運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

愛が微笑むとき

2011年07月15日 15時55分54秒 | Weblog
スター・チャンネルをつけたら、「愛が微笑むとき」と出てきて
結局見入ってしまった。
何度みただろう。。何度見ても、片時も席もたてない。
本当によく出来ている佳品だって思う。

赤ん坊のときに、たまたま隣り合わせたバス事故の現場で
他の人からは見えない四人のゴーストたちを
自分の中に同居させて育った少年トーマス。
彼らの姿が見えたり、仲良くすることで
精神病扱いをされそうになったことから
彼の先行きを案じたゴーストたちは、泣く泣く
トーマスに別れを告げて、ただ黙って一緒にいるだけで
トーマスにもわからないようにそっと見守るだけの存在になる。

一方で、みえなくなってしまった四人に
捨てられたような気持ちで大きくなる少年トーマス。

その四人のゴーストたちはそれぞれに
人生に遣り残したことがあって
ずっと、透明人間に甘んじたまま
何にも触れることもできずに30年を過ごしてきて
とうとうあの世からの迎えのバスが来る間際に
本当は、自分たちは、不慮の事故でまきぞえにあって急死したから
この世で遣り残したことをひとつだけ
トーマスの身体を使って、果たしてよかったんだと知らされる。

さあ、だけど、もう、いまさらそう知っても、残された時間がない!!

そこからの展開と、成人したトーマス役の
ロバート・ダウニー・Jrとのかけあいの演技と
脚本の痛快な面白さったらないのだ

笑いながら、しみじみ、人の想い、心の機微を感じて
泣いてしまう。。。

傷つくのを恐れて優しい心を隠しているトーマスに
幸せへの、愛のひと押しまでついている。

どうしてこの映画がB級のままだったのか
今日もげらげら笑いながら、ボロボロ泣きながら
映画っていいなあと思ったのでした。

ああ、もう出かける時間ーーー

自由は食べ物から

2011年07月14日 15時12分35秒 | Weblog
朝は白湯。。。もう、ずーっと続いている。
冬はそれに黒糖とか生姜とかを、夏はレモン汁とかハーブの葉を浮かべることもある。

今朝も、このところの陽射しで異様に大きくなったバジルの葉を一枚ベランダからはずしてきて浮かべた。

こうやって、お腹がすくのが決まって11時半くらいだから
それまでにちょっとしたくをしておく。

今日は、昨日無人販売で買っておいたとうもろこしと枝豆とトマトがあるっ!!☆

こういうのが本当の豊かさ、本当の自由だなあって思う。
人は何を食べるかでいろんなことが決まるって実感するから。
身体が発している波動に合わないものを食べないでいられること
ほしがてっているものをとりいれること
それは、ひとりひとりに与えられ、託された自由だ。

身体に聞いてみる。
何を食べたい??

とうもろこしを茹でていたら
ふっと、
そういえば、以前よく
やわらかくなりすぎない、このくらいの固さが好きなんだよー
という家族の好みに気をつけながら茹でては
いそいそと、着がえとともに
そのとうもろこしや枝豆を持って
子供を連れて車で駅まで迎えにいって
そこから温泉風呂に行ったのを思い出した。

今日はそういえば満月。
どこかの露天風呂からのんびりお月様と星を眺めてみようかな。
ゆでとうもろこしと冷やしトマトを持って。(笑



ミニミニ菜園?

2011年07月07日 01時40分04秒 | Weblog
こういうものに滅法弱い

ペットボトルの飲み物は買わない、し、このところは特にマイボトルにマコモちゃんのお水を入れて持ち歩いているから。。。。なんだけれど。

見てしまった、見つけてしまった。
コンビニのケースに目をやったとき、ボトルの首に巻きついている小さなパケージ。
なにやら、クンクン、惹きつけられるなあと、目を凝らしてみたら
ペットボトルの蓋で作るお野菜の栽培セット!!?

