吉村昭の昭和の戦争シリーズの第3巻目。
1巻目が戦闘機の話、2巻目が戦艦の話。
で、3巻目は・・・・潜水艦の話がメインであった。
タイトルは「秘められた史実へ」。
まず「深海の使者」これが潜水艦の話なんだけど、
私にとって物凄く興味深い話が書いてあった。
日独伊(日本、ドイツ、イタリア)の三国同盟を結んでいたのだが、
日本とドイツの間の距離は直線距離で9000Kmだが、
直線で行けるわけはない。今では飛行機で10時間程度であるが、
1940年当時は行けるわけはないし、戦争しているのだから、
中国や当時のソ連の上空を飛ぶわけにはいかない。
では海上はと言うと、いろんな所で戦艦や潜水艦が航海していたり、
待ち伏せしているわけで、機雷なども撒かれている。
で、潜水艦の登場であるが、陸からかなりの沖合までいかないと、
やはり危険である。日本から喜望峰を回って3万Km、
これを何か月もかけて行くのである。
船舶の速度はノットで表され、1時間に1海里(1852Km)進む事だ。
当時の潜水艦の速度は海上で15ノット、海中で19ノット程度なので、
1時間に35Kmくらいである。3万Kmって果てしない。
海中に潜って進み、時々海上に浮かんで空気を入れ替えたり、
日光浴をしたりするわけだが、見つかる可能性が高くなる。
潜ったままだと身体に悪い。お風呂にも入れないし・・・劣悪である。
私が興味を持っていたのはインドがらみである。
インド独立の英雄はガンディーが有名だが、もう一人英雄がいる。
スバス・チャンドラ・ボースである。ガンディーは非暴力を唱えたが、
そんな綺麗事で独立が叶うはずもなく、ボースは武力行使を訴えた。
インドはイギリスの統治下にあり、独立はインド国民の夢であった。
私がざっと調べたところではボースは最初ソ連に協力を求めた。
しかし断られイタリアの協力を得てドイツへ向かう。ヒトラーにも
嫌われたボースは同じアジアの雄であった日本に助けを求めた。
でドイツから潜水艦Uボートに乗って喜望峰を回り日本に到着し、
東条英機に思いの丈を伝えた。東条はボースを男気のある偉大な人物と認め、
当時のビルマにいた河辺中将に紹介したわけだ。
➡ ここの認識は間違っていた。ボースはドイツからUボートに乗ったが、
喜望峰で日本から来た潜水艦に乗り変えて日本に到着していた。
河辺もボースを気に入りインド独立に協力したわけだ。
これが無謀な作戦として有名なインパール作戦で、
ビルマから国境を越えてインドに入った日本軍はインパールの地で玉砕した。
潜水艦はこれだけでなくドイツと日本の間で行き来しており、
物資や人員や機密書類を運んだりしたわけだ。
「総員起シ」は昭和19年に瀬戸内海で沈没した潜水艦の話で、
沈没した理由が点検ミスであり、深海から引き揚げた艦内に
当時のままの13体の遺体が見つかった詳細を書いている。
「海軍甲事件」は山本五十六元帥が戦死した話で、
傍受された無線の暗号が見事に読解されており、
飛行機が待ち伏せにより攻撃された事実。
「海軍甲事件」は古賀峰一大将の乗った飛行機が遭難、
随伴した福留繁中将の乗った飛行機が不時着した海から、
フィリピンのゲリラの捕虜となり機密文書がアメリカに渡り、
これも見事に翻訳されていた事実。
繰り返しになるけど、兵力、戦力、財力でも負けており、
さらに無線の傍受や暗号の読解でも負けていたのだから、
戦争に負けるのは当然だったわけだ。
戦わなければならなかった人々の苦しみや頑張りがあったからこそ、
今の私達の暮らしがあるわけで。
これはインパール作戦の戦場の一つであるコヒマ(ナガランド州)の、
英国軍兵士墓地にある石碑である。
これはこの地で命を落とした兵士だけの言葉ではない。
私たちは戦争を忘れてはならないのだ。
今、私たちがこうやって生きているのは、過去があったからである。
戦争を知らない私たちだけど決して忘れてはならないと思う