運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

本物です

2007年04月24日 18時08分10秒 | Weblog
この写真の花は実在の花。チベットに咲くという『ブルー・ポピー』という名の花の生まれたての姿だ。聖書に、神が自分が誰かと問われて「私は『在りて在る者』である」と答えたというが、この花の姿もまさに『在りて在る者』、I am that I
am.以外のなにものでもない。そうなんだ、このブルーポピーも、野の花も、桜の花のひとつひとつも、命はみんな本来「在りて在る者』のミニチュアであり雛形なんだな。それは、馬も猫も豚も私たちヒトも、みんなそうなんだな。
花って、そういうことを思い出させてくれて教えてくれるためにこの世にこうやって咲くのかもしれない、って思えるほど完璧だ。 アリガトウ・・・。

声って何だろう

2007年04月23日 09時02分54秒 | Weblog
息が少し抜けているような声が好きだ。。。という表現で適切だろうか。
男性歌手でいうなら、ジェームズ・テーラーとかマイケル・フランクスとかジョアン・ジルベルトみたいな。女性なら、キャロル・キングとかアストラッド・ジルベルト。最近だったらノラ・ジョーンズか。
だけど、日本では見つけることは少ないんだな。聴こえた途端、ハッと耳を澄ましてしまう歌声・・・。
それが、最近一人みつかった。九州の、K.YUGETAという、まだ名もないアーティストだけれど、ちょっといい。誠意というか、まじめさ、深さ、ためらい、が一息ごとに声のまわりを震わせている。
そんな歌声にめぐりあって聴いている瞬間は、ページをめくるのが嬉しくて、同時に残りページが減るのが惜しいくらい、気に入った本をみつけて読んでいるときと同じ至福感だ。
 いったい、声って何なんだろう。
そばにいるのがいたたまれないくらい、ストレスになるような声もあれば、聴くだけでスーッとするような声もある。
あごの骨格や、体系が似ている人は声も似ている傾向もあるが、まさにその人にぴったりの声を持つ人もいれば、外見からは想像つかない声の人も時々いたりする。
先天的なものに、後天的にその人の性質が加わっても変わるのだろう。

私は、個人的には、人工的というか技巧的な声が駄目で、ゴルフや野球の解説やニュースが流れているところにはいられない。自己主張いっぱいの無神経な声も苦手だ。
自分の声が、相手にとって迷惑なんじゃないかと案じているようなやさしさや慎みはが含まれている声、それでいて、どこかに芯のある声を聞くと救われる気がする。
だから、自分の声が何かに録音されてしまったりしたのを聞くと、およそ、理想とかけ離れたその早口ぶりと、浅い声に耳を覆ってしゃがみたくなる。
声は人なり・・・ああ、私はまだこんな人なんだ.・・sigh.



知られざる名作

2007年04月06日 09時01分49秒 | Weblog
 よけいなコメントは書きません。
 とにかく、ただ、これを見てほしいから。
 
 http://www.yamauchi-hoikuen.com/ehon/suzume.html

 だれか、アル・ゴアのメルアドも知らないかしらん。
 添付で送ってみたいと思うけれど。。。。

すみません。上記のURLで開くと絵本のはずが、開けませんね。これから対策を 考えますが、その間、代わりというわけではないのですが凄いものをみつけまし たので下記のをご覧ください。
http://www.planetary.or.jp/HotTopics/topics070404_1.htm
土星の北極上空の写真です。

チキチキ・バンバンからナイト・ミュージアムへ

2007年04月03日 09時30分59秒 | Weblog
春休みなので、映画はどうしてもお子様映画の付き添いになる。
が、正直言って、『ナイト・ミュージアム』は自分が観たかった。楽しみだった。
たぶん同系列と思われる前作『ジュマンジ』と『ザ・スーラ』が滅法面白く素晴らしい出来だったのと、ほら、あるじゃない?博物館に行って、『わーーー、これ、夜ひとりだったらこわいなあ、これが動いたりしたらどうしよう』って思ったこと。あの気持ちを実現してくれるとはやってくれるじゃないかって。
 ワクワクと映画館の椅子に座って始まったら、ウッソー!!?このおじいさん、知っている!ディック・ヴァンダイクだ!!。あの『チキチキ・バンバン』の!?
そうのなのか。あの頃の、よき子供映画の流れはまだこうやって脈々と続いていたのか、アメリカって好きじゃないんだけど、やっぱりこういうところは凄いし、彼らが子供に提供する励ましと愛の気前の良さと、成長を願う心はいつも小気味いい。だから、『ザ・スーラ』にもいいのかって感じでティム・ロビンスが出てきた
しハリー・ポッターだってエマ・トンプソンもそうだけど、ふんだんに名優がイメージなんかにこだわらずに子供のために楽しみながら出演している。
『ジュマンジ』に出ていたロビン・ウィリアムズもいるはずだけれど・・と思いながら画面を見ていたら、いたいた、ルーズベルト大統領の蝋人形の役だ。
最近、何度か、ロビン・ウィリアムズが画面に登場しただけで泣けた。説明はつかないが、彼の湛える何か、人格なのかやさしさなのか、が表情にあふれていてぐっと詰まってしまうのだ。あんな人は滅多にいない。今回もそうだった。
あそこまでいくと、役者としての完成形、実像は知らないが、人間としての完成形にも近いんじゃなかろうかと思ってしまう。
 そして、デック・ヴァンダイク、だ。
あの、さわやかでしたたかで、元気いっぱい、体操のお兄さんのアメリカ版みたいにピチピチしていた彼もこんな老人役かあ、と感慨深かった。
が、ところがどっこい、まさかのどんでん返し、やっぱりしたたか、それでこそのスーパーじいさんぶりだった・嬉しい!
アメリカ映画は子供映画に限る、とあらためてまた思ったのだった。

(前回の弥山を見せんの続きはこの後次回に・・・)