そ、そんなものがあるなんて。
しかも、可愛い、そそられるっ!!
種類も6種類もあって、三つ葉とかリーフレタスとか、ああ、わが愛する野菜ちゃんたちばかり・・・。

吟味に吟味を重ねて三本買って
従妹の引越しの作業に来てくれていたお兄さんたちに差し入れました。
ごめんなさい、もちろん、首はスッキリ、何もついていない状態で。。。

いやあ、侮れません。
蓋に、固形化した土を入れて、そこに、蓋一杯分の水をいれると
たちまち腐葉土がやわらかく現れる。
それをまた、入れ替えてほぐして、そこに、可愛い種を着地させるのでした。
これで、日当たりのよい所に置いて、、
芽が出るのが楽しみ☆☆☆

こ、こんなことしている場合じゃない、まだまだ終わらぬインタビュー起し作業。
今夜は完徹か・・

モラルハラスメントの実際

2011年07月04日 01時29分16秒 | Weblog

私は見てきたの、異を唱えた人がみな、
「異常な人」にされていってしまうプロセス。
それをおかしいと感じながら言えなかったのは
私にも責任はきっとあったと思う。
そんなふうに言ってはいけない!!ってバシッと言わないで
黙ってきてしまった。

たとえばあの頃
猫を内緒で四匹も公団で飼っていたあなたたち
夜中になるといっせいに廊下を全力ダッシュする
それぞれ体重9キロ近い四匹の猫達の音に
一度だけ勇気を出して正当な苦情を遠慮がちに言いに来られた階下の方は
いつのまにか、
暗くて性格の異常な人と、決めつけられ
そのうち、その階下のご主人は
クラーイ表情してるんだよね、あれはきっとうつ病だよ、となっていた。

猫を四匹も実際に飼っていたのはこっちの方だ。
それなのに、義母の演技は見事だった。

『ちょっとあなた、ウチは、誰も走ってなんかいません、
いいがかりもいい加減にしてちょうだい。こうやって、スリッパにも(くるくるワイパーのシート)
をかぶせて音を立てんよう、子供にもいつもいいきかせて気を遣って暮らしています。
オタク神経質ずぎるんとちがいますー』と、笑って振り返られたときの違和感。

けっしてあの奥さんは変な言い方なんかしていなかった
遠慮がちに、困っていらっしゃるのがわかった。
それなのに、以来、変人扱いになり
そして遂には、あなたまで
「下のご主人のあの顔はどう見ても鬱病だよ」と。

根拠もなく言い切るようになった人に、
惚れているから逆らわなかったのは私の責任だ。

身内でいるぶんには 、逆に、どんなことでも
ふつうは言えない強気の無茶もいいのけて
かばって護ってくれたりするからたのもしく思うようにもなってしまった。

時を経て、夜逃げのように猫達を連れて公団から越したけれど。。

だから、おおよそ見当はつくよ。
今度は私がどんなふうに仕立てられているのかも。

夜中にこっそり私の携帯をチェックしていて、
それがわかったとき、泣きながら謝ったこともあったのはあなたで
それなのに、
あきらかに辻褄の合わない話しをするようになったあの頃のあなたの
その、辻褄のあわなさに気づいて首をかしげるたびに
それをすべて嫉妬だと決め付けては聞く耳持たずに
「~しやがってよー、」とか、「~じゃねえか」とか
聞くに堪えない野卑な言葉で、
関係ないことまであれこれ持ち出しては
夜中じゅう異常にまくしたて責めたテル激しさに
困りはてて行った市の相談所で、

『奥さん、それがモラルハラスメントです』と聞いた時は晴天の霹靂だつた。

『じぶんが本当はそうだから、貴女をそう思って怒るんです。鏡現象なんですよ。
疑い深くて苦しんでいるのはご主人のほうなんです、だから、あなたを怒るんですよ』。

????いやしかし、私には疑われるようなこともないし、まさか。。。

『じゃ、携帯をこっそり見てるのは誰のほうですか?』ーーーあ!?
それはあの人だ。

『奥さん。今後、あなたをいらなくなったときとか、
いつかお子さんのこととかで何か起きた時とか、全部を貴女のせいとかにされることのほうが
ずっと心配です。こういうケースでは往々にして起きます。もっと勉強してください。』

そう注意されたのに、何冊か本も教えてもらって、
ウチの状況とそっくりなのに驚いたのに
そんなおり、夫が『恋をしよう』なんてブログをこっそり作っていて
毎日切々と恋心をつづっているのがわかったりすれば不安にもなったのに
それでも
やさしい言葉のときは本当にやさしいし、
結局無防備で
潜伏しているシナリオこにも気づかず過ごしてしまったのも私だ。

