運命と出会う瞬間

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ロックド・イン・シンドローム:自己に出会うとき

2008年06月10日 10時44分31秒 | Weblog
わたしたちは、みんな、体というイレモノに入っている存在だ、ということを、このところ立て続けに再認識している。

 『潜水服は蝶の夢を見る』というタイトルの本と映画をご存知だろうか。
これは、かつて雑誌『ELLE』の名編集長だったフランス人男性が、突然、ロックド・イン・シンドロームという症状になり、精神はそのままでまさに動かぬ容れ物となった身体に閉じ込められたまま、唯一動かせる右のまぶたで、YESなら一回、NOなら二回という瞬きで意思を伝え、二万回の瞬きによって、アルファベットを指定して書き上げた精神と魂の記録、実話が原作である。

 死を願った葛藤と衝撃の日々のあと、彼は、人間が生きるということは、想像力と記憶力によってなのだと、自分の中にある無限の世界に目覚めていく。
その稀有な美しさ、かけがえの無さ、これが命であり、この世界を味わうことなく過ごすことはとてつもなくもったいないことなのだ、と頭をたたきのめすくらいに思い知らせてくれる。
 世界を、小さな窓のような右目の視界だけから見ることしかできなくなって、はじめて必死にとらえて観察した、妻の表情、涙、子供の微笑み、蝶の羽ばたき・・・・
嗚呼、私たちは、こんなに良く見える両の目で、ふだんどれだけのものをちゃんと見ているのだろうか。心にまで運んでいるのだろうか。

 そして、このごろ、朝のお散歩の折に、我が家に寄っていってくれる、満一歳になりたての可愛い友人のさっちゃん。
 彼女は発育がちょっとばかりスローな、トレンディなスロー・ライフ、で、筋肉の発達も普通より3分の1で、ちいちゃな手、ちいちゃな握力、できることがいまのところずいぶんと少ない。
だけれど、テレパシー??と思うほど、気持ちをわかり、めいっぱいの表情で伝えてくれる。
 彼女を抱っこバンドに入れて外を散歩すると、私の視点も、視界も、さっちゃん視点になり、葉っぱのちょっと揺れた音に、そっちを向き、飛び立った鳥の後をずーっと目で追い続ける、咲いたばかりの山吹の花を撫でてみたり、幼児たちのきゃっきゃと笑う声、ホースの水で遊ぶ声に目を見張り、耳をダンボにする、・・世界って、こんなに不思議なこと、珍しいことでいっぱいなんだ、地球ってすごい、さっちゃん、あなたは、もしかして、それを見たくって、待ちきれなくて、ちょっとまだ完全ではないいれものの肉体に飛び乗ってやってきてしまった宇宙人なの??

 この、ふたつの、神様からのギフトのような出会いをいただいてから、蝶々をみかけることが多くなった。
蝶々が増えたのではなくて、私の目に蝶々が見えるようになったのだろう。
今まで見ていなかったことへの申し訳なさ、ふがいなさ、に泣けるような、それでも今までよりは少し見えるようになったことが嬉しいような、いてもたってもいられないような初夏が始まってきている。