どんなことがあっても寝込まずにきたし
どんなことがあっても、強いネーと言われるくらい
へこみきらずにここまでこれたと思う。
けれど
不覚にも
このところ、力が入らないのだ。
なんというのかなあ
深ーい、自分でも気づかないところの元気が蝕まれている感じがする。
めずらしくヘルペスなんてものになり
相当ストレスがありますねと言われて
お日さまさえ出ていれば
空さえ綺麗なら幸せという
天然ストレスレスと自他共に思っていたのであらためてびっくりした。
そういえば二週間前の11月3日、
その昔、ああでもないこうでもないと企画段階から
裏方で相談しあっていた当時を懐かしみながら
数年ぶりに、いまやシリーズとなっている或るイベントに行ってきた。
大丈夫。
もう傷も癒えて、おおらかに応援できるしって。
けれどまさかの、のっけから
なんにも知らないお気の毒な最新のお相手母子に
バッチリ出くわしてしまうなんて思わなかったから。
そして、その男の子が、
この間まで、二人で、泣いたり笑ったりしながら、
一生懸命育てて来た子の昔の面影や雰囲気に
息を呑むほど似ていて
万感が甦り、せつなくなった。
新しいお相手なので
彼の子というわけではないのはわかったけれど
母子の面影が、かつての人と、その子の小さいときと似ていて
それが、かえって、自分の存在がその狭間の架け橋になっただけ
子育てのあいだの仮の乳母だったようなショックだった。
ただでさえ活躍するためには
家族が足かせに思える人だから
いまさら、わざわざ、途中からの難しい子育てなんて
責任を負えるとは思わないけれど
いま、じわじわと
ああ、またかあ、もうかあ。
あっぱれだなあと
そういう思いがひたひたと
なんだろう、世の中にはそれで通る人もいるんだっていう感じ。
繰り返されていく途中の繋ぎのお役
その歯車のひとつになっただけにしては長い年月と
ひきかえにしたものは大きかったなあと。
実はどんなひどいことをしても
仕事で成果を上げて
仕事で実績を示してみせればチャラだという
実益主義の考え方に
そして、実際にそういうことで動いていくこの日本の今の社会で
「成果も出さないで」、と言われて逆に開き直られたくなくて、
屈したくなくて
いきなり何もかもなくなった状態から
これまでいっしょうけんめい、泣かずに、止まらずにやってきて
やっと成果がどんどん出てきた今と
先日見た光景が重なって
どっと、気力が抜けたのかもしれない。
当時、こんな卑怯なやり方、絶対認めてはいけない、訴えなさいと
法律の関係者たちからは異口同音に言われても
結局そうせずに、
人生をやりなおしたかった本人でなく
ゆずるように、ゼロからやりなおしをしたのは私のほうだったのは
裁くのは人ではなくて天だと思う、日本人としてのDNAと
「どんなことも話せば分る」と言い
声を荒げたり手を上げたりすることのなかった
弁護士だった亡き祖父のDNAと
わかる人にはいつかきっとわかってもらえるんだから堪えなさい、という
母の言葉。
それに、前途のある若者のためからも。
そのことに後悔はないし
逆の立場にならなくてよかったとは心から思っている、
もし、私が逆だったら、いつか
自分が一途な相手にどう対したか
どんなふうに誠意に返したかを気づいたとき
悔悟でいたたまれなくなるだろうと思うから。
だから、気づかずに、しあわせにしていてくれていいと願う。
それなのに、なぜか
いままで、そう思ってやってきたような
すべて必然とか、無駄はないとかいうような
ポジティブに意味づけをしての歩みが
あの、イベントの日から止まっているのは
そうすることよりも
今回はちゃんと自分の愚かぶりをしっかり認識すること。
せっかく見えていても見ないようにして、
いいようにとってはお人よしをしてしまう自分の癖の結果に
少々つらい作業でも期間でも
こういうふうに徹底的に向き合うことも必要だからかもしれない。
学びはいかさなくては。
どんなことがあっても、強いネーと言われるくらい
へこみきらずにここまでこれたと思う。
けれど
不覚にも
このところ、力が入らないのだ。
なんというのかなあ
深ーい、自分でも気づかないところの元気が蝕まれている感じがする。
めずらしくヘルペスなんてものになり
相当ストレスがありますねと言われて
お日さまさえ出ていれば
空さえ綺麗なら幸せという
天然ストレスレスと自他共に思っていたのであらためてびっくりした。
