんて物理的に無理だ。保育園児(=長男)の送り迎えは以後、夫の仕事になった。

午前中は夫婦が家に居合わせるようになったが、お互いは無口になった。午後は(保育園の迎え時間にアラームをセットして)T郎は就寝。Y子は乳児を置いてパートにも出られず、ひとり静かに起きている。物思いに耽るか、悪夢に飛び起きる。いつのまに眠ったのか。毎晩、寝不足だからだ。

夫は夕方、長男を連れ戻ると清掃会社へ。今の会社は(0時終業の以前とは違い)終夜勤務で、朝まで戻らない。長女長男が寝入ったあとも、Y子の睡眠は次女の夜泣きに遮断される。新聞配達のバイトが無くなっても、深夜にT郎の助けは請えないことには変わりない。

変わったのは、家計収入くらいか。明らかに減った。T郎が(ようやく?)三職を一本に絞ってくれたが、安定した正社員職に、ではない。相も変わらずのビル清掃に固執するから、明日の身も知れぬ派遣会社員。Y子がパートに復帰するまでは、綱渡りの家計切り盛りが続く。

(あいつ46歳だもんな。今さら給料や待遇の上がる転職なんて、と最初っから匙投げて。気が付きゃ丸11年、何ひとつ挑戦してくれなかった)しゃがれた失意の笑い。(最悪だね。上の娘が高校に上がる頃……って5年後か。おカネどうするんだ? 奴の給料、今の倍ないとなあ)

そんな昇給、300%あり得なかった。むしろ下がってそう。その頃にはビル清掃にも、若い外国人労働者が押し寄せてるかもしれない。思えば10年前には、夫が10歳年上であることが頼もしく見えてた。しかし、T郎は結局「10歳年上」に見合う見識や向上心を見せてくれることなく、そのまんまの中身で!?さらに10歳、ダラダラと齢を食い続けた。もう無理。これから20年のうちに親子5人が「1gだって身軽には」生きらんない。

(どこで間違ったかなあ)
刹那、力なく擡(もた)げた母の困惑を見透かしたかのように、背後で次女が泣き出した。

(まあ結局、自己責任)T郎を責めても始まらない。彼を再婚相手に仕立て上げたのが他ならぬ自分で、11年前、自分から動かなければ今の苗字も、今の東京暮らしも、子供たち3人も無かったことをY子自身が一番理解していた。(いっそダメ元でラスワン、別れる? "今度は"3人の誰ひとり、誰にも渡さないんだから……って全員、餓死確定か)

冴える感情に濁る意識。誰に言ってるのか、自分でも分からない。

(もういい、悩むのヤメ。疲れない所に引っ越そう)残り一生分、目いっぱいに溜め息。それから丁寧に、優しく……騒がしくも柔らかな娘の首元に両手のひらを添える。(ほらほら、そんな泣かないで。少ぉしガマンしてて。ママもすぐ行くからね…!)
=了=

 
 
III.  夫が相談番組で覗かせていた「闇」

さあ、ここまで読み進むコトのできた貴男貴女は「相当に」ねばり強い 長々と閲覧いただき感謝である。

記事冒頭で説明したように、上掲した仮想ストーリーの細部は 〇〇T郎氏(仮称)が、3年前に人生相談のラジオ番組で語った内容を適宜アレンジしている。わたしは、このときの相談者の話しぶりを今でも鮮明に憶えている。何より、自分も同じニート中高年だから(所帯持ちである点を除けば)彼の就業感を皮膚で感じ取ることができた。
(※ちなみに小生、夜間のビル&店舗清掃も大学時代、延べ7カ月間ほどバイトで携わった……って、35年以上も昔の話だが。)

逆に言えば、すぐさま相談者の「ズルさ」や「甘さ」も直感できた。T郎氏は相談前段の回答を通しては「いかにも❔超人&滅私奉公的な働き者」であるかのよーに聴こえて実は、人格の根本が相当に優柔不断で(わたし同様)キビしい現実から逃げ回ってるダラしない中年男子だろう、としか聴き受けられなかった。だから、それを前もって読者諸兄に注釈しておく必要がある。

