運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

火を創る 

2010年08月30日 19時18分20秒 | Weblog
吉田の火祭り…、かつて、禰宜の方の本を担当させていただいたこともある、北口浅間神社で、
鳥居からずっと参道に続いている灯篭の火を復興させる奉仕があり、この秋、富士山のふもとでおばあちゃんの集まりをさせていただくこともあり、ご挨拶と思い参加した。
240以上もある灯篭全部にみつろうのキャンドルに火をつけてグラスに入れて歩くのは思ったより時間のかかる、しかし、なんだかありがたい作業だった。

灯篭がもう、倒れてしまって、台しかないところには、大きな桐の葉を敷いて、そこにグラスを置く、どんな小さなお社も洩らすことのないよう、余念なく、あらかじめ、講もとのきこりさんが書いてくれた地図にのっとって、二つのグループに分かれて全部に火を点した。

最初の火は、なにもないところから起す。

その青年は、うやうやしく、風呂敷に包んだ手作りの火起しの道具をひらき、空木の棒をすばやく左右にすりあわせ、火を生み出す。
そして、麻の紐を繊維に細く裂いて、それを鳥の巣のように円く集めて、火種を入れた球にする。
息を吹きいれ、ぼおおっと大きくした火ごと、その球をぶんぶん振り回し神前に捧げる。
・・・ショックだった。
人は、火を創ることのできる存在だというっことを、目の当たりにした。

これを体験した子としない子では、己の命への自信に、雲泥の差が生まれると思う。

日本中の子供たちにみせてやりたいと思った。。


夜中、みんなで灯明をパトロールして境内にて、誰もいない中を参拝しようとしている一組の夫妻にでくわした。
見覚えの或るその人は、ホオポノポノの歌を作り唄っている、瀬戸さん夫妻だった。
感動の再会。

なんでもありのこの頃でいまさら驚きはしないけれど、驚いた。

火祭り、すすき祭りを境に富士は秋になる。

なるほど対談

2010年08月25日 22時44分03秒 | Weblog
面白い顔合わせの対談があった。
お二人ともきっと頭のキレと超レベルであろうIQの炸裂、と予測してはいたけれど、
さすがな実力で、お互いの観点や立場を瞬時にはかりながら、和やかにすすんだ。
あっという間のノンストップでの話の合間にはときどき、遊びがてらた著名漫画家さんのところのベビーの声も混ざり、再現が楽しみ。

日本は一回破産するのがいい、水道にフッ素を入れたら虫歯が激減するけど歯科医が困る、など、痛快な見解の数々はすべてなるほど話だった。

カトリックにはシスターはあっても、マザーはない。
ファザー、ブラザー、シスターという順列で、マザーというのはないんだから、マザー・テレサは本当はシスター・テレサだというのも目からウロコ。

そうか、マザーというのは、みんなが勝手にそう呼んだ親称なんだって知った。
さしずめ、グレート・マザーだ。
この秋のグランマザーの日本での集結に、この『マザー』もあちらから覗きにきてはくれないものかな。



満月

2010年08月25日 01時18分47秒 | Weblog
今日、25日は満月、もう、おとといあたりから、お月様はまん丸に見えていたけれど、正式には本日が満月。

昔は満月に願い事を感謝形で言っていたものだが、最近では、新月が願いごとをピンクの紙に、満月が手放すことを青の紙に書くなどと、尾ひれがついたり、進化してきた。

もう10年くらいになるかな、哲学的、人間額的考察と示唆の深さや愛情深いものの見方が、他の占い師より群を抜いているジョナサン・ケイナーというイギリスの西洋占星術の大家のすばらしさを、かぞくはもとより、ことあるごとに人に宣伝、おすすめしてきた。
いまでは、結構メジャーになった、ジョナサンの影響を絶対この人も受けてると思うよ、と、その存在をパートナーに教えたりもしたことのある、日本のジーニーという名前の占星術師も、新月の願い事の本を書いて売り出している。
新月の願いはもともとはジャン・スピラーという人も言っていたが、最近では、真名井の行列といい、新月の願いといい、そういうものの普及率がとみに高いように思う。

月は、もともとは地球とひとつだった、という説もあるくらいだし、私たちの思いも投影しやすいし、実際に人の誕生や死と、潮の満ち干きのように、私たちと月の関係は繋がっている。

月はいつも、あたりまえのように、夜空を見上げればあったけれど、もし、月が存在しなければ、夜の空はどんなだろうか、なんてことも思いながら、願い事だけじゃなくて、愛でたり、感謝したり・・・でありたい。太古の人がしていたように。

来月の満月は、いよいよ、秋分とも惑星グランドクロスとも重なる。


真名井こと清正の井

2010年08月21日 13時56分01秒 | Weblog
私が、勝手に、東京の真名井、と呼んでいるのが明治神宮の中の清正の井。

昨年暮れあたりから、どなたかがテレビとかで話されたらしく、以前は人も行かない奥水だったけれど、今ではいつも人が並び整理券が出ている。
もう、こうなったら行くこともままならないと、以来、横目で列を見ながら通り過ぎていた。

