運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

天は見てあり

2010年06月30日 05時44分53秒 | Weblog
「天は見てあり」…お仲人とも、先達としても、敬愛してやまないさる女性から、しみじみといただいた言葉。
究極で、万人共通のことだと思っていたが、天を実感せず、天など本当は信じてもおそれても居ない人もいることや、そういう人にとっては、それはただの言葉であるんだってことにこのとしでようやく気づいたら、妙にびっくりした。そうか、だから昔から踏み絵なんて平気で踏めちゃう人はいたんだったし,偽りを神に誓うことなんてなんでもない人もいる。いまさら、新しい話でもない。

人はやはり、自分の感覚をあたりまえと思い、自分のコンフォートゾーンを通してしかものをみていないもんだ。
まさにそれがスコトマで、私も見事に、誰でもが私と同じくらい天というものに想いと信義を持つって、ひとり決めして、何も見ていなかった
なるほどーーー、だからわたしなんて赤子の手をひねるようなもの、って案じていただくのですね{  でも、赤子のようでいることを敢えて恵みと思う生き方もあってもいいかも・・

キルギスへの祈り

2010年06月19日 01時02分39秒 | Weblog
いま、大切な人たちが、あのキルギスに行っている。
想像のつかないことだけれど、キルギスの人たちのルーツは、遠い遠い昔、この日本からの部族も混ざってできたのだそうなのです。
そのための行事に請われて、渦中のキルギスに敢えて旅立っていった二人を想い、きっと、こんなときだからこそ、何かの役割でいくことになったんだって思う。
だから、だいじょうぶ、役割のある人は守られるから。
・・でも、祈る、二人の無事というよりも、あの土地の平和を、部族の対立が和と輪に変わってゆくことを・・・。
遠くの国で起きていることも、みんな私たちの影だ、いま、世界は本当になにもかもパラレルに進んでいる。

メキシコ湾の重油の影響が、水鳥や海の生き物だけのことでなく、陸地のわたしたちにも繋がっている・・そういうことを痛いほど感じれなくなったときが、怖いときなのだから、この痛みも受け止めて受け入れて、よくなるための祈りにと変えて生きたい。

今日も、若葉たちが、わんわんと繁り、雨を受け止め光っている。

ありがとう。。。そこに居てくれて。

再び 潜水服は蝶の夢を見る

2010年06月11日 08時12分45秒 | Weblog
かっこちゃんの「宮ぶー日記」を読んでは泣いている。
悲しいのでもない、幸せ。。というのでもないのだが、でも、よくそれに似て居るようにも思う。
なんだか、小さな小さな、愛の原石を、かごに入れた蛍を毎日そーっと、ああ、今日も光っているって思って覗いて安堵するような喜び…何かの再確認。

今日、宮ぶーが宮Qになっちゃった、というのを泣き笑いして読んで、そして、身体的に表現のすべがないときの意思の伝達法について書いてあるので、また「潜水服は蝶の夢を見る」を思い出した。

アルファベットをAから順に読みあげてもらい、自分が伝えたい言葉の単語のスペルのところで、そこだけが唯一自分の意思で動く右目のまぶたを閉じて瞬きをする、そして、その文字を書き取ってもらう、次にまたAに戻って読んでもらい、また、次のスペルのとこで瞬き・・こうやって、ようやくひとつの単語になり、言いたいことをわかってもらう、実際にフランスでロックドシンドロームになった男性が、その方法で自伝を書いた、いや、書き取ってもらった。
その実話の映画だが、あれは、私の中のなにかをスイッチ・オンした映画だった。
魂の根底のところにメガトン級でショックがやってきた。
人間は、記憶と想像力ゆえに人間であり、記憶と想像力が生きているということだ、そう、主人公は動かなくなったからだに閉じ込められてから知る。
その美しい、無限の世界、複雑で微細な世界、神秘。

だが、いっぽうでは最近、記憶を消すことにすべての問題解決があるともいわれて、みんなが4つの言葉で、デリートしようとしている。
ありがとう、ごめんね、と、心から気づき、感謝しながら消してゆくのでなくて、ただ、唱えながらパソコンのキーでデリートするように、消すのだという。
記憶が人間であることの証で、今生、肉体をもって生まれた意味でもあるなら、どんどん消してゼロになるということは、今回わざわざ肉体をもってやってきたことの意義との両立はどうとらえたらいいのかなとおもう。
それがアメリカからやってきたもので、つい、GHQや「モモ」の時間泥棒とかを連想してしまいそうになる。
日本には古来から、そこのところを魂でわかるセンサーがある、ひとりひとりがそこからぶれなければよいのだ。

人とは、それぞれ、ひとりひとりが、無限の思惟と愛と想像力と記憶をもつ、すばらしい宇宙だ。

わが駅、わが河

2010年06月08日 03時36分26秒 | Weblog
越してきてはじめての、{この町の初夏を体験している。
駅の改札を飛び交っている黒い鳥の姿はどうみても燕・・
やはり、そうだった。エスカレーターを上がったところの壁に巣があり、五匹の雛たちが口を開けてピーピーえさを待っている。
そこにツガイの親つばめが交互にえさを運んで来る、いくら見ていても飽きない
こんな、都内の駅の構内に、嬉しいサプライズだ。

