運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

"This is it "  MJ・・・・。

2009年12月22日 02時45分13秒 | Weblog
見始めて、すぐに泣けてしまった。
オーディションを受けに集まった男女がそれぞれに、MJこと、マイケル・ジャクソンが、いかに自分の人生に大きい影響を与えたかを話すときの、思いが、ばーんと入ってきて、泣けた。
そして、三人の私の息子たちを思った。それぞれに素晴らしい才能を持つ息子たち。夢をあきらめないで、世界は大きいよ、もっともっと無限だよ。
とくに、多感な思春期を迎えている三男に言いたかった。いまの君は何にどれだけ夢中になってもだれにも迷惑かけないでいいんだ、傷つけることもない、いまこそ、思いっきりやればいい、大人の勝手にふりまわされて忘れないで、あなたは、天才だったじゃない、鳥の天国を一緒につくったとき、桜の写生にいったとき、幼稚園のとき、キーボードで、バッハを弾いてきかせると、天使がいるみたいな音楽だと、絵を描いてくれたじゃない、モーツアルトとショパンの違いを知らないのに、ちゃんと分類できたじゃない、めちゃめちゃいい耳と長い指をもっているじゃない、君が本気でやるんなら命がけで応援するよ。

スターは、星っていう意味だけど、マイケルは本当に「星」だった。
いるだけで、光を放つ星。
そして、驚いたことに、その存在感と矛盾することだが、自我が、感じられない。
自我の層が限りなく薄い人だ。
大勢といるとそれが際立つ。マイケル以外が映ると、そこには肉体と自我を持った、人間がいる、だけど、マイケルは、完璧で無機的で、だけど、彼が言う I
Love You は嘘じゃない。 全体を通して、ひとりひとり、を愛しているのがかんじられる。こんな人だったんだ。
やっぱり、その昔、ドラゴンボールのゴクウができる人はマイケル、と思って、そのあと、整形とかでこわくなって変わってしまったと思っていたけど、やっぱり、この人はゴクウだ。そして、地球での滞在時間が期限切れになり、体もぼろぼろになって、サイヤ星に還っていってしまった。
だけど、光を置いていった、みんなの胸に種として。
「This is IT」 彼こそは、「it」、絶対的にオリジナルでありながら、普遍的で大きい何者かの一部、いつも穏やかに、静かに話す。
けして声を荒げない、そして、伝える。
「・・・さあ、変わろう」って。

自分に正直、の定義は?

2009年12月19日 23時51分17秒 | Weblog
人が動物と違うのは、ただ、欲望に正直なだけではない、何か、があるゆえ、だと、私はなぜか、本能的に子供のときから思っている。
神や宇宙のかけらと同じものをもっているって。それは誰でも同じ。
ただ、最近、自分に正直であることと、自分の「欲」に正直ってこととが混同されて、いいわけや気休めにすりかえられていたりする.
誰をどう傷つけても言いということではないと思う。
いい人をやめると楽になる、という曽野綾子の本が売れているけれども、私は、その背後にある、「いいひと」は嘘である、という前提が嫌いた。いい人は、人目のためにあるのではないと思う。
人目がなかったら、いい人じゃなくなるんだったら、もともと、人のためにって気持ちが自発的には湧かない人なんだろうって思う。
ストイックに生きようなんてばかなことをいいたいんじゃないし、わたしだって、迷ったり泣いたりする弱い人間だ。

ただ、私は思ってしまう。
逆に、好き勝手に徹したくても、欲望のままに、誰かや何かを踏みにじろうと思っても、そうしようと思っても、そうしたくても、どうしてもできないで苦しむ、人間の中にある光るものを。私たちはその光をもつゆえ、きっと、人なんだと。もし、誰もみていなくても、縛るものもなくても、それを感じる感性が、品性が、きれい、穢いと、古来、日本人が感じてきていたものなのだろう。
卑近な例だが、たとえば我が家の主人は、こっそり、私の携帯を夜になると見ていたことが昨年よくあって、でも、おかしいと思ってきいても、きっぱり、違うとウソが言い張れた。結局、やはり見ていたと、本当のことがばれたときは、しくしく夜中に泣いていた

から、本当に心配して、一晩背中をさすったりハグしたりしたものだった。 なのだから、あのとき、何ひとつ、疑われる要素のない私のを見ていたんだから、あきらかに、おかしな言動をして、トイレにまで携帯を隠し持っていったり、肌身離さなくなった主人のを、今度は私が見るのなんか、かまわないはずでも、それでも、どうしても、見れなかった。
そこまではできなかったのは、誰かのためでなく、自分の何かのためだった。

