文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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阿難尊者…。

2011年02月24日 18時05分21秒 | 日記

 阿難(あなん、アーナンダ、阿難陀の音写略、名前は後述)は、釈迦の十大弟子の一人。多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた。摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖となった。

彼の出身は経典によって諸説あり一致しない(後述)が、一般的には釈迦の従弟で、様々な経典に釈迦とその教団に違背した悪人として描かれている提婆達多の弟と言われる。

彼は、釈迦が成道した夜に生まれたといわれる。大智度論によると、彼の父である斛飯王(こくぼんのう、ドロノダーナ)が、釈迦の実父である浄飯王(じょうぼんのう、スッドダーナ)のもとに使者を送り、阿難の誕生を知らせた時、浄飯王は非常に喜んだので「アーナンダ(歓喜)」と名づけられたといい、また国民は皆、王子の誕生を喜び、それによって名づけられたともいわれる。彼も阿那律などの諸王子と共に釈迦仏の元に赴き仏弟子となった。時に釈迦が55歳、阿難が25歳といわれる(もしくは8歳で沙彌=年少の修行者となったという説もある)。

なお、『仏本行集経』によると、出家する時に釈迦仏から許しを得ず、阿難と提婆達多の2人だけは、雪山(ヒマラヤ)のふもとの長老、優波陀(ウバッダ)に就いて出家し具足戒を受け、師の許しを得て仏所へ赴いて弟子となったとされる。

彼は美男子ゆえに、女難を被ることが度々あったと言われるが、志操堅固にして身を護り修行を全うした。また智慧多くして諸経を持誦していたが、心を摂する点に欠け、定と慧が均等でなく、漏尽通を起くことができず、仏の入滅前まで未だ有学の人で阿羅漢果を得なかったと言われる。