まず、(現実は)10歳年下の妻であるY子(仮称)さんに出演がバレぬよう、番組のパーソナリティに基本データ(自分の年齢や家族構成/等)を偽って申告してる。つまり、自分がアドバイスを仰ぎたい(彼本人が勝手に"核心"だろうと憶測する)骨子の部分以外、咄嗟に思いついたようなウソで固めていた。まあ、自分や主要人物の年齢を2~3歳ゴマかすくらいは(たしかに、相談者に近しい関係のリスナーから勘ぐられ、嫌な思いをするかもしれないから)責められる筋合いのもんじゃない。ただ、このT郎氏の場合、至るところの詳細をゴマかすもんだから、明らかに「理屈として破綻してる」ところが出てきてた。

たとえばT郎氏ご本人の年齢。番組では「47」と答えてるが、いかにも実際より高めの齢(とし)を偽ってる、という印象を与えた。

なぜなら、相談の後半で(自分の)実母の年齢や兄弟構成を問われ、ちょっと慌てながら「母親70歳、兄と姉が二人の計5人兄弟」と答えてる。これを(まともに)信用したら、それじゃあんたの母さんは18で結婚し即妊娠、以降19歳から毎年1児ずつ5年で5人、ひたすら養鶏場のニワトリみたく産み続けたのかい❔❔ って話になってしまう。でないと、末っ子の年齢が47歳にならないからだ。戦前の農村部ならイザ知らず、1970年も近い成長期のニッポンでこんな「無制限の妊娠に任す」なんて性生活を送ってた夫婦像は考え難い。仮にいたなら、たった5人の兄弟で済んだ(=母親23歳が最後の出産だった)というのが逆に奇妙に聞こえる。


さらには夫婦の年齢差を詰めるため、Y子さんを33歳でなく44だと大幅「水増し」。子供の数も(相談時点では)2歳と7歳の二子いたハズだが、自分の申告年齢の細工に揃えて「10歳(小学4年)が居ます」とだけ。おやおや、下の長男をバッサリ「斬り捨て」か。あくまで憶測だが、T郎氏は「妻の言動や主張にホトホト(今後どうしたら良いものか)困った、と苦境を説明する手前、妻の年齢が自分より飛び離れて若くない方がいい」と(自身の)体面を苦にして偽ったのだろう。子供も「二人います」なんて正直に言えば、相談員から「これから育ち盛りのお子さんが二人、となると現時点のご収入は(奥さんが危惧される通り)余裕あるとは言えませんものね」…などと突かれるから隠したんだろう。

ラジオ番組であろうとなかろうと、人に相談するときぐらいは「多少ゴマかす」程度で基本、事実を話さないと。この場に及んで、ウソで塗り固める。目前の現実をキチンと整理し、直視しようとしない。割愛と先延ばしを延々と繰り返す。返す返すも「ケツの穴のちっせー」43歳ではないか。

さあ、以上の事前解説を読まれた上で、下の外部リンク先で飛んでもらいたい。T郎さん自身の言葉による言い分だ。


 働き過ぎは妻からの逃避 精根尽きても仕事の仕方を相談/人生相談2015-11-27


【↓前行のリンク先を読まれたら、つづきをどうぞ】

いかがだったろうか?
 
わたしは彼の、「働く父親」としての性根が甘い、と感じた。なかでも一番引っかかったのが、「本業を転々と辞める」という不可解なフレーズだ。「仕事を転々とし、定職に就かない」とか「片っ端に、さまざまな副業に手を出すが失敗」とか言った表現はあるが、「本業を転々と辞める」なんて言葉は聞いたことがない。フツーの感覚なら、すかさず「何それ?? 転々と辞めてるなら、本業と言えるまで身に付いてないじゃん!」とツッコむことだろう。


