運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

22.2.22!

2010年02月22日 06時38分40秒 | Weblog
春の空気に満ちた風
野生のジャスミンの白い花
さらさらと満ちて流れる水の音
丸いしずくに生命の力を湛えた緑の葉先

たとえどんなに険しく 人も登らない道でも
地道でさえあれば、
苔も石も緑も枯葉も
目を楽しませてくれたり
足のクッションになってくれたり
自然からの応援を感じて歩きとおすことができるもの。

アスファルトの舗装道とは
まるでちがうことを知りました。

そのまんまが一番
そのまんまで共棲できるよう
わたしたちは元から作っていただいていると
身体ごと実感いたしました。

幸のあふれる
山に登らせていただいて
たった一日の短い時間の中で
すべてが天の好意と人様の好意で恵まれて
ありがたさしかないシャングリラでした。

あたりまえに
お互いが慈しみあい、おろがみあい
調和して生きる幸せ

ああ、わたしたちの国は
本当は、昔からこんな国

ものみな蘇る春はもうそこまで。。


一歩を越える勇気 メスナー

2010年02月21日 07時37分30秒 | Weblog
「ねえ、あのさ、ウチに、メスナーに関するもの何かない?」
そう、連れ合いから聞かれたのは、最近注目されている、酸素もテントも持たずにエベレストに登るアルピニストのKさんという方と会うためだった。
何でも、嬉しいことに、その方は、私の前職の映画の出演者のひとり、ラインホルト・メスナーに惹かれておいでとのことで、シリーズ第一番のパンフレットなどを連れ合いに渡した。

その後、マネージャーさんと会うからとか、いろいろ、本になりそうな希望が見えて来た。
パンティ(その方が山に登ると旗がわりにたてる)のストラップとか、登山したときの旗とか、いただいたりして、私もいよいよかと楽しみにしていた。
めでたく本になったようで、大きなサイン会のポスターも、先日、新宿で見かけた。
よかった、おとうさん、やったのね・・って思っていた。
だって、本のタイトルも、以前連れ合いが伊勢にある青少年教育団体の機関冊子にエッセイを連載したおりの最終回のタイトルにした『一歩を越える力』が勇気に替わっただけだったから。

けれど、またいつのまにか、本の担当者は別の人に、ナイチンゲールの時と同じ"苦手"といまでも連れ合いが言っている若い女性に変わっていた。
あんなに一生懸命、本にしたいと熱を入れておいかけていたのになあと、苦手だからゆずらないとならないのかなあと、不思議と、ちょっと残念と、ではあるけれど、気負いのない、ナチュラルなK氏の存在そのものが本当にすばらしいからそれだけでいい。

ただ、今は,
とつぜん、『人生をイチからやりなおしたくてならないんだ」と豹変してしまい、「恋をしよう」なんて名前までコーエンなんてカタカナに変えて恋心を綴る日記のブログをそっと始めていたのを知って不安がったあたりから、いつものように激しい逆ギレで追い詰められ、家の中にいて洗濯物をたたんでいると、隣の部屋から「やっぱり離婚してください」なんてメールがきて、いたたまれず、「一週間でいいから実家にいっていて、そのあいだによく考えてみたいんだ」との言葉を信じて避難したら、それっきり閉め出され自宅に帰れない状況なので、あのDVDが戻ったのかも確かめられないけれど、もし、まだ戻っていないなら、あの「一番」のDVDは、大切な、天河交響曲もある思い出のものだから、戻しておいてほしい。


・・・メスナーの、あの、ライオンのような髪と、無邪気な笑顔が蘇る。
ああ、いいなあ、なにも持たずに何でも持っている、そんな笑顔だ。

「スピリット・マインド・ボディは三位一体」

                 ーラインホルト・メスナーー


今度は掛け軸

2010年02月20日 16時49分41秒 | Weblog
冷蔵庫のあとは、掛け軸がやってきた。
しかも、神代文字での「アワのうた」、ホツマツタエの解読に人生を捧げた松本善之助氏の筆のもの。。。まだ夢のよう。これが、ここに掛かっていることが。
12年前、はじめてホツマツタエの存在を知るきっかけになった熊野本宮に行った日の朝を思い出したら、ありがたさがこみ上げてきて、感無量で手を合わせた。
「あげましょう」、と言っていただいたとき、思わず6畳一間のこの部屋を思い浮かべ、かけることは不可能だから、実家に飾らせていただくしかないと考えたのに、不思議。。。。

契約1ヶ月後に、思いがけず桜の前の2階があき、駄目もとできいたところ、「桜をよろこんでくださる方のほうが、、」と、快く,
一階から移らせていただく際、建築家である大家さんのご主人が、何もかも新しくきれいにしてくださった。その折、「最近は白い壁の一箇所だけをアースカラーにするのが流行り」と、モスグリーンとも、サンドカラーともつかない渋い色にしてくださった、その一箇所、に、掛けてみたら、床の間のようにピッタリ!