そういえば二週間前の11月3日、
その昔、ああでもないこうでもないと企画段階から
裏方で相談しあっていた当時を懐かしみながら
数年ぶりに、いまやシリーズとなっている或るイベントに行ってきた。
大丈夫。
もう傷も癒えて、おおらかに応援できるしって。
けれどまさかの、のっけから
なんにも知らないお気の毒な最新のお相手母子に
バッチリ出くわしてしまうなんて思わなかったから。
そして、その男の子が、
この間まで、二人で、泣いたり笑ったりしながら、
一生懸命育てて来た子の昔の面影や雰囲気に
息を呑むほど似ていて
万感が甦り、せつなくなった。
新しいお相手なので
彼の子というわけではないのはわかったけれど
母子の面影が、かつての人と、その子の小さいときと似ていて
それが、かえって、自分の存在がその狭間の架け橋になっただけ
子育てのあいだの仮の乳母だったようなショックだった。
ただでさえ活躍するためには
家族が足かせに思える人だから
いまさら、わざわざ、途中からの難しい子育てなんて
責任を負えるとは思わないけれど
いま、じわじわと
ああ、またかあ、もうかあ。
あっぱれだなあと
そういう思いがひたひたと
なんだろう、世の中にはそれで通る人もいるんだっていう感じ。
繰り返されていく途中の繋ぎのお役
その歯車のひとつになっただけにしては長い年月と
ひきかえにしたものは大きかったなあと。
実はどんなひどいことをしても
仕事で成果を上げて
仕事で実績を示してみせればチャラだという
実益主義の考え方に
そして、実際にそういうことで動いていくこの日本の今の社会で
「成果も出さないで」、と言われて逆に開き直られたくなくて、
屈したくなくて
いきなり何もかもなくなった状態から
これまでいっしょうけんめい、泣かずに、止まらずにやってきて
やっと成果がどんどん出てきた今と
先日見た光景が重なって
どっと、気力が抜けたのかもしれない。
当時、こんな卑怯なやり方、絶対認めてはいけない、訴えなさいと
法律の関係者たちからは異口同音に言われても
結局そうせずに、
人生をやりなおしたかった本人でなく
ゆずるように、ゼロからやりなおしをしたのは私のほうだったのは
裁くのは人ではなくて天だと思う、日本人としてのDNAと
「どんなことも話せば分る」と言い
声を荒げたり手を上げたりすることのなかった
弁護士だった亡き祖父のDNAと
わかる人にはいつかきっとわかってもらえるんだから堪えなさい、という
母の言葉。
それに、前途のある若者のためからも。
そのことに後悔はないし
逆の立場にならなくてよかったとは心から思っている、
もし、私が逆だったら、いつか
自分が一途な相手にどう対したか
どんなふうに誠意に返したかを気づいたとき
悔悟でいたたまれなくなるだろうと思うから。
だから、気づかずに、しあわせにしていてくれていいと願う。
それなのに、なぜか
いままで、そう思ってやってきたような
すべて必然とか、無駄はないとかいうような
ポジティブに意味づけをしての歩みが
あの、イベントの日から止まっているのは
そうすることよりも
今回はちゃんと自分の愚かぶりをしっかり認識すること。
せっかく見えていても見ないようにして、
いいようにとってはお人よしをしてしまう自分の癖の結果に
少々つらい作業でも期間でも
こういうふうに徹底的に向き合うことも必要だからかもしれない。
学びはいかさなくては。
昨日は、ご縁あって学んできたものの卒業式だった。
証書と真紅のバラをいただき、
自分なりに落とし込めた良い節目になったと
2011.11.11の翌日にふさわしい門出に感謝した。
打ち上げの席で
恩師が、きゅうに真面目な顔で
「あなたには、書いてほしいの。
書く役目が、伝える役目があるんだから、書きなよ」と、目をハッシ!と見据えておっしゃった。
…そ、そうでしょうか、このところ、なんだか、そんなことをよく言われる。
でも、実は、確かに内外に定まってきて、
何をさせていただくのか
何を書かせていただくのかは、うん、受け止めています。
そこのところは、コツコツと、たゆまず、やって参ります。
そして、それと交わるように
長年心をかけてきたことがふたつ
目に見える形でまとまったり、始まったりしている。
うん、ちょうど、どれも、今に、これからに、必要なことたち
私たちが思い出して、そこから力を得ていく