この奇ッ怪な言い草の真相は(前章の)仮想ストーリー内でも言及した通り、T郎氏にとって「ビル清掃なら、どこの会社に雇われても熟練掃除夫に数えてもらえるくらいの技量と経験値がある」という意味合いらしい。ニュアンス的には「定職」と正反対の意味に取れる。つまり、「いつ突然、解雇(クビ)にされても平気。すぐに別の雇い主を見つけられる職業」ということ。「辞めたいとき辞め、就きたいとき就ける、自分の就業レパートリーでは一番お気楽な仕事」だとも。苦労や努力が最小限で済む仕事を指して「本業」だなんて感覚、あなたは共感できるだろうか。

本業と呼ぶ仕事にこそ、副業には無い覚悟と商道徳と達成目標が要るし、それを完遂するために日々の切磋琢磨が(目に見える見えないは別として)欠かせぬのではないか。

ある意味「苦労せず片づけられる、片手間で出来る、気軽に務まる」と言うなら、それこそ、仕事としては「副業」の部類だ。「本業」たる仕事を持ちたいなら(その仕事とは)別に、何かの仕事を手に入れるべきではないのか?

こういうT郎の物言い、T郎氏の神経に(いかに幾度となく十歳下の妻Y子さんに懇願されようと)オレは絶対に、ビル清掃以外の仕事をメインの稼業にする気はない❕という、彼の意固地さ、醜いまでに凝り固まった意志が覗く。

「肉体的に過酷だろうと、安月給だろうと構わない。だって(精神的には一番)楽だから」

 どんなに給料が上がろうと、気楽にできないのは イヤだあ
 慣れぬうちは叱られ怒られ、ストレス溜まるのは イヤだあ
 中途で辞めた場合、他の会社ゼロから探すのも ゴメンだ

Y子さんが本当に辛く苦しく、心が折れそうな時分に出逢い、「頼れる10歳上のニート紳士かも」と感じた。そう感じたから、人生リブートの夢を賭け再婚した相手の正体は、丸っきり⚡頼れる紳士なんかじゃなかった。ただの、赤ん坊のような「いやいや中年」だったのだ。

自分が今回の妄想ストーリーで書きたかったことは、実際に起きた無理心中の背景を憶測するというより、わたしやT郎氏のような「いやいや中年」は実体として現代日本社会に存在する、ということだ。はっきり具体的な物量では見えてないかもしれないが、現に大勢、実在するのだ。わたし個人は未婚だからアレだが、わたしたち「いやいや中年」が女房子供を持つと大変なコトになる。文京区の一件はその「ホンの一端」に過ぎない。

わたしが(もう何十年と)大赤字のソフトウェア業の殻に閉じこもり続けてるように、T郎氏はビル清掃職に閉じこもった。

最近でこそ「ニート暮らしを抜け出せない中年」等々の表現は目にするようになったが、このうちの半数くらいはおそらく「ひきこもり中高年」の問題因子とダブってる、と感じる。肉体は社会に出ても精神は引きこもりで、その結果、ニートな職種の殻にこもってしまう。社会風潮や制度、人事担当者の色眼鏡のせいだけで「ニートを抜け出せない」のではなく、同時に、いくらかの困窮する中高年のなかには「ニートを抜け出す勇気が持てない」という精神構造が巣食っているから。ある意味、「ニート中毒」である。

Y子
さんは当然、T郎という男を読み誤ったコトまでは気づいてた。だが、なぜ彼がニート稼業を脱してくれないのか?は皆目理解できないまま、もう考えることにも疲れて逝ってしまった。11年前にわたしがY子さんを知る身なら、「家計のメインを彼の収入に頼るしかないなら、ニート依存症を完治できてない患者と結婚しても不幸になる。交際は構わないが、結婚より治療が先だ」とキツく忠告したろう。ただ果たして、聞き入れてもらえたかどうか。「ニート依存症」なんて呼びかた自体、ジョークにしか聞こえない。わたしたちが冒されている症候群に「うつ」とか「ADHD」とかの権威ある病名が無いのは、とても不幸なことだ。

患者、すなわち「ニートになるべくしてニートになったままでいる人たち」は、こうしてる間にも増え続けてるというのに。
=再了=

 
 
 
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