運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

路上のソリスト

2009年04月30日 08時18分28秒 | Weblog
産経のEXという新聞の登場以来、また新聞なるものを読むようになった。従来の新聞紙のあの、すぐにブカブカになって溜まってしまうのや、折込広告があふれかえってしまうのや、凶悪な事件のときの大きな黒に白抜きの見出しの恐さやら。。まあ、離れた理由はいろいろあったのですが、要はよむ時間が足りなくて、それなのに集金が来てしまうたびに悔やむのがいやでやめていたのだ。
しかし、昨年のはじめ、KIOSKで、見つけた、すっきり美しいレイアウトと、カラーの写真と垢抜けたフォント、中のページも、世界中のこと、国内のことがダイジェストに要領よく細部までとりあげられていて、しかも、ART CAFE to称した、アートばかりをまとめた数ページが充実している。
これで100円。見かけては買うようになったが、発刊から日が経っても、内容が衰えてこないことを確認してからは自宅でとるようになった。一ヶ月2100円。
毎日、ちゃんと読める量なのだ。私にとっては、情報の世界?へのリハビリになくてはらない救世主だった。
 その紙面でみつけた、試写会プレゼントの映画の写真に惹かれた。
『路上のソリスト』、、タイトルもそそられるし、チェロを弾いている男性とその前でかがんでいる男性とのスチールがまたいい。。
見れば、主演は、ロバート・ダウニーJr.・・とくれば、もう、応募するしかない。で、ネットで応募した。もちろん、前述のようなEX紙への感想を添えて。
他の媒体からも、同時にこの試写会をプレゼントしているものに三つ応募したけれど、結果として当選できたのはこのEXだけだった。ますますもって素晴らしい^^。
実際に観た『路上のソリスト』は、もっと、音楽性があるのかなと思っていたが、
(原作も、内容のチェックもしていなかった)別の角度で、でも、深くて、それなりに満足した。ロバート・ダウニーJrの、哀愁のある、あの一瞥をみるだけでも価値があるが、LAの、すさんだ町でさえ、空から見るとかくも美しいのかと認識した。血が流れ、生活に涙や暴力があふれていても、本当は神が生み出したミクニ(御国)である世界にわれわれはいるのだ、。。そう思い出させるシーンだ。
何が狂ったのか、でも、これも定められた道筋で、映画の中のチェロの響きのように、すべてを超える絶対的な何かが投じられると、世界はまた、天国に戻るのだろうか。それを待てずに、統合失調症や、麻薬中毒のハザマでもがきくるしんでいるのが今の社会の姿だとしても・:。
豚インフルエンザが登場した。ミツバチが消えている。
さあ、これから、私達が選び取れるのは何だろうか。

大橋トリオとホノカア・ボーイ

2009年04月16日 21時13分32秒 | Weblog
この数日のマイブームである。
大橋トリオは、先週、車の中で流れたFMで聴いたとたん惹きつけられた・絶対、海外のアーティストだと思ったのに耳を疑った。「大橋トリオ」と、DJが言った。。えー?この唄い方で、この発音で、日本のアーティスト??我が愛するJ・テーラーそっくりの甘いきれいなかすれ声だ。
横に乗っていたパートナーも、いいねーとさっそくチェックしたらしく、数日後、なんと、CDを買ってきてくれた!!アルバムタイトルは『This is Music』。。タイトルがまたいい。ジャケットのビジュアルセンスもいい。。
大橋「トリオ」は実はたった一人だった。一人で全部、演奏もボーカルもこなしている、もちろん曲作りも。只者じゃない、新人のわけがない。。そう思って調べたら、やっぱり、作曲の世界では長かった。CMソングや映画音楽、阪本順二監督の『この世の外へ』のBGMもそうだった。雰囲気も、かにも、音楽を好き、体中から音楽が滲み出ていますって感じで嬉しい。たぶん、そのうち、大ブレイクしてしまうだろう。。それまで楽しもうっと。http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.showvids&friendID=1000981565&n=1000981565&MyToken=36655e76-7703-485c-8aca-61749ab0448c

こちらはJAZZとはっぴいえんどの世界とジャック・ジョンソンとJ・テイラー
とを足して割ったみたいな洗練された音楽だが、もうひとつのマイ・ブームは、しみじみ、ほのぼの、でも胸キュンな、小泉今日が唄う『虹が消えるまで』・・映画
「ホノカア・ボーイ」の挿入歌だ。
 この映画・・絶品佳作(この表現あり?)だった。
キャスト(倍賞千恵子も松阪慶子も喜味こいし、もかしまし娘の照江さんも、)本当に、素晴らしかった、生きていた。ハワイ島の時間が漂うようにゆっくりした町、ホノカアの空気、高砂さんのナイト・レインボーならぬ、ムーボーや海と空。
しっかりした脚本と映像のコンビ。賠償千恵子扮するビーが作る料理、その中でも
ロールキャベツを作るシーンは、ブラボー、映画だよねって感じ。
ざくざくとたまねぎをみじん切りにしていくリズムと音が町の様々な音と重なっていく。。生活の、人生の、プチ・シンフォニーになってゆくのだ。
いまもまだ、心の中にホノカアのゆったりとした風が流れている。
必死にいそいでも、ゆったりも、どっちを選ぼうとも、本当は一体だ。

ブランデンブルグと4月

2009年04月12日 20時07分04秒 | Weblog
幸せ 幸せ 幸せ・・・陽射し、桜、新緑、が、いっぺんにやって来た。
バッハのブランデンブルグの第三番の一楽章アダージョを聴きながら窓の外を観ると、百回くらい大声で叫びたいくらいに音の中の世界と表の光景がピッタリだ。
命の息吹き、ダイナミズム、自然界のしくみ、躍動・・・!!
自分という体の中の最も小さい粒子もピチピチと跳ね踊るような春の一瞬。
八重桜のピンク、白い吹雪、枝のしなり、そこに風が吹くと、またハラリハラリと跳びでていく花びらたち。美しさ。。これがすべてと思わせる世界。
そう、世界は美しく出来ている。それがすべて、それをわかるために私達は生まれるのではないかと思う。空を見ればよい、雲を見ればよい、空気を切って鳥が通っていく、ビルがそびえ、人が営み、春がめぐる。
ブランデンブルグ協奏曲には、この春の法則がすべて収められている。
すべては生長し続けていることを知っているこの音の秘密。バッハの秘密。
宇宙の姿。音が舞い、生命が舞い、分子が舞い、原子が舞い、素粒子が舞う、或るときは渦巻きながら、すべては永遠に生まれ続けていく。

その後に来る、第三楽章、つまりG線上のアリア・・これは、その春の法則も冬も、すべてを含み愛したもう創造主、神、大いなる意思の愛とも言える姿の世界だ。すべてをゆるし、あらしめるもの。
バッハはどうやってこれを知り、表すことができたのだろうか。
そんな疼きにさいなまれるのもまた春の特徴なのだなあ。