大切なものたちだからね。
そういう大事なものたちを
ぶれずにツタエさせていただくために
ここまで来させていただくために
通った道も
すべてそのために鍛えられねばならなかったから
あんなにハードだったのかと
いまは想う。
帰り道の、一日過ぎた満月は
黄白色のものすごい光を湛えて、
こちらにまっすぐ話しかけてきた
だいじょうぶだね
ほんきだね、これからも
はい、はい、おかげさまで
ずいぶん強くならせていただきました。
今の私にはなーんの迷いも不安もぶれもありません。
ありがとう。
ただ、ありがとう、ですべてをいただいています。
帰宅したら、届いていた荷物。
中身は
パーフェクトなDVDブック。
参りました。
2011年11月12日
宇宙は続くよ、どこまでも・・。
証書と真紅のバラをいただき、
自分なりに落とし込めた良い節目になったと
2011.11.11の翌日にふさわしい門出に感謝した。
打ち上げの席で
恩師が、きゅうに真面目な顔で
「あなたには、書いてほしいの。
書く役目が、伝える役目があるんだから、書きなよ」と、目をハッシ!と見据えておっしゃった。
…そ、そうでしょうか、このところ、なんだか、そんなことをよく言われる。
でも、実は、確かに内外に定まってきて、
何をさせていただくのか
何を書かせていただくのかは、うん、受け止めています。
そこのところは、コツコツと、たゆまず、やって参ります。
そして、それと交わるように
長年心をかけてきたことがふたつ
目に見える形でまとまったり、始まったりしている。
うん、ちょうど、どれも、今に、これからに、必要なことたち
私たちが思い出して、そこから力を得ていく
大切なものたちだからね。
そういう大事なものたちを
ぶれずにツタエさせていただくために
ここまで来させていただくために
通った道も
すべてそのために鍛えられねばならなかったから
あんなにハードだったのかと
いまは想う。
帰り道の、一日過ぎた満月は
黄白色のものすごい光を湛えて、
こちらにまっすぐ話しかけてきた
だいじょうぶだね
ほんきだね、これからも
はい、はい、おかげさまで
ずいぶん強くならせていただきました。
今の私にはなーんの迷いも不安もぶれもありません。
ありがとう。
ただ、ありがとう、ですべてをいただいています。
帰宅したら、届いていた荷物。
中身は
パーフェクトなDVDブック。
参りました。
2011年11月12日
宇宙は続くよ、どこまでも・・。
気がつけば
自分の感じ方や見え方を
もてあましてきたものだから
わたしにとっては
感性というものは
私の生を、生き辛く、苦しくしているものだと感じてきたから
だから
大人になって
茨木のりこの
「自分の感性ぐらい」という詩にであったとき不思議だった
どうして、感性なんて、ないほうがずっと楽なものを
わざわざ、磨いたりほしがったりする人がいるんだろうって。
何かを感じたり、こだわったりするより
平凡に、穏やかに、よけいなことは見ずに感じずに
自分の感じ方や考えなんて何にも持たずにいたいのに、って
日々をただありがたい、ありがたい、だけで生きていけたらどんなに幸せだろう
なぜそうできないんだろうつて、
いつも自問自答の繰り返してきていたから。
なので、それはまるで、
あまりにも直毛で、
金太郎のようなおかっぱか、お下げしかできないこの髪からしたら
羨ましくてならない
素敵な、ふんわりウェーブのヘアの人が
お金をかけてまで
それをストレートパーマにする気持ちが分らないのと同じように不思議なことだった。
人は、ないものねだりをしてしまう。
自分は自分。
そうひらきなおれて、毎日が少しばかり楽になれて
それに、いつのまにか
毎日をありがたい、ありがたいと生きられるようになって
それでも、私はまだ、ときおり夢見てしまう。
人口が、百人もいないような島に生まれて
二軒隣かなんかに生まれた
親同士が遠い親戚だったりするような幼馴染と
時が来て自然に結婚して
毎日、二人で綺麗な朝陽をみて
魚を採ったり、草を編んだりして
子供が生まれて、孫が生まれても
変わらない島の日々を仲良く重ねて
静かに年老いていけたらどんなに素敵だろうって・・・
ザッブーン、なんて、波の音まで聴こえるような
毎日、毎日、おんなじ日々の平和な暮らし。
違うのは空の色と雲の形と四季の草花だけ。
そんな夢を、ときおり見てしまう。
