運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

3月11日14時の銀座

2013年03月11日 23時13分38秒 | Weblog
目前に迫ってきた伊勢神宮でのご奉納舞のお稽古と
仕事に明け暮れている。

どうしても銀座に行かなければならない用事を昨年から持ち越したまま。
本番前に出かけられる時間がポコッと空いた。。。のが本日。
3月11日だった。

けれど、抵抗があった。
だって、2年前のあの、3月11日の地震に遭遇したのが
はからずも、銀座だったから。
改装中の歌舞伎座の前を通っているとき
大学を卒業してすぐの仕事のときの同僚とバッタリ!合い、
10分お茶を飲みましょう、と入ったカフェで大揺れが始まった。
そのまま、ビルの外に飛び出し
まわるように大きく沿って揺れる高層ビルを
避難して降りたビジネスマン達と見つめていた

そのそばを、狂ったように
鳩なのかカラスなのか
大きな鳥達がなきさけびながらぐるぐると上空をまわり飛んで
ああ、とうとう、やってきてしまった
そう思いながら胸の鼓動を抑えていた

・・・あの記憶が、重なる場所に
よりによって今日、ほぼ同じ時間に行くことになることへのためらい

どこで祈ろうか。。。そう思っていたのに、銀座か。。。と。

けれど、道中、ふと、
元に返る、じゃないけれど
これから、あそこに戻ったら
何か、時空間にひずみができていただけで
ワープのあとのように
それからあとの2年間、が、全部なかったことになったらどんなだろうと思った。

もし、もし、
あの大震災が無かったら、私たちは、日本は、世界はどうだったろうか
何事もなく、良かっただけだろうか
いまだって、まだまだ不甲斐なく情けないばかりの私たちで
復興だって全然できていなくて
山の声も杜の声も、木々の声も草の声もいまだに聴くこともしないし
それなのに、銀座の町では、何もかも忘れて
ランチや買い物に興じているような人だってたくさん見かけるし
書店には、相変わらず
運がよくなりたい、成功したいなんて
個人の思いばかりが溢れた啓発本ばっかりが並んでいる
それでも
あれだけの方々が、私たちみんなの責任で
いまはアチラ側から、私たちのめざめと気づきを祈って願ってくれることになってしまったけれど
あのことがなかったら
わたしたちは、もっともっとひどくって
おごりたかぶり、無神経なまま
振り返ることなく走り続けて
東京なんて、そして日本ごと、壊滅していたかもしれないのではないのだろうか

鎮魂。。なんて、私たちごときがさせていただくなんて不遜だ
あちらの方たちのほうが、ずっとずっと大きな視点で
わたしたちを、ゆるし、見守ってくださっているのかもしれないじゃやないか。

だから、今日は、感謝の祈りだ。
ありがとう、ありがとうございます。
私たちは、ただ、ただ、生かされてここにいます。
空をありがとうございます。
太陽をありがとうございます。
呼吸できること
この光を見れていること事体がどんなに
長い宇宙の中で稀有な一刻、一刻なのだろうかと

銀座を離れて黙祷をしたあと
赤坂御門の中の楠の木や
枝越しに見える太陽の光に
ただただありがとうと
見えるものにも見えないものにも
泣きたいような感謝を、表明したかった

17日に、伊勢の勾玉池の上で
舞わせていただくのも
ただただ、その表明なんだとあらためて
身がひきしまる思いだった。
生かされていただいていることへの感謝を
そう、ただ、ただ、いっさい、ありがたいと虚心に
たまたま、この身体をパイプに使っていただいて
させていただくだけなんだと
偶然にしても、その日、その場所で
使っていただくことになってしまった足さんや腕さん。。
どうぞどうぞよろしくお願いいたします。