運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

チャンス

2010年08月12日 09時49分35秒 | Weblog
・・・どこまでも自分のことしか考えずに勝手を言ってくるばかりで、
   いよいよ本当に怒ろう・・・そう思ったとき、ふと、あ、これをゆるせるか チャンス。

   天国にいたいか地獄にいたいか、なあんだ、ただのチャンス。 

ムーンライト・シャドウ

2010年08月12日 02時18分26秒 | Weblog
1989年、どこもかしこも、華やかなカバーの、よしもとばなな作品が積まれ氾濫していた。
『TUGUMI』と『キッチン』・・その氾濫ぶりに辟易して、意地でも買うものか、と思っていたが
泊りがけで遊びにきていた従妹がもってきていた一冊を、彼女がお風呂に入っているあいだに、
そっとぱらぱら見て、いっきに引き込まれ読んでしまったものだ。

あの、懐かしい『キッチン』が、真紅の、シンプルな装丁で文庫になっているので、思わず買った。

海燕で新人賞をとったという『ムーンライト・シャドウ』も収録されている。

あの頃、この作品に出てくる、うらら、という女性のように、いつかは、さりげなくだれかの悲しみをすこしだけ紛らせてあげられるような、実力をつけたいと思った。

あれから20年以上も経って、実力どころか、まだ逆に、だれかのあたたかい好意のかたじけなさにじーんと泣いたりするほうの自分でいることが不甲斐ない。

でも、あの、うららがやっていた、相手の顔を思い浮かべると電話番号が浮かぶということは、修行したわけではないけれど、できるようになった。
先日も浦和にかつて住んでいた大学時代の友人の話をしていたら、もう何十年もかけていないのにちゃんと番号が頭の中に出てきてびっくりした。

記憶はファイルと同じ、脳のどこかにはしまわれているのだろう。
検索をかけさえすれば、その方法さえわかりさえすれば。

思い出すとは、思いによってデータを出す、ということなのかな。
思い、がなければ、呼び出せない、出てこない。対象への自分なりの愛の瞬間芸だって思う。
よく、人の顔も名前も覚えないことを自慢のように言う人がいるが、それは
どういおうと、対象に思いも関心もないからだ。自分にしか、自分の興味のあることしか人は
覚えない。

赤い文庫になった『キッチン』が呼び覚ますたくさんのファイルを楽しみながら、じっくり読み返してみよう。