運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

火映

2011年01月30日 02時11分25秒 | Weblog
先日の亀山での或るご神事になぜか招待いただき偶然一緒になった霧島の主のようなご夫妻。
実は、昨年の13人のグランドマザーの会議がきゅうきょ奄美から鹿児島の霧島に変更になった折に現れて下さった助っ人だった。

その節のお礼を直接申し上げられた感激のご対面、その背後には、伊勢でお世話になっているN先生夫人や、東京の素敵なおばあちゃまS先生とのご縁もからんでいた。

亀山、伊勢、のあと、いったんはお別れしたものの、不思議な名古屋の豪雪で、またまた名古屋足止めで再会。

結局、その時の盛り上がりから、21日から霧島でそのご夫妻のところで
請われて龍の舞が舞われ、不思議な方たちが集まった。
これで霧島が開かれた、どんどんひゃららどんひゃらら、と喜び唄い舞った直後の、このたびの噴火

あまりのタイミングだ・・・。

発表されている火映の写真には、ポン、ポン、ポンと、いつかみた夢と同じように、三つの丸い光の玉が並んで、上から落下している。

夢では、そのあと、ゴジラが出現したのだけれど、まさかね

来世でとらばーゆするなら・・・

2011年01月27日 19時11分00秒 | Weblog
来世で、また人間をやることがあったなら
せひやってみたい仕事が、セロみたいなマジシャン以外に、もうひとつ見つかった

それは、シャチの飼育係。
ホワイトベルーガ、白イルカも、もう身もだえしそうに可愛いけれど
なんたって、オルカの鼻先に乗っかって風を切っていくことの気持ちよさそうなこと!!!
ホワイトベルーがではあれはできそうもないから。

身体を思いっきりそらせて、風と水に乗り
放り出されたときに、さっとバランスをとる。。今生ではできなさそうなだけに
やってみたい!!!!!
オルカと心身ともにひとつの息の合った瞬間は至福だろうなああ。

東京からわずか数時間のハワイもどき鴨川は
光も風も空も、癒しと祝福の素晴らしい演出をしてくれる。

身も心もカラッポにして、ただただ、生に感謝をしよう。
そこから先のことは
また天にあずけて、直ぐなる心もちて、喜びいさんでゆきましょう。img border="0">


ソーシャル・ネットワークとシュレック

2011年01月21日 00時46分53秒 | Weblog
いつも家族で観てきていた「シュレック」の最終版「シュレック・フォエバー」を観た。
平日の夕方なので子供連れもいるわけではないからほとんど館内貸切状態。

シュレックは、やっぱりシュレックだった。
だけど、今回はシュレックは、手にした幸せに不満が募り、一人だったときの自由を毎日夢恋しく渇望して夢見る。
人は(あ、ちがった、シュレックは怪物だ)なんと、
ないものねだりばかりの贅沢を繰り替えすのだろう。

日々のルーティン、家族や子供の存在、自由に使えない時間、時としてそういう縛りが苦痛になってしまう。
それは誰だってどの立場だってあることだろう。
爆発したいことだってみんな我慢しているかもしれない。
シュレックも窮屈な日々はフィオナと家庭をもったから始まったと、鬱憤を爆発させる。

そして、そんなときに、巧みに誘惑やら試しやらも忍び寄る

思わず、ひきかえに自分の一日を差し出して
もとの自由な怪物になった我らがシュレックが何を見て何を思うのか。。。

奇しくも、先日兼ねてから、当時のハーバードの学友だったという或る知人から聞かされていた話だったので
「ソーシャルネットワーク」を観て来た。
そして、映画の中でも「フェイスブック」が大きくなっていくにつれ、設立前からの友情を失っていく若者の姿を観た・・・

ただ、ふと、二つの映画に思った。
それによって得るもの、満足、達成、のかげに、何かや誰かを著しく傷つけたとき失うものは、やはりある。

自分を見つけたときに、向けてくれる無垢な特別な信頼の笑顔
ほんとうに心をゆるし合った家族同士だけに見せる親しみ
そういう笑顔より、もっと大事なものなんて、この世に本当にあるんだろうか。