まるでこのお軸が来るために塗ってあったかのよう。。。。

ああ、求めなくても、必要なものは、こうやって、ひとつひとつ、与えていただけるんだ、人生って、不思議、良いことも、そうでないように見えることも、みんな糸となり織り成されていく一人ひとりのかけがえない作品みたいだ。

ただ、ただ、感謝。。。


愛はつづく・・・

2010年02月15日 01時07分45秒 | Weblog
マザー・テレサ展最終日は、予想通り混んでいた。
そして、映画も。マザーも予想通り、考えるを通り越して、胸に直撃が来た。

アイム・サース 「私は渇く。。」
お見舞いしたばかりの或る大切な方が
お話はできても飲食ができず点滴で補いながらも
「喉が渇くんだよね」と訴えておられたのと
マザーが、かつてカルカッタの駅で聴いた
アイム・サース・・という神の声が重なった。

整理券をもらって、恵比寿のガーデンプレイスの広場で
パックのコーヒーとパンを泣きながらいただいていた。
次々とカップルが横を通っていくのを見て
はじめて今日がバレンタインデーだったのを思い出した。
マザーのことで泣いているとは知らない人たちからみたら
ひょっとしたら、バレンタインにひとりで彼もいなくて
失恋で、思い出して泣いているってみえるのかななんてふと思った。

でも、私は、泣きながらなんだか、
そんなカップルとか、バレンタインとかが
遠く感じられただけだった
かつて、そういう、ぬくもりがあったことに胸が温かくはなるけれど
鍛えられたおかげか、いまはそういう世界が、ぬるま湯のような遠いもののように何も感じられず、不在のパートナーを思っても痛みをおぼえずにいられた。
これも恩寵か。
いまは会えない小学生の息子が。
「お母さん、テレビにマザー・テレサが出てるよ!!」って
いつか、まだ小さいときに私を一生懸命呼んだことを思い出した。
教えたら、私がよろこぶって、この子なりに思ったんだって
少し嬉しく、少し不思議に思ったのを懐かしく思い出した。
毎年、あの子には工夫を凝らしてチョコレートを贈ったっけ
会いたいなって・・卒業のときに、何をしてやれるかなって思った。


誰もわるくないんだ
どんなにひどいことにみえても
それはきっと誰もわるくはなく
すべてはおおいなるものの御手のうちに
わたしたちにはわからないって
生きていること、与えられていることをただ思った。

そうだった
「いつも喜んでいなさい」という
一番大好きな言葉を、なんだかすっかり忘れていた。

マザーの特別展は、3月11日からアンコール上映されることが決まったそうだ。

愛はつづく・・・そう、ポスターに書かれている。

素晴らしいことを神様のために

2010年02月14日 13時35分03秒 | Weblog
このブログ本来の映画のことなら何も飛んでこないだろう。

前売りを買って楽しみにしていた、マザーテレサの特別展の上映スケジュールを確認しようと、写真美術館のHPを見て絶句。

ああ、一番観たかった「素晴らしいことをかみさまのために」が、昨日で最終だった。
無理もない、今日が全体の最終なんだから。。
もっと早くいけなかった自分がわるいのだ。

でも、すばらしいこと、英語のタイトルはsomething beautifle・・いったい、どんな内容だったんだろうと思う。

マザーが亡くなられた日の午睡の不思議な夢を忘れない。

寝起きのボーっとした頭で外出しようとしたら、玄関のドアにはさまった夕刊に

ダイアナ妃と並んだマザーの写真が大きく報じられていた。

外に出て空を見たら

めちゃくちゃきれいな夕焼けがオレンジになり

そこに金色のひこうき雲が二本並んで跡をつけていった

・・・不思議な夕方だった。


さあ、もう、観れないかもしれないけれど、

前売り券もって、いってみよう。