運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

エレナとお野菜の花たち

2008年04月24日 21時18分41秒 | Weblog
我が家のマンションの敷地は昔、牧場だった。当時からの大木がそのまま残っている。その中でも、樹齢800年くらいかなあ・・・すごーいケヤキの巨木があり、私は、その幹にゾウさんのようなお鼻と目があるように見えるので、『エレナ』と名づけて日参している。『ガイア・シンフォニー第一番』に出てくるゾウのエレナにちなんだのである。「おはよう!エレナ」、「いってきます!エレナ」「エレナー、ただいまー!!」という具合に彼女にいつも受け止めてもらうのだ。
 つい、先月までは木々の葉は落ちて枝ばかりがひろがっていたのが、小さな芽が吹き始めてからあっというまに若葉がぐんぐん増えて、いまやもう、美しい黄緑色に包まれた生命の塊!!といった姿だ。(写真参考)
 エレナだけでなく、植物との交流が何より嬉しいこの季節だが、そこに、とっても素晴らしい本をみつけて、また楽しみが増えた。
ちくま新書の『キャベツだって花を咲かせる』という新刊。
白菜の黄色い花は菜の花科、ごぼうはあざみのような赤いキク科の花が咲くが、この茎であるごぼうを食べるのは世界中で日本人だけ、戦時中にごぼうをアメリカ捕虜に出したのが、食えない木の根を食べさせようとしたとして後に捕虜虐待の戦犯として死刑になった話、先朧月夜の歌詞の『菜の花畑に入日薄れ♪』の菜の花畑は実は野沢菜の花畑で、野沢菜の花は実は蕪科なんだとか、もう、驚くべき話、面白すぎる話、感心する話ばかり満載だ。
私達は植物さんのおかげでこうして生きている。。と意っても過言ではない。
その昔・・超古代、最初の生命原子はひとつだったがそこから分かれて進化した、片方の頂点が人間で、もう片方が樹木なんだという話も聞いた。
なんだか・・・感動。だって、ただただ、ずっと動かずに、地球に貢献し、見守るほうを選んだ、私達の双子がいたなんて・・・。
ありがとう、みなさん、ありがとう、エレナ、ありがとう、お野菜さん・・!!

桜、サクラ、さくら・・・

2008年04月04日 11時17分49秒 | Weblog
満開である。
どこを走ってもピンクの塊に出会い、そのたび胸が震える。
陽を浴びて春の風にたなびくのもいい、夕暮れに浮き出る様もいい、土手じゅうにずっとつながっている桜並木も、駅沿いや、ビルの谷間から数本だけ存在を示しているだけでも、桜はあたりを別世界に変えてくれる。・・この季節の、この国だけの幸せだ。日本人でよかった!!!!何度も言ってしまう。
  「日本人でよかった 」その言葉は、先日伊勢神宮に参拝したときにもしみじみ思った。足を踏み入れただけで伝わってくる「大切な気」、生きている空気。
今回は、いま面白い現象が起きている二見浦から入り、内宮と、最後に倭姫の宮だけの駆け足だった。二見浦でひいたおみくじは夫婦そろって「八番」。こんなことは初めてだった。八は、や、弥であり、弥栄でもある。めでたくありがたい、と大切に持ち帰った。
日本に生まれ、この時期を生かさせていただいていること自体が弥栄である。
何千年も営々と、朝暗いうちから神と先祖に捧げる手作りの野菜と穀物を主とした神餌(みけ)。そして、二十年ごとに遷座しては守り続けてきた神殿とリサイクルしていく木々・・あんな場所をもっている国がほかにあるだろうか。
あそこから、発信されなくてはいけないことが、学ばれなければならないことが確かに存在している。

西行が詠んだ歌で、大好きな一首。
『ねがわくは、桜の下に春死なん、その如月の望月のころ』
満開の夜桜からはらはらと散る花びらを、横になって見上げていると,このままあっちに移行するのもいいなあ、なんて本気で思ってしまいそうになる。
だから、桜は美しくあやしい花なのである。
     *写真の桜は、伊勢でなくて熊野の大斎原の桜