おそらく、それは、叶うことがないから
多分、一番遠いところにある世界だから、
だから夢見てしまうのだろうと思いながら。
そういう「人生」じゃなくて、「イルカ生」もいいなあ。。。
自分の感じ方や見え方を
もてあましてきたものだから
わたしにとっては
感性というものは
私の生を、生き辛く、苦しくしているものだと感じてきたから
だから
大人になって
茨木のりこの
「自分の感性ぐらい」という詩にであったとき不思議だった
どうして、感性なんて、ないほうがずっと楽なものを
わざわざ、磨いたりほしがったりする人がいるんだろうって。
何かを感じたり、こだわったりするより
平凡に、穏やかに、よけいなことは見ずに感じずに
自分の感じ方や考えなんて何にも持たずにいたいのに、って
日々をただありがたい、ありがたい、だけで生きていけたらどんなに幸せだろう
なぜそうできないんだろうつて、
いつも自問自答の繰り返してきていたから。
なので、それはまるで、
あまりにも直毛で、
金太郎のようなおかっぱか、お下げしかできないこの髪からしたら
羨ましくてならない
素敵な、ふんわりウェーブのヘアの人が
お金をかけてまで
それをストレートパーマにする気持ちが分らないのと同じように不思議なことだった。
人は、ないものねだりをしてしまう。
自分は自分。
そうひらきなおれて、毎日が少しばかり楽になれて
それに、いつのまにか
毎日をありがたい、ありがたいと生きられるようになって
それでも、私はまだ、ときおり夢見てしまう。
人口が、百人もいないような島に生まれて
二軒隣かなんかに生まれた
親同士が遠い親戚だったりするような幼馴染と
時が来て自然に結婚して
毎日、二人で綺麗な朝陽をみて
魚を採ったり、草を編んだりして
子供が生まれて、孫が生まれても
変わらない島の日々を仲良く重ねて
静かに年老いていけたらどんなに素敵だろうって・・・
ザッブーン、なんて、波の音まで聴こえるような
毎日、毎日、おんなじ日々の平和な暮らし。
違うのは空の色と雲の形と四季の草花だけ。
そんな夢を、ときおり見てしまう。
おそらく、それは、叶うことがないから
多分、一番遠いところにある世界だから、
だから夢見てしまうのだろうと思いながら。
そういう「人生」じゃなくて、「イルカ生」もいいなあ。。。
.....この季節の、井の頭線から見る空、
中央線の窓に広がる様々な雲の展示会が大好きで
いつまででも乗っていたいと見とれてしまう。
毎日が、スペシャル、な秋の日々なのです。
まさに、そのタイトルで
竹内まりやが歌っていた歌が
気がつけば頭の中で
♪♩まいにちーがスペシャル
毎日がスペシャル♪ って
ずーっとリビートされています。
かつて、家族ぐるみでかかわり応援してきた
絵本の作者さんのエッセイを
絵本のタイトルとこの歌のタイトルからのノリで
『毎日がいのちのまつり」ってどう!?イイでしよ!
いいとおもうのになあー
だって、人生はまさに、毎日がいのちのまつりなのよ、と、
『ムリだよKさんには書けないよ
』って
却下されるたび食い下がっていたけれど
いまになって、やっと時が来て
刊行が実現のはこびになったらしく
それもまた嬉しい☆
想いがカタチになる時はこちらではわからない。
ただ、無心に自由に
その時その時にベストを尽くし、心を尽くす。
毎日がスペシャル、毎日が自分なりのベスト-----。
中央線の窓に広がる様々な雲の展示会が大好きで
いつまででも乗っていたいと見とれてしまう。
毎日が、スペシャル、な秋の日々なのです。
まさに、そのタイトルで
竹内まりやが歌っていた歌が
気がつけば頭の中で
♪♩まいにちーがスペシャル
毎日がスペシャル♪ って
ずーっとリビートされています。
かつて、家族ぐるみでかかわり応援してきた
絵本の作者さんのエッセイを
絵本のタイトルとこの歌のタイトルからのノリで
『毎日がいのちのまつり」ってどう!?イイでしよ!
いいとおもうのになあー
だって、人生はまさに、毎日がいのちのまつりなのよ、と、
『ムリだよKさんには書けないよ
』って
却下されるたび食い下がっていたけれど
いまになって、やっと時が来て
刊行が実現のはこびになったらしく
それもまた嬉しい☆
想いがカタチになる時はこちらではわからない。
ただ、無心に自由に
その時その時にベストを尽くし、心を尽くす。
毎日がスペシャル、毎日が自分なりのベスト-----。