このほど花籠部屋の巡業板番付を入手した。板番付といっても、ちゃんとした
庵看板の板番付ではなく、一枚板のものである。昭和31年夏のもので、大関は
初代若ノ花と初代若ノ海である。この当時、若ノ花は実際も大関で、若ノ海は
前頭である。若ノ花が力士時代に最も大変だったのは、巡業であったと語って
いるが、この数年前のことであろう。二所ノ関一門は合併せず、バラバラに巡
業していたのだろう。私の若い頃、2代若瀬川が大関の巡業があったが、客寄せ
にしろ、1日をもたすのも大変であったろう。花籠7若といわれるのは、もっと
後のことである。若ノ花は稽古十分となるが、現在の大合併の稽古と、取組は
当時のものと比べたら、雲泥の差と思われる。