人はまちがうから魂を汚れをつけてしまうこともある、それは本当に、私も、みんな同じ、けれど、汚れたら、そこからどうずるか。それを認めるか認めないか。
人のせいにしてしまうか、それとも、それをきれいに洗わずにはおれないか、私は人には、後者につながる「何か」が備わっているのじゃないかと 信じたい。そして、ゆるしたり、ゆるされたりを知りながら、みんなで進んでいくんじゃないかと・・・。
自分が新しい人生をはじめたいと言って別居したいとか、離婚したいとか、一方的に頼んできていたのに、あとになって、きゅうに、
たくさんの笑顔や楽しい記憶を、まったく違う話に作りかえてまで、自分のせいでなく私のせいにしてしまおうとするのは、わかってはいても、利害関係のためには、いいはらなきゃならないとか??いったいなんのためなんだろう・・おひとよしついでに、反論もせずに彼の希望通り消えてあげたらいいのかもしれないが、私も、生きていかなければならないし、真実を曲げてまで、不当に扱われなければならない存在でも、そのために生まれたのでもないと思う。それでは、せっかく宇宙に産んでもらっている、この自分に対して申し訳ない。自分に正直って、それこそこういう場合に使うんじゃないのかな。むずかしい。

蘇る記憶と消す記憶

2009年12月13日 01時28分32秒 | Weblog
来年、奄美大島からいろんなものが発信する。
そのプレ祭りとしてアワのほしまつりがあり、今日は「アワのうた」の舞を披露した。

富士山もよく見えて、いい空だった。

すべてよし、観音様になって、別の世界のときの出来事を見ているように、舞を舞うことを教えてくださるアマミ舞の宗匠・・この方もまた、初女先生のように、「動の祈り」の方だ。こういう方に出会わせて下さる神様は、やっぱり、見ていて
くれてるんだ、どんな時でも。

バースデー

2009年12月03日 20時07分18秒 | Weblog
今日は母の80歳の誕生日。80年…凄いことだが、『あっという間よ』と本人はのたまう。この歳になってまで、いまだ、私こと娘のことで安心できないのは気の毒すぎて胸が痛む。幼児と4匹の猫のいる男と一緒になりたいといったとき、そんな苦労をさせるために生んだんじゃない、そう泣かせた、うん、だけど、私たちはだいじょうぶ、私は、二人を大好き、二人を支えて、絶対幸せにやっていくから、前妻との心身に負担の大きい結婚生活、相手が病気なだけでなく、性格も合わなくて、夫婦と思えなかった、など
彼の苦痛話をたくさんきいていた。だからよけい、私だけは彼を理解してあげなきゃ、と。以後いっさい愚痴や泣き言はなしとの約束どおり、子育てしながら、仕事でも二人三脚、どうやら馬が合うらしい、結構楽しそうに家族でイベントやったり、よかったよかった・・そう思ったか、母もいつも夫の仕事にも協力して本をたくさん買ってくれたり、息子のことも孫として気にかけてかわいがってくれていたのに、それが、その息子が手がかからなくなって、反抗期の思春期を迎えたとたん、「人生を変えたい」、と言い出した夫から、娘がご用済みにされてしまいそうなわけだから心痛も無理もないが。
ごめんね。。私にも、いまは、どうにもならないんだ。でも、選んだのは私だ。それまでも、そうやって方向変換を繰り返してきていた相手だったけど、自分とだけは違う、私と彼だけはちがう、彼にとって私との縁は特別、そう思ってしまったのは私だ。
「苦労かけるねえ、そのぶん、将来大事にするからね。。」などと、そのときは本気で言ってくれていたのを真に受けたのは私だ。
彼は進み続ける、過去にしたものを否定しながら、そうすることで進む、最近ダライ・ラマでさえも。ダライ・ラマでさえそうなんだから、私がずっと彼の心を変えずにいられるわけはないと思おう。

でも、母上、待っていてね、長生きして、元気でいて。
この七年のことも、恨みもしていない、やるだけやって、宇宙に貯金したぶん、わるいようにはならないんだから。きっと、私の親でよかった、そう思わせてあげるから。
いまはただ、一人とか二人とかじゃなくて、もっと大勢の子供みんなに役に立つような、そんなことができる力をつけるからね。
そんな思いをこめて、心をこめて、なぜか餃子と(バースデーに?)冬野菜料理を作り、一緒に食べて、小さなチェリーパイにろうそくをたてて、お酒の飲めない同士、1mmだけのワインで乾杯した。