信じて、いやあ、信じたかったんだね。
どんなことも家族で越えるって。
だけど、そういう殿方にとっての家族は自分と子供だけで
世話をする人は何人変わろうと、家族ではないのだ。
それに気づいていなかったのも、私の未熟さ、かな。

わたしは見えていないんだと思っていたら
実は見ているくせに見ようとしない癖があり

わるいことも見えていても見ないように
なんでも良く見ようとしてしまう癖があるんだと
のちのち、見えていた人たちからは指摘された。

鋭い指摘を受け、遅まきながら、
ようやく、ものをありのままに見るということを
心がけるようになった。
ああ、痛い勉強だったけれど
そこまで体験しないとわからない私だったのだ。
わかっただけ、よかったのだ。勉強代だ。




暑中見舞いの頃

2011年07月02日 00時20分21秒 | Weblog
「もしかしたら、なんだかひどいことになってるよ」

心配した、心ある方から電話をいただいた

やれやれまたかな
よりによってぐうたらって??言っているの??
それはなあ。。ぐうたらは、ちょっとばかりショックだし悲しい。
そういえば、前の方もずいぶん言われていた。
病になったことさえ、本人のせいだと
責めたり追い詰めたりしていたとあとから聞かされた。

その方亡き後、世話に入っておられたお母さんが
「あんたの態度は感謝がないわ!」そうあなたと大喧嘩して、
幼稚園だったあの子を置いていってしまってのち
本当に必要としてくれていると思って
引き継いでからずっと、
どんなことがあった翌日でも
ひとりだけは起き出してお弁当を作り
私立に入れたいというあなたの夢に協力して
親の役割と出番の多い学校で
笑ったり泣いたり
見守ったり叱ったり・・・
一人っ子で、あまりお友達に慣れないタイプで来てしまったから
少しでもと、
ママがお仕事で不在の近所のお友達までみーんな
我が家で晩ごはんもお風呂も全部一緒に引き受け
兄弟のように過ごさせていた。
毎日、毎日公園に行き
あきらめそうにふくれるのをなだめたりすかしたりして
自転車がようやく乗れるようになったら
今度は、その自転車で走り回る彼を
こちらは全速力で走ってついてまわった。

ギブスしながら、の日でも
子供の学校にお掃除や三百人の食事を作りに行き、
あなたの出張のときにも
ぎっくり腰でもいざってでも子どもの食事だけは作ってまた臥せっていた。
その子にばかり手がかかり、殆ど会えていなかったのに
見兼ねてやってきてくれた長男が
炒め物を作って、食べさせてくれた日はありがたくて涙がでた。

炎暑の日、雨の日、通学路の途中まで迎えに行って一緒に帰った。
「あなたたちは魂の親子だよ。ボクとよりも縁が深いんだよ」と
毎日のように言葉やメールで言ってくれたあなたの言葉をはげみに
戸籍の上では親子にもなれていないことも
なーんにも知らずにせっせとやっていた。
「あー、あなたのおかげだよ」ってよっていつも喜んでいたのに
余裕が出て、欲と野心が大きくなって
職業柄もあって、いろんな人にチヤホヤされるようになって
いつも風向きを気にしていた薄くなった髪を
著者からのアドバイスでおもいきって剃ってしまったら
ことのほかよく似合い、
イケメンと言われて俄然積極的になり
「ボクを好きになってくれる人はおかあちゃんくらいしかいないよ」
から
もっと可能性を試したいんだ、人生をやりなおしたいんだ、に変わっていった。
いらなくなったからって、そんなふうに言うかな。
思春期がはじまり
それまで仲良く素直だった息子が
きゅうに母親をうざいと想ったり親子喧嘩がはじまったりしても
そんなのはあたりまえなこと
自分だってものすごい父子喧嘩をしているのに
だけど親子はそれを繰り返して学び合っていくのに
血がつながっていなければ
それさえも口実にして
取り替えたりできたりするって思うのかな

