1967年刊行の吉村昭の歴史小説。
黒部ダムは富山県と長野県との県境にある。
行った事はないが観光ルートとしても有名である。
今はなき1927年(昭和2年)完成の第一発電所から
1936年(昭和11年)完成の第二発電所、
1940年(昭和15年)完成の第三発電所、
1963年(昭和38年)完成の第四発電所まである。
確か昔は黒四ダムと呼んでいた・・・。
高熱隧道は第三ダムの着工からトンネルの開通までを描いている。
人間を寄せ付けない自然の驚異とそれに挑んで行く人間達の壮絶な戦いである。
1936年8月、富山県黒部川の上流の黒部渓谷に発電所を建設するため、
工事が始まった。資材を運搬ためには人力しかなく、
1人50Kgの荷を運ぶ人夫たちが集められたが、
貧しい人々は高い賃金を得るために競って50Kg以上の荷を担いだ。
ただでさえ足場が悪い場所で転落して命を失う者も少なくなかった。
資材を上げて岩盤を削ってトンネルを掘って行くのだが、
十分に考えられた場所には予想以上の困難が待ち構えていた。
それは高熱の断層が通っており、30m掘った時点で70℃を超えた。
奥に進むにつれ温度は上がり川の水をくみ上げ、
岩盤と人夫たちに水を浴びせて温度を下げながらの作業が続いた。
私はインド在住時に気温50℃超えを体験しているが
体温より高い温度は考えなくても危険である。
発破するダイナマイトが自然発火してしまい犠牲者も出た。
冬場には泡雪崩という想像を超えた雪崩が起き、
多くの人々が命を失ってしまった。
これ以上死者を出さないで欲しいという地元警察からの要請にも、
国を挙げての建設であり断念できなかった。
また自然の抵抗だけでなく戦争のため出征する技師たちも多く、
さまざまな向かい風を受けながらの建設だった。
気温は166℃という予想できないほどの熱さにもなったが、
そこで工事を続けた人々の執念と言うか意地と言うのか、
情熱と言うのか根性なのか・・・凄すぎる。
第四発電所を建設した話は1964年の木本正次の小説「黒部の太陽」、
1969年には石原裕次郎、三船敏郎により映画化されている。
建設に携わった人々、
命を落とされた人々の為に祈りをささげ感謝したい。