それとひきかえにするほど価値のあるものって実は無いのかもしれない。
神様は、それこそが実は最重要課題だから、私たちに縁ありて家族を与えたまうのかも。
1000人の支持者より身近な一人との真の関係を得るほうがむずかしいのは、フェイスブック以降の世の中では
みえなくなりがちかもしれないけれど。

・・・・でも、そこからあとは
シュレックは、どこまでもさすがのシュレックだった、カッコわるいけど最高にカッコイイ!!素敵なシュレック!
弥栄!!

映画館から出たら、空には、新年最初の満月。
周囲に彩雲が輪になっていた。
美しさのレベルがもう去年とは全然違う。

世界も次元もみえないところでちゃんと変わりつつあるって、予感は実感となっている。
いつも、どんなときも、ただ、よろこんでいよう。

雪の音楽

2011年01月13日 21時05分20秒 | Weblog


アンセル・アダムズの森の写真に、いつもピアノの音が聴こえるように感じていた。

新青森からの新幹線で、長い車中と思って本を買い込んで読んでいたら、なんだか社窓のほうから、気配というか、呼ばれているような気がしきりにして、
見たら、一面の雪野原が、静謐なのにその奥にわんわんと音を湛えて続いていた・・・。



ああ、雪は音を秘めるのだ。
雪景色の中には、実は封じ込められた音がたくさん鳴っている。

しばし、本を読むのをやめてみとれていた。

不思議なもので八戸では、ぐっと雪が減り、きれいなオレンジの雲と光が重なっていた。

この数年、関西や九州にご縁があったけれど、東北の、この原風景も胸に懐かしく沁みてくる。

日本は素晴らしい・・・。

永遠の・・・

2011年01月09日 21時17分16秒 | Weblog
やっと・・観ました。懐かしくって懐かしくって、私の、心の映画といえる宝物。
『フォロー・ミー』。

TOHOシネマの朝の名画座でラインナップされて
夢じゃないかしらと待ちながら、六本木ではすぐにSOLD OUTで
涙を飲んで、このたび、府中に回ってきたのを待ちかねて行きました

かつて観るたびにそうだったけれど
やっぱりまた、まだ何も始まらないうちに
ロンドンの街をただ、コート姿で傘を持って歩く男性の姿のところから
すでにグッときて涙、涙・・・

バックに流れている、ブランコがきしむような、なんともせつない、音楽のせいなの。本当に名曲。

ミア・ファローの一挙一投足、表情の変化、場違いなのを、ちょっとおじゃましているだけなのに、いいのかしらというような、遠慮がちな笑顔
そんな中に、それでも、わかりあいたいという、秘めた渇望をわかってくれる何かを一瞬みつけたときの目の端の輝きとか・・

1973年、はじめて観たとき、私は、やっぱりそんな、ひとりをもてあました学生だった。

そして、それからいろんな経験もして、いろんな人に迷惑をかけたり、世話になったりしながら、子供まで産んだり育てたりさせてもらって、心からの愛を注いだり、泣いたり、笑ったり。。
子供達を育てながら、保護しなくっちゃと、責任感で気を張ってきただけで
とっくのとうに大人になれているつもりでいたのに
本当は、私の中の私は、なんにも変わっていないことに気がついた。
ああ、なんだ、やっぱりちっとも成熟できていないんだって知った。
いまもなお、心ひかれるきれいなもの、やさしいもの、自然の声に揺れてばかり、導かれてばかりの毎日だ。

いまごろになって、この宝物に大きなスクリーンでまた再会できるとは思わなかった。
何度観ても、永遠に、のっけのシーンから、私は泣くと思う。
胸の中にきしむような、あのブランコみたいなメロディーを聴いて、泣くと思う。
泣ける幸せってあるって思うひととき。