夜は夜で・・・これまた感激。
駅沿いの河に沿ってたくさんの蛍、大きな源氏蛍の青白い光が、河の草や岸辺の木の枝に点滅したり、飛び回ったりしているのだもの
いったい、ここはどこかしらって思ってしまう。
何十年前の東京だ。
蛍をうれしそうにゆびさしている親子連れ。きっと、大人になってもきっと忘れないシーン.
涼しい風、都会の灯りだらけの町にはみられなくなってしまった暗がり。
さだめし、今風のカップルが多いだろうと思ってみても、意外にも、なんというか、素朴な家族連れや、トレパンの学生グループや、ちびっ子、おとなしそうなカップル・・あらまあ、いい町なのねえとあらためて認識。

二年前の夏、知覧に行ってきたパートナーと一緒に、蛍になって還って来る特攻隊兵の魂と、その恋人と結婚した夫の夫婦の絆を描いた映画のDVD、高倉健と田中裕子主演、を借りて観たのを思い出しながら、蛍は、本当に、あちらの世界とかの境界を越えて飛んでいるようだなと思った・・・。

河の向こう側には林のように木々がみえている。
そういえば、このあたりは縄文の住居跡もあるのを思い出した。
いろいろあるけれど、こんなところを、独りで歩いているけれど、それでも、ご縁のあるところに、ちゃんとやってきていたのかもしれないと、みえないご先祖様たちにそっとありがとうとつぶやいた。


ウニヒピリ 二つのホ・オポノポノ

2010年06月02日 01時39分52秒 | Weblog
最近、はからずも二つのホ・オポノポノのワークの体験をした。
両方とも二日間のものだった。
ひとつは、N・Y在住の或る博士の提唱する、記憶を消してクリーニングしてゼロに戻ることが光だというホ・オポノポノ。
こちらはちょっとしたブームでもあり、ワークは都内の一流ホテルで2000人以上も集まった。グッズとかもいろいろあって、博士は来場者の間を歩き回り、質問に、ただひたすら、クリーニング!とだけおっしゃりながらブルーのビンから水を飲む。笑うとお茶目な可愛いお顔になり、ダライ・ラマの笑ったときのお顔なんかも思い出す。
新たに加わってきたクリーニングに効果があるもののリストには、M&Mチョコやポップコーン、ゼリービーンズなんかも奨励されていて、なんともアメリカチック。
博士の最新刊本『ウニヒピリ』の担当編集者さんから「あなたががんばって自分の記憶を消すように」というメッセージつきで参加したのだけれど、ご自身は一方的にすべてを相手のせいにして強引に離縁をすることで結婚生活への不満を解決しようとしているので、「それは、この本に書いてある内容と異なる解決法では?」と質問したところ、「何が問題ですか?博士も離婚経験者です」との答えをもらった。

そうか・・・古代ハワイでは、本来は家族の問題解決や癒しのためのものであるホ・オポノポノだったはずだから、これは確かに、別のもの、現代の新しいホ・オポノポノなのだった。

もうひとつのホ・オポノポノはハワイ島在住の男性クムによるワーク。
生きることすべてがフラでありホ・オポノポノであり、自然や生命とつながるということで一貫されている。なにがあろうとも自分の中の光enlightをいつも静かに見つめ立ち還りすべてをアロハで包めるよう・・・明け方の山道を急ぎ足で歩く一行を、「懐中電灯を消して、もっと静かに五感で感じなさい、ゆっくり歩きなさい・」と言いながら薄い布一枚でも平気そうに寒い雨の中で山に向かい合い座って瞑想をするクム。

森と山に向かってチャントを唱えて、一人ひとりが自分の木を見つけられるよう願って、目隠しをして、自分と呼び合った木にたどり着いた。その感想を、話したい気持ちになった人だけ話せばいいと輪になってシェアをするとき、通訳は要らない、心で話せば心が感じるから、そう言って、本当に、感謝や気づきや感激を述べる人の顔を見ながら目をウルウルさせている

どっちがどっちということはない。
ルーツ同じ古代ハワイからのものであってもずいぶん違う二つを体験して、いろいろ考えた。
消すこと、忘れることが究極の癒ししであることも真実。
そしてまた、逆に、思いを寄せ、心に置くことで生命を持つものがあるということも真実。

ただ、私なんかはすぐ、誰かの悲しみとかを感じるとつい、勝手にそのぶんまでシンパシーしてしまい泣けてしまう。
ただただ、その人の肩を抱きたくなってしまう。。。これは父性と母性の違いなのかもしれない。
そういえば、ハワイ島のクムの方は、凛々しいけれど男性を感じさせない。「おばさん」っぽい(笑)って親しみを込めてみんな言っているっけ。

母性も父性も両方あったほうがいい、男性性と女性性とのバランスが大事だ。