運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

あたりまえなこと

2012年03月30日 23時56分39秒 | Weblog
お誘いをいただいたときから
逡巡していた

もう、遠いこと
置いてきたこと
後にしたことだから

まるで、どこかの下界の話のようで
それでもまあ、流れのままにいただいて
その日が近づいてきたけれど
やはり、お腹の声は
もう、そんなところには
自分の心がいないなあと言っていた
成層圏の外から
地球での出来事を見るような感じ

傷つきすぎてしまうと
妙にタフになるのか
それとも
垣間見た世界が
人間界だけがすべてではないということや
時間軸だって私たちが理解しているようなものではないことや
すべてのことは無関係に
でも実は関係があって
パラレルに
連動しているということなどをリアルに見てしまったから

人がみな同じだということなどは
それはもう、物心ついたときから
あたりまえの、自然な感覚だったし
背が高い人と低い人がいるように
身体的な違いはみんな個性であって
手の長さや指の数私とはちがうひとがいても
お話の仕方がゆっくりだたり、手でする人いたって
みんなその人なりの方法であって
ちがうと思ったことも発想もなかった。
だれもがみんながそれぞれそのままでいいなんてことも
声高に言わなくたって
もう、あたりまえだのクラッカーのことだったから
恩はどうしてもその本人に返せなければ
他に送れば宇宙からみれば同じだということも
もう、わざわざ言うことでもないあたりまえの大前提だったから
いまさらの発見みたいに聴こえてくると不思議なくらいだった

だけど、大切なのは
だから次々踏み倒していってもいいとひらきなおるのではなく
何に真実を尽くすのかがやがて宇宙の一部になり
結果として返せなくて送ることになったとしても
何とか返したいと
どこまで本気でやるかを
宇宙はみていて、その本気がやがて宇宙の一部となり
そして自分はその宇宙の一部になる

ひとりひとりが輝くのは
もう予定のうちで決まっていること
でもどうぞ
おおいに語りたまへや
啓蒙をしたかったという記憶がDNAに残っている人はそれを選び
助けることのできなかった木々や花を守りたいという記憶がDNAに残っている人はそれを選び
愛を尽くしたかったという記憶が残っている人はそれを選び
ひそやかに星を見んとしたかった人はそれを選び
この地球という貴重な場があるうちに
シヰを具現化して
各々のテーマを果たすのだもの。


シンプルな幸せへの回帰

2012年03月04日 00時25分28秒 | Weblog
飛行機の中では
ふだん、あまり観ないハリウッド映画とかも
思わずみ観入ってしまう。

今回、評判の「タイム」と「ファミリー・ツリー」を観て
暗澹たる・・・とまではいかないけれど
アメリカ、というより、人間が
生きている,ということ自体の歓びからハズレ出し
物質やお金を介在させたことでのひずみは
こんなに根深く複雑な錯覚をもたらしているとやるせなかった。

わたしたちは、ギルティーさえも
それを人生だ、それが人間だ、とむなしく肯定しながら
魂からの幸せをあきらめて歩み続けるの?
いやだいやだ、愛してる、逝かないでと
とりすがることもなく、すべては続いていくものなの?
みんなにお金を分けるという正義のためには
人を殺しても犠牲にしてもオッケーなものなの?
どうせこの世界は実験場だから?
自分が実験をしていると、そのための実験場だと思って
得点をあげることに没頭していると
実は、試されているのは、実験されているのは自分だとしたら?
見られているのはほんとうは何だろう。

制限とルールがあるのは
その制約のなかでも、選択し、どう振舞うか
愛をもとに行動できるかという実験に必要だからなのだとしたら
それを試す星が地球なのだったとしたら・・・?

それでも、「ファミリー・ツリー」 の方は
まだ、かすかな灯りを見つけてそこに向かおうというのが見えるけれど
「タイム」は、ざらつく後味を否めなかった。
斬新な着想、というなら、かつての「GATACA」を彷彿とさせるが
背景が浅いというか・・・
主人公のオーランド・ブルームの狭い額の印象なのか
せっかく、持ち時間との日々のせめぎあいから
巨万の富ならぬ、お金の代わりである時間を沢山得て
それを使ってすることが
ホテルのスイートや、カジノや、美女とのパーティーというのだったり
知性とか人間性とか品性とか、そういう、
何か大事なことが、虚構の世界であるだけでなく
制作側の人間性というかフィールドの中に欠けてしまって空しい。

わたしたちはどうやって、ここから抜け出せるのか
幸せってなんだろう、と暗澹たる気持ちで
チャンネルを変えたら
『グルジアの夏』が。

圧倒!!くっきりとした色彩とシンプルさ。
説明の無い、生の謳歌だった。

・・・グルジアの、或るよく晴れた一日のできごと。

老人が乗っていた馬車のロバがきゅうに道路に座り込み
老人が何を言っても
車がクラクションを鳴らしても
警官が押しても
居座ったまま、交通渋滞を引き起こしている

村の農作業の昼休み
鮮やかな緑の草原の中で
真っ赤な服を着て赤い野の花を摘んでいる若い美しい女性
物陰から彼女を慕ってそっとみている若者
そこに、娘の赤い服を見て
興奮した雄牛が角を降りたてて突進してくる
危機を知らせて叫ぶ若者

キャーっと、逃げ惑いながら、
間一髪で、大胆にもドレスを脱ぎ捨てて一糸まとわぬ姿になった女性
牛が去ってから、彼女は若者に近づく
内気で目も見れない若者の頬に
そっと、自分からキスをする彼女
にも、何もすることもできない若者

その、キスの、幸せな余韻だけをかみ締めながら
手に、彼女から渡された一輪の赤い花を下げて
放心したように歩く若者から
目には見えないけれどたちこめている
まさに、恋。。。のオーラ。
が道路を歩いてゆく。
彼が歩いて来た瞬間
道路にすわり込んだまま
梃でも動かなかったあのロバが
つられたように立ち上がり、
何事もなかったように歩き始めた
それだけの話。

・・・そうだよ、地球に生きるしあわせって、
こんなシンプル。思い出したよ。
ブラボー!!ありがとう。