「志事」や「お役」がある人の場合は
家族でも使い捨ててゆるされるっていうのは本当はおかしいのよ。
(もっとも、家族だと思っていたのは私だけだったと
あとで思い知ったけれど)
誰だって、みんなそれぞれのお役をもっている。
誰かだけが特別じゃあないの。


あの日々に対して
そういう言葉を言えちゃうと
この後も、いつか今度はまた違う人、
きっとまたまじめで責任感がつよいタイプの誰かが
また、かつての私のように
自分だけはわかってあげられる
自分だけは信じていれば今度はちがう
って、
ああ、あなたといると落ち着くんだ
と言われて
喜んでくれるのがうれしいと
どんどん自分を明け渡してしまっても
そして、どんどん
今度はその人からも
自分のもっていなかったものを吸収して
インスパイアされて成長するあなたを見て喜んでいても
でも、ある日また
あなたは望みが変わって方向変換したくなったら
自分の望みどおりじゃなかった
あれが足りなかった、こうして欲しかったと
不満ばかりを数え始めてしまうんじゃないかな。
いくつおもちゃを買ってもらっても
次の瞬間から
持っていないおもちゃを思っては泣いていたあの子のように
いつまでもほんとうの幸せが感じられないよ。


そういえば、かつて、私も過去のひとや、世話して下さった方や
親戚だった人たちへの批判をいっぱい聞かされたねー。
先方だって大変な中をやってくれているのに
不服に思いすぎるんでは??と感じたことがあったっけ。。

ふうん、そうなのかなあ、よくわからないけれど
なんだか大変だったんだねえなんて信じていた
やさしいときはとろけるようにやさしいことを言えるあなたに
まさか、わたしまで、いつか同じように
元凶のように言われるなんて思いもしなかった。。。
あのひとたちについてのことも本当は、いろいろ違うのかもって今は思う。

そして、言葉に刃をもつあなたが
子どもを連れて恐竜博に出かけた日のことも
いまではすりかえられて封印され
当時のことを美談に作り変えて講演なんかしては
魂を語るあなたを、
空から大いなる魂がみている

もう、時が変わったの。

誰かを何かにしたてあげて切り抜けても、きっとだめだし
いいとこだけとって加工してみても
またどこかほかからきっと吹きだして来る。

動きさかりの時からの6年間。
日々のこと、学校のこと、習い事のこと、みんなの食事作りや買い物、
熱があると連絡がある日のお迎えや健康のこと。。
毎日のおさらい、自転車の練習、ピアノのこと
一緒になって笑ったり泣いたり怒ったり喜んだり
夜中までのマッサージ
ああ、これがないと朝起きられないんだよねーと喜んでくれるのがただ嬉しくて。

『自分で選んだんだろ!」と、たまった疲れを訴えたり
子育ての悩みをうっかりあなたに相談したりしたなら怒鳴られたように
全部、私が自分で選んだこと。。


いまは、あんなに苦痛で毎日いやだと言っていた
上司や同僚や会社も大好きになって
肩書きもえらくなれて、好きなことができてよかったじゃない
子供も大きくなって、
「あんたの態度は感謝がないわ!」そうあなたと大喧嘩して、
幼稚園だったあの子を置いていってしまったあなたのお母さんが
また戻ってみてくれて
あなたが人様の自転車を盗んでしまって警察の人が来たときにも
そんなところに置いとく人にかて責任あるんとちがいますか」のように
「男が外で仕事をしていたら浮気のひとつやふたつあたりまえ」
と、私には言ってあげられなかった言葉で
今度もまたかばってもらって
安心して出張に、講演にと、ぞんぶんに「特別なあなたのお役」をできてよかったじゃない


あなたは、自分がきらわれていそうとか
まずいことをしてしまったとか
勝手に負い目を持つとそのひとを先に嫌いになる理由をたくさん作ってしまうけれど
みんな、あなたのいいとこだって見てるよ
一時のことで、そんなもったいないことをするもんじゃないなって
いまは思えるようになっていたらいいね。


・・・夢見ているだけではこなせたりはしないあなたの知らない時間がたくさんあったのよ。
ぐうたらや依存症の人ではとても無理だった思うな。
わかって欲しいなんて思わない。
それも、私が選んだこと、あの時機のお役目だったのでしょうからね。


じゃね。

暑いのでみんな身体に気をつけて☆