でも…今朝、目が覚めたら時計が555の5並びだったから。
今日は聖なる朝、神さまの朝、そう思って一日が始まったから。

用事があっての早朝出社の後、地下鉄に乗りたくなくて表通りをずっと歩いたら
明治神宮に足が向いていった。


拝殿を目指し、葉裏のあいだの空と風を見上げながら歩いていたら、折りしも、朝一番の列に、
守衛の方が整理券を配っていらっしゃるのに出くわした。

 一瞬の躊躇。

でも、まさに、このところ、押し寄せていたいろんなことが一点に集約されはじめ、自分の中でのやるべきことが、今度こそ、カッチリと、定まりました、と
5時55分の朝の空に報告した今朝だから、大好きな星降るあの清水にも挨拶をしないなどということはどうかしら、って、意を決して並んだ。

後ろにずらりと並ぶ方々を待たせながら、三人ずつ列になっての清正の井との再会は、ゆっくり唄ったり話たりもするわけにはいかず、澄んだ水も、星や渦は出ようがない感じだった。


それでも、自分なりに挨拶をして、そっと和紙のしおりに水を浸み込ませた。

拝殿にも夫婦楠にも挨拶をし、本当に無心で、大御心をひき、境内を出てからひろげて、
これまで、何度もひいたのに遭遇したことも見たこともない御歌のその内容に驚いた。

だって。。。これこそ、今朝、報告し自分に曇りがないか照らし、御心にかなうならお力添えを
と頭を垂れながら、拝殿に向かって申し上げたことへのまさしく答えだったから。

 『茂りたる うばらからたち払いても
    踏むべき道はゆくべかりけり』

もう、どんなことでも泣かないようになったと思ったけれど、かたじけなさに涙がどーっとあふれ出た。

 苦しむ必要はなにもない。
 気づきがあれば、あなたは、もうたくさんだということができる。
 癒しの道を見つけ、自分の道を変容させることができる。
 苦しみはリアルでさえない。
 他の人があなたに嘘をついたとしよう。それも結構である。
 彼らがあなたに嘘をついたのは、恐れていたからである。
 あなたが見抜くことを恐れているのである。
 そのことで傷つくことはない。
 あなたのまわりで何が起きようと、自分のこととして受け取らないこと。
 それは他の人たち自身のせいである。
 すべての人はそれぞれの夢の中に、その人の心の中に生きている。

でも、ちょっと思う。
 もしかして、私は、自分でも覚えていない
 遥か遥か昔に
 今度、会うときは、彼らが人生で一番大変なときに
 会うようにして助けるよって
 そう約束をしてきていたのかもしれないって。
 
 あなたは周りのすべてのものから愛を感じとる
 あなたの人生は、あなた自身や他の人たちとの葛藤から自由である。
 あなたの想像力と、知覚の新しい目を使って、私はあなたに、自分が新しい人生、
 新しい夢、ありのままのあなたでいる人生を送っているところを見てもらいたい。
 あなたは、幸福であり、本当に人生を楽しむことがゆるされている。

 ヘーゼル、あなたがジャーナル、ジャーナルと言った、あの意味は

 ジャーナルとは、旅の日誌ということなのかしら。
 
 

 

スイッチをオンする前に

2010年08月20日 00時34分43秒 | Weblog
先日、ジョン・ケージが舞台照明と音のチューニングをしている記録フィルムを観ながらしみじみと気づいたことがある。

常々言われている、もうすぐ世の中が変わるとか、もう地球は変わり始めているとか、について。

もうかなり久しく、そう言われてきて経っているのに、環境もぎりぎり、人の間でも悲惨な事件やおかしなことがたくさん起きてきているのに、なぜ、良くなるのなら、早く変わってしまわないのだろうって思いたくなるけれど、そうか、その前のチューニングが大事、調整が必要なんんだって気づいた。

縄文時代とかから人間という種が内在的に持っている本質やたくましい能力、は、現代の文明やひずみに生きてきた時間が長かった中で劣化したり、ぶれてしまっている。
ちゃんと用意が整い、ほこりやゴミも取り除いてからならよいけれど、ずれたり、劣化したままで、いきなりスイッチが入ってしまった怖さを、身の回りだけでなく、このところよく見たリ聞いたりもしている。

突然、別人格になってしまった気になって、家族を捨ててしまう人、教祖になってしまう人、淫靡に走ってしまう人、解放された気になってしまう人、空から名前が降ってきてしまう人・・・
スイッチは、やみくもに、オンするのもされるのも本当は、恐ろしさもはらんでいると知っておく必要があると、気がついた。

そして、そのために、身体で浄化を果たさねばならない人、経済で果たさねばならない人、・・それぞれの課題ごとにクリーニングが起きているのだと合点した。

それぞれの、テンポとタイミングと課題にあわせた、それぞれの浄化とチューニングは、宇宙が知っていてくれるからあせってはいけない。