次に多い郵便は愛知県稲沢市の故水谷藤博氏である。氏は博徒史の研究家であったが、
愛知県の相撲史にも造詣が深かった。名古屋場所の千秋楽の前の晩に泊めていただき、
資料交換と角談に花を咲かせた。体調を崩して早く逝かれたが、死んでなんかいられ
ないと話していたのを思い出す。もう少し相撲の趣味を控えてほしかった。「東海相
撲史談会」のまとめ役として『東海の相撲史』を発行され、また『東海近代史研究』
へ博徒史を投稿された。これらの博徒史の原稿9本と、私の博徒関係の2本を併せて、
平成23に私が『博徒と相撲』を刊行した。インターネットで私のページを見られた
水谷氏の娘さんから連絡があり、八ヶ岳の麓におられたので、恒例であった斎藤健治
氏の山荘での会合のおりにお会いしてきた。