運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

可愛いと言わないで!?

2012年04月22日 23時16分22秒 | Weblog
妹が生まれることになった○チャンにとって
最大のタブーなのは
「カワイイ」と言われること。
まだまだ二歳で
本当はパパママを独占していたい年頃だもんね。

でも、聡明な彼女はけなげに、ひそかに
妹が生まれる日が近づいてくるあいだに
未練の残るママのおっぱいを譲り渡す覚悟を決めたらしく?
「アタシはもう、カワイイ、の赤ちゃんじゃなくて、大きくて素敵な○ちゃんなの」
そうナットクすることを、彼女なりの誇りにまで高めて
いじらしくスナオに元気にスクスクと過ごしている・・・けれど

実は、肩のあたりにやっぱり、力がヒクヒクと入っているのか
公園や神社をお散歩したりしていると
すれ違いざまに見知らぬオバサマとかが
思わず
「あーら、カワイイわねえ」と声をかけたりしたら大変☆

小さな身体を前かがみにしてこぶしをおひざでぎゅうっと握りしめて
 「アーっ!!コラー!!○ちゃんは、カワイクなんかないいいいーーーー!!」
と、半径一キロに響き渡るくらいの声で叫んだのち、ウワー!と泣き出すから
ほめたつもりのおばさんは目を白黒させてオロオロ。。
連れているこちらは
なだめたり、すかしたり、オバサマにすみませんと謝ったりして必死でその場を立ち去らねばならない。

「決して、私たちがこの子に、『あなたは可愛くないのよ』なんて教え込んでいるんじゃありません。
パパもママも周囲も、毎日、「大好きー、むぎゅ-っ」と目に入れても痛くなく可愛がっているんです!
自発的にこの子がそのようにいま決めているのですー』
・・・なんて、解説のしようもないので
怪訝そうな人々の視線を浴びながら
泣いている○ちゃんに、
「あ!ほら、鳥さんだ!」とか
「ネコさんが来たよー」とか、必死に気をとりなおさせるしかない。
あー、困ったもんだ。気軽に声なんかかけないでよ。ペットの散歩じゃないんだから、、なんてぼやいたり
だけど、私の幼少のみぎり??にソックリ
お目目パッチリで、丸いお顔で、本当に愛くるしいんだもの
花びらをふうっとしている場面や
トコトコ駆けている姿に、
思わず声をかけるのは無理も無いわー、なあんて思いながらも

『お願い、もう、これ以上誰も カワイイわねって言わないでえ』
修羅場が繰り返されないことを願いながらそそくさと帰路に着く。

で、翌日、またお迎えにいってみると○ちゃんの着ているのは
色白なお顔によく似合っているきれいなお花もようのポンチョ

瞬間的に、反射的に、私の口から歓声が飛び出た。
「アラー!可愛い!!」


・・・その後の阿鼻叫喚は・・・語るまでもないのです。


春のいのち

2012年04月04日 13時31分16秒 | Weblog
…春の気配に誘われて
久しぶりにできた空き時間で
すぐ近くの雑木林と渓流に自転車散歩。

途中、「カタクリまつり」と看板が・・・あれれ??
本当に野草好きそうな人たちの群が歩いている。

大好きな水の流れの音を聴きながら
春の空気を満喫。
水の中にはおたまじゃくしも泳いでいて
対岸には土筆もホトケノザもハコベモイヌフグリも
春だよーーーっといっぱいに咲きつめている。

ああ、こういう土手がたまらない。
私の原点みたいな感じ。
小さい頃から
土筆を摘ませていれば一日じゅう飽きることなく
とりすぎてははかまをはずすのに時間がかかり
母をこぼさせたものだった。

サラサラ、チョロチョロという流の音を聴きながら
木漏れ日を浴びていると
自分の中の生命力が、陽に干された木綿ふとんみたいに
みるみるふっくらとしてくるのを感じる。

いのち、ありがとう。
春さん、ありがとう。
と、言ってみる。
しあわせだなあ。

コピーとコピー

2012年04月01日 22時49分41秒 | Weblog
山手線に乗ろうとしたら
大きな看板があって
「Think Big!」・・・あらら、誰かさんが作ったチーム名と同じ。
よく見たらあのお釈迦様の生まれ変わりと自ら称している方の率いる
Kの科学のポスターだった。

ふうむ、そういえば、…思い込め方とか、
キャッチが大好きなところとか、本質がとっても似ている。
なるほど、だから発想も同じになるんだなあと思わず感心してしまった。

そういえば、悪事や女性関係が暴露されそうになって慌てたあの教祖さんは
ずっと
ギリシアの女神の生まれ変わりと言って周りにも信奉させていたはずの
自分の奥さんを
今度は動物霊が憑いている狂った女性呼ばわりして無理やり離縁してしまった。。
のかな、広告の見出しでしか知らないけれど。。。
そうだとしたら、そういうやりかたまでまったく同じだー、なんだかしみじみ。

その奥さんは、氏の言葉の信奉者の群れなどから離れて
騒ぎの前から誰にも言わずに
東北でずっと一人、名も明かさずにボランティアをしはじめてきていたと聞いた。
きっと、彼女こそは、かの教祖の名もなき頃からの
最初の信者であり
誰よりもかの方を支えてきたのかもしれないが
自信をつけてさらなる野心で変わっていく人や
それを囲んで寄ってくるとりまき
それらの人たちに
心の友とかいいながら
「俺のブレーン」と実は呼んでいるような
見えてしまうウソや矛盾
言論と実際との隔離などを
見ないように、信じきろうとしていた苦しみから
きっといまは、解き放たれて
すべてを失っても元に戻り軽やかに自由なのかもしれない

「いま、きゅうに名前が降ってきたんだ、どうかな?この名前」といって
コーエンなんてカタカナで名乗リ始めた頃は
その名前で「恋をしよう!」なんてこっそりブログを始めたりして
本当にメチャクチャだった
少し、思い出してしまったけれど
もう、遠いことだ。
あの頃は、きっと何かがおかしかったのだろう。
それこそ、何かが空から降ってきて
おかしくさせられていたのかもしれない。

もとはきっと素朴に真面目に世界や人の役に立ちたいと
思って力を合わせていたのであろう2人の
かつての心に還っていける妻の姿など
教祖さまは、別にうらやましくなどもなく
アメリカに、世界に、なんて
さらに「ビッグ」に進出、信者拡大を考えていかれるのだろうか。