運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

破壊と再生

2011年09月11日 17時21分06秒 | Weblog
水害に遭われた吉野に行ってきました。
つい数日前、今回崩れたという道を通り
途中の丹生川上下社では八朔祭のお下げ渡しのお芋やら
弁財天ではお餅やらをいただいて
喜んで帰ったばかり、まるでUターンくらいのインターバルでした。

弁財天までの道も川も予想よりは変わりなく、
寝袋やらスノトレまで持参して臨んだところ、天気ももう
ウソのようにピーカン晴れでした。

しかし、到着してみると
太鼓橋は水に持ち上げられ桁が壊れ
30メートルの水の柱になってやってきたという
大雨による逆流した川の水に直撃された
一瞬の凄まじさは、ミソギ殿あたり
そして、川沿いの家々を別の光景と変えていました。

天災を受け止め、明るく前向きに粛々と
助け合いながら働かれる村の方々と
共にさせていただいた時間は
かけがえのない時間でした

これから、こんなことが
まだまだたくさんあるかもしれないこの日本で
こわれるもの、変わるもの
には、それまでだったと目もくれず
人の作ったものは変わること
自然がくれるものは変わらないこと
に敬意を忘れないように
暖かな気持ちでつながりあって助け合って生きていく
そういう村、コミュニティ、社会
それこそがキーになっていくのだと感じました。

長年積もった土砂や岩石がすっかり流されて
帰りに立ち寄った洞川の水が
青々と、昔と同じに甦ったり
破壊と再生は、わたしたちでは決められないことなのでしょう。

ただ、山に木々があるかぎり
水があおく流れている限り
いのちの循環は続くので
原発のような人災で無い限り、と
天災と人災の違いを思いました。

おきていることすべてに地球の神さんの
おおいなる意思を思います。

みえない変化から見える変化が降りてくる

今日は9.11
神さま、わたしたち人間を
宇宙と自然のまえに、ただただ謙虚にしてください。


順教尼さん

2011年09月05日 11時54分37秒 | Weblog
数年前、はじめて「4分の1の奇跡」の入江監督と 
当時は編集者で我が夫、いまは自らも映画監督と称して全国を好演している人を
引き合わせたたまサロンで、その入江監督の最新作「天からみれば」を観ました。
あの時、入江さんは初対面の我が夫(当時)の顔を見るなり
『わー、なんでか泣けてくる~」と涙を何度も拭いてたけれど
かれは私には
「あんなの映画じゃないよ、あれで映画監督といっているのは不遜だよ」と
「4分の1」のことを評していたっけ。
それがいまや自分も会社で映画を作り、
いつのまにか、その「4分の1」と対の作品扱いに収まっている経過はわからないけれど
いずれにしろ、きっかけになった場所での上映会なんて感慨深い☆

後に大石順教尼となる女性の壮絶な人生、そこから至る、受容と、見守りの心、強さ、明るさ、。。
究極の人がいう言葉は共通に「よかったね」だと知りました。
かの、青森の、弘前の、すべての時間を他者と神さまにあずけきって、
寝る間もない方も、多くは語らず、陰で配慮と努力をされて、
「よかったね」だけおっしゃいます。

映画の中で平行して描かれる、順教さんに育てられた画家、
南正文さんの絵は、ほんとうに、
いのちのつよさ、はかなさ、やさしさ、きびしさ、・・・が昇華されていて素晴らしいのです。
桜の中から、世界を見守る龍、
あれは、実際にいつもこの世界にいて、あのようにこちらを観ているに違いないと感じました。

順教さんの両腕を切り落としたことで、結果としては
その魂の真の輝きを発揮させるまでになるという役割をした、養父、
つまり、天から見れば、人知ではわからない役割分担とはたらきがあり、
すべてのことは絶対に必然。。。そこまでがこの映画では語られています。

けれど、さらに思うのです。
順教は、心から敬愛していた養父が乱心して自分の腕を切り落とした直後、
その父の罪が軽くなりますようにと、まず嘆願し、
自分は見世物小屋で見世物になりながら稼いだお金で、彼の墓を建てるのです。

『お父さんがわるいんじゃない』・・そう、背景には、彼を裏切り、甥と駆け落ちして、
残った家族全員を死や苦しみに陥らせる妻の存在があり、
そしてその背景には、そんなカルマというか、からくりに立ち入ったりかかわったせねばならない、
魂というものが、長年の転生の間に積んだなにものかがあるとしたら・・・
そういう業と念の限りない繰り返しを断ち切って、今生限りでいっきに、
元の魂を白紙に、生まれたときの美しい白布にと戻すことができるかもしれない、
そんな順教の、類まれなるたましいのつよさにつながる
すべてのたましいの願い、元に還らせたいという天の願い、があったのではないのかと。

そして、それを見事に成就し、人をも育て、
晩年には、軽やかに、あかるく、たのしく、

「はい、これでおしまい、ほな、さいなら」・・
そう、美しい顔でこの世を去った順教さんだと聞くのです。

無知(知識の意味ではなく、痛みを知らないということ)であることのかなしさ、残酷さ、無明というのでしょうか。
腕の無い人を見世物小屋で、見せようとする人も見ようとする人がいることも、
ひどい言葉をかけることも、南さんの子供時代の周囲の人として考えられない態度、いじめ、・・
そのすべてがかなしく痛くて、神さま、わたしたちをごめんなさい、でしたが、
時が変わり、最近の画像では、人々はみんな、もう、みんな同じと、わかってきている。
あらゆる差別はいらないと知り、助け合うことを学び、あのようなことが減っている。
わたしたちも、少しはましに、よくなってこれているのだと信じたい。

そういえば、エンドロールにあった名前は協賛によるサンクスなのだとしたら、
子ども時代、見世物小屋が大好きでよく通っていたという、我が元夫の名も見つけ、
罪滅ぼしになったかなと思いを馳せたのでした。

挿入唄を唄っているのは、一緒に「つながってる!」という曲作りをした仲間、
いのちのコンサートを続け合唱曲作りをがんばっている
ゆげちゃんこと弓削田くん・・
ゆげちゃん、あなたの澄んだ声がこうして流れていることが、本当に嬉しい、よかったね。

わたしたちは、みんな、元に還ってたましいを輝かせて、
本当の意味でかしこくなって、
植物や、岩や砂や、風や、海や、動物や、
みんなが協力しあって保ってきたこのいのちの星の美しい天国で、
共存して支えて、愛し合っていかないとならないときに
ほんとうに来ているから、
いまごろまだ、これからさらに、あの色、この色と
模索ばかりしていないで、
たましいが生まれたときにいただいたきれいな白色に還ろう。

順教さんも笑って黙って待っていてくれるから
早く、気がついた